獣に問え、さらば汝に教えん。天空の鳥に問え、さらば汝に語らん。海の魚もまた汝に述ぶべし。(ヨブ12:7,8)
人類は長い間自然界からいろいろなことを学んできた。自然から学んだ最大の教訓は「自然は偽らない」ということであろう。自然界においては一つの原因は常に同じ結果を生む。この教訓は想像以上に重要である。このことから人類は「合理性」ということを発見した。
人間は偽る。その偽りを「意志」という。一つ . . . 本文を読む
2005年 聖霊降臨後第20主日(特定22) (2005.10.2)
畑 イザヤ書5:1-7
1. 農夫とぶどう畑
本日の旧約聖書の出だしの部分をもう一度読んでみましょう。「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために、そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘の上に、ぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、よいぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良 . . . 本文を読む
獣に問え、さらば汝に教えん。天空の鳥に問え、さらば汝に語らん。海の魚もまた汝に述ぶべし。(ヨブ12:7,6)
人類は長い間自然界からいろいろなことを学んできた。自然から学んだ最大の教訓は「自然は偽らない」ということであろう。自然界においては一つの原因は常に同じ結果を生む。この教訓は想像以上に重要である。このことから人類は「合理性」ということを発見した。人間は偽る。その偽りを「意志」という。一つの原 . . . 本文を読む
ツロの人々も住みおりしが、魚および各種の貨物を携えいりて安息日にユダの人々にこれをひさぎかつエルサレムにて商売せり。(ネヘミヤ記13:16)
安息日の買い物は御法度。そこにそんな戒律には無関心な外国人が魚を売りに来た。ユダの人々にとって魚は魅力的な食材。恐らく「鮮魚」だったのだろう。買い物を明日には延ばすわけには行かない。自分たちが戒律を守って買わなきゃそれで済むのに、安息日に魚を売りに来たツロの . . . 本文を読む
憶いいずるに、我らはエジプトにありし時は、魚、黄瓜、水瓜、韮、葱、青蒜等を心のままに食らえり。(民数記11:5)
砂漠でエジプト時代の食生活を思い出して、食べたいものの筆頭に魚が記されているのは面白い。肉は、鶉肉が毎日与えられていたことになっている。すると、次ぎにどうしても食べたい物の筆頭に魚が来る。人間の欲望には限界が無いのか。モーセは言う。「海の魚を全部捕ってきて与えても彼らは満足しないだろう . . . 本文を読む
而して、河の魚は死に、河は臭くならん。(出エジプト7:18)
出エジプトに際してエジプトで起こった自然環境の破壊は、エジプト王の頑固さの結果とされる。しかしそれは同時に、権力者の身勝手な権力闘争の結果である、とも読める。人間が戦争をすれば、自然界の荒れる。その結果は、回り回って人間の生活を脅かす。戦争によってもたらされる悲劇は爆弾だけではない。すべての存在の基盤である the ground of . . . 本文を読む
2005年 聖霊降臨後第19主日(特定21) (2005.9.25)
個人主義 エゼキエル書18:1-4,25-32
1. ことわざ
まず、ここでは「ことわざ」が問題になっている。「先祖が酢いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」。このことわざは、先祖が行なったことが子孫に影響を与える、ということを意味している。確かに、これは本当だと思う場合も少なくない。しかし、これは一つの経験的な知 . . . 本文を読む
2005年 聖霊降臨後第18主日(特定20) (2005.9.18)
思い直す(悔改) ヨナ書3:10-4:11
1. 神の変心
聖書の神の面白さは、神ご自身が悔改めることもあるということである。創世記の6章では、神は地上に悪がはびこっているのをご覧になり、人間を創造したことを「後悔し、心を痛め」、地上から人間を一掃しようと決意された。それがノア物語の発端であった。神ご自身が心で決 . . . 本文を読む
2005年 聖霊降臨後第17主日(特定19) (2005.9.11)
復讐と寛容 シラ書27:30-28:7
1. シラ書について
シラ書のもともとの名称は「シラの子イエスの知恵」である。この書に付けられている序文の中で、「シラの子(ベン・シラ)」がへブル語で書いた「知恵の書」をその孫がギリシャ語に翻訳したものである、と語る。この序文そのものも非常に興味深い。
ところが . . . 本文を読む
地の上におる諸の獣の像、空に飛ぶ諸の鳥の像、地に匍うもろもろの物の像、地の下の水の中に居るもろもろの魚の像など、すべて造るなかれ。(申命記4:18)
ここにあげられている「もろもろの物」はすべて偶像へのエントリーナンバーである。人間が神を造り出そうとしても、結局神によって造られ、管理を委託された「もろもろの物」を転用するしかない。
今年の年頭から続いた聖書の言葉「鳥シリーズ」は、徐々に「魚シリ . . . 本文を読む
地のすべての獣畜、天空のすべての鳥、地に匍うすべての物、海のすべての魚、汝らを畏れ、汝らにおののかん。(創世記9:2)
洪水後に、ノアに与えられた諸生物と人間との新しい関係。彼らは人間を恐れている。何を。彼らは人間の罪を恐れている。人間の罪の結果は地上のすべての生き物に及ぶ。しかも、彼らは人間に対して何も逆らえない。自然界の生命の連鎖を破壊するのは人間だけであることを、彼らはよく知っている。しかし . . . 本文を読む
我ら人を造り之に海の魚と天空の鳥と家畜と全地と地に匍うところのすべての昆虫(はうもの)を治めしめんと、神其の像の如く人を創造し給えり。(創世記1:26)
人間が自ら創造された意味(目的)を自覚したのは、自分たちの身の回りにいろいろな物があり、それぞれがその本質に従って生きているという厳粛な事実である。空の鳥も、海の魚も、山野に溢れるばかりの昆虫も、それぞれの神の創造の秩序に従って生きている。それな . . . 本文を読む
2005年 聖霊降臨後第16主日(特定18) (2005.9.4)
警告の預言者 エゼキエル書33:1-11
1. 預言者エゼキエル
先週の預言者、エレミヤが「涙の預言者」であるとすると、預言者エゼキエルは「警告の預言者」であると言える。「警告」という言葉は法律的な言葉である。1節から6節までの部分においては、責任ということをめぐって「警告を発する者」と「警告された者」との関係が明 . . . 本文を読む