落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>語らねばならない

2007-03-22 21:42:27 | 講釈
2007年 大斎節第5主日 (2007.3.25) <講釈>語らねばならない   イザヤ書43:16-21 1. ヒズストーリー 「主はこう言われる。海の中に道を通し、恐るべき水の中に通路を開かれた方。戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し、彼らを倒して再び立つことを許さず、灯心のように消え去らせた方。初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。 . . . 本文を読む

大斎節第4主日説教 新しい生活が待っている

2007-03-17 16:42:36 | 説教
2007年 大斎節第4主日 (2007.3.18) 新しい生活が待っている   ヨシュア記4:19-5:12 1. 大斎節第4主日について 大斎節第4主日は、時には「リフレッシュメントサンデー」(refreshment Sunday)とも呼ばれている。それはこの主日が大斎節のちょうど真ん中にあり、ここで「一息ついて」後半のために元気を取り戻すという意味から来ている。 40日 . . . 本文を読む

<講釈>新しい生活が待っている

2007-03-15 21:19:51 | 講釈
2007年 大斎節第4主日 (2007.3.18) <講釈>新しい生活が待っている   ヨシュア記4:19-5:12 1. ヨルダン川を越える 本日の旧約聖書は、イスラエルの民が40年間におよぶ荒れ野での放浪の生活に別れて、ヨルダン川を渡り、「乳と蜜の流れる約束の地、カナン」に進行した時のことが読まれた。彼らは指導者ヨシュアに従って、浪々と流れるヨルダン川に足を踏み入れ、見事に歩いて渡 . . . 本文を読む

大斎節第3主日説教 燃える柴

2007-03-10 21:48:56 | 説教
2007年 大斎節第3主日 (2007.3.11) 燃える柴   出エジプト記3:1-15 1. わたしは何者でしょう 「モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていた」(出エジプト3:1)、という言葉の中には、出エジプト記1章から2章までのところで描かれているモーセの姿からは想像もできないほどの落差がある。あのモーセはどこに行ってしまったのか。そんな疑問も . . . 本文を読む

<講釈>燃える柴

2007-03-08 19:59:49 | 講釈
2007年 大斎節第3主日 (2007.3.11) <講釈>燃える柴   出エジプト記3:1-15 1. わたしは何者でしょう 「モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていた」(出エジプト3:1)、という言葉の中には、出エジプト記1章から2章までのところで描かれているモーセの姿からは想像もできないほどの落差がある。あのモーセはどこに行ってしまったのか。そん . . . 本文を読む

大斎節第2主日説教 神の友

2007-03-03 19:12:43 | 説教
2007年 大斎節第2主日 (2007.3.4) 神の友   創世記15:1-8 1. 神の友 聖書の中に様々な人物が登場するが、その中でも「神の友」と呼ばれているのはアブラハムだけである。出エジプト記では「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」(出33:11)と語られるが、決してモーセは「神の友」ではない。「友」という場合の特質は対等性ということであろう。対等 . . . 本文を読む

<講釈>神の友

2007-03-01 21:33:52 | 講釈
2007年 大斎節第2主日 (2007.3.4) <講釈>神の友   創世記15:1-8 1. 神の友 聖書の中に様々な人物が登場するが、その中でも「神の友」と呼ばれているのはアブラハムだけである。新約聖書のヤコブ書ではなぜアブラハムが「神の友」と呼ばれるようになったのか、ということの説明として、本日のテキストが引用されている。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」(ヤ . . . 本文を読む