落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>聖霊経験

2006-05-31 21:39:48 | 講釈
2006年 聖霊降臨日 (2006.6.4) <講釈>聖霊経験   ヨハネ20:19-23 1. 聖霊降臨日 使徒言行録を読んでいて気付くことであるが、4章までと5章以後とでは明らかに雰囲気が違う。もちろんそれは使徒言行録の著者、つまりルカの編集方針によるとも思われるが、それよりもむしろ最初期の教会の雰囲気そのものによるものが大きいと思われる。使徒言行録はそのような雰囲気を次のように語 . . . 本文を読む

復活節第7主日説教 御名

2006-05-22 13:31:46 | 説教
2006年 復活節第7主日(昇天後主日) (2006.5.28) 御名   ヨハネ17:11c-19 1. 大祭司の祈り ヨハネ福音書の第17章は、主イエスが弟子たちのために祈られた最後の祈りであると言われ、また「大祭司の祈り」とも呼ばれるものである。従って、この祈りは、部分に分けて一部だけを取り上げて論じることは慎むべきである。全体をゆっくり読んでも、たった3分足らずで読める。この祈 . . . 本文を読む

<講釈>御名

2006-05-22 13:03:22 | 講釈
2006年 復活節第7主日(昇天後主日) (2006.5.28) <講釈>御名   ヨハネ17:11c-19 1. 大祭司の祈り ヨハネ福音書の第17章は、主イエスが弟子たちのために祈られた最後の祈りであると言われ、また「大祭司の祈り」とも呼ばれるものである。従って、この祈りは、部分に分けて一部だけを取り上げて論じることは慎むべきである。全体をゆっくり読んでも、たった3分足らずで読め . . . 本文を読む

<講釈>喜び

2006-05-18 15:30:30 | 講釈
2006年 復活節第6主日 (2006.5.21) <講釈>喜び   ヨハネ15:9-17 1. 決別説教第2部(15:1~17:26) ヨハネ福音書の15章から17章までは、一旦成立していたヨハネ福音書に何時の段階でか明確ではないが、著者自身かあるいはヨハネ集団に属する誰かによって挿入されたものであるとみなされる。14:31の「さぁ、立て。ここから出かけよう」という言葉と、18:1の . . . 本文を読む

復活節第5主日説教 キリストにおいて

2006-05-12 19:38:43 | 説教
2006年 復活節第5主日 (2006.5.14) キリストにおいて   ヨハネ14:15-21 1. 宗教経験の言葉化 深い宗教経験というものを言葉で言い表すということは非常に難しい。しかし、それがどんなに難しいとしても、何とかその経験を言葉で表現しようと思うのが人間であり、その経験は言葉になったときに、本当の経験となる。ここで語られている「キリストはわたしの中に、わたしはキリストの . . . 本文を読む

<講釈>キリストにおいて

2006-05-12 19:37:44 | 講釈
2006年 復活節第5主日 (2006.5.14) <講釈>キリストにおいて   ヨハネ14:15-21 1. 決別説教 14章1節から16章33節までは、いわゆる最後の晩餐の席上での主イエスの決別説教と言われている。14:31の「さぁ、立て。ここから出かけよう」という言葉が場面の設定の変化を暗示しているので、14章を第1決別説教、15章以下を第2決別説教というように分ける。新共同訳聖 . . . 本文を読む

復活節第4主日説教 良い羊飼い

2006-05-05 14:56:35 | 説教
2006年 復活節第4主日 (2006.5.7) 良い羊飼い   ヨハネ10:11-16 1. 「わたしは良い羊飼いである」 本日のテキストである10章11節から16節までを繰り返し読んで、結局ここでは「わたしは良い羊飼い。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」ということしか言っていないように思う。この言葉を繰り返し口にしていると、だんだん一つのメッセージが浮かび上がってくる。良い羊飼いと . . . 本文を読む

<講釈>良い羊飼い

2006-05-05 14:55:10 | 講釈
2006年 復活節第4主日 (2006.5.7) <講釈>良い羊飼い   ヨハネ10:11-16 1. 錯簡 復活節第4主日の福音書テキストは、A年はヨハネ10:1-10、B年はヨハネ10:11-16、C年はヨハネ10:22-30で、すべてヨハネ福音書10章から読まれる。10章を注意深く読むといくつかの点で文章の流れに理解困難な個所がある。先ず第1に、9章の「生まれながらの盲人」の記事 . . . 本文を読む