2007年 主イエス命名日 (2007.1.1)
荒野に声がする(猪の年) イザヤ書40:3-5
1. いのししの年
はじめに明けましておめでとうございます。昨年の世相を反映する漢字として、「命」という字が選ばれた。普通なら、「命」という言葉は生命力を現し、元気が出てくるはずの言葉であるが、昨年の「命」は、むしろ「命が脅かされる」という意味であった。
今年 . . . 本文を読む
2007年 元旦礼拝(いのししの年) (2007.1.1)
<講釈>荒野で叫ぶ者の声 ルカ福音書3:4
1. いのししの年
明けましておめでとうございます。昨年の世相を反映する漢字として、「命」という字が選ばれた。普通なら、「命」という言葉は生命力を現し、元気が出てくるはずの言葉であるが、昨年の「命」は、むしろ「命が脅かされる」という意味であった。言いようのない不安におびえた年であ . . . 本文を読む
2007年 降誕後第1主日 (2006.12.31)
輝く冠 イザヤ書61:10-62:3
1. 神にとって「わたし」とは何か
神にとって「わたしとは何か(どういう存在)」ということについては、わたしたちは考えることも、想像することもできない。それは、いわば当然のことである。たとえ何か、そのことについて語ったとしても、それはあまり意味がない。それはわたしたちが考える事柄ではない。 . . . 本文を読む
2007年 降誕後第1主日 (2006.12.31)
<講釈>輝く冠 イザヤ書61:10-62:3
1. 神にとって「わたし」とは何か
わたしにとって主イエスとは何か、という質問に対して、主イエスとは「インマヌエル(共におられる神)」である、と答えることができる。同じように、わたしにとって「神とは何か」ということについて、人間は考えることができる。たとえば、わたしの創造主であるとか . . . 本文を読む
2007年 降誕日 (2006.12.25)
<講釈>喜びの福音 ルカ2:10
1. 「神の道化師」(トミー・デ・パオラ作、ゆあさ ふみえ訳)のあらすじ
クリスマスイブ礼拝では、「神の道化師」(トミー・デ・パオラ作、ゆあさ ふみえ訳)を「語り」という形式で話した。あらすじを紹介する。
主人公のジョバンニは孤児で、一文無しである。しかし、ジョバンニは、なんでも . . . 本文を読む
2007年 クリスマスイブ (2006.12.24)
<語り>「神の道化師」(トミー・デ・パオラ作、ゆあさ ふみえ訳)
はじめに聖書の言葉を読みます。
ルカによる福音書第2章8節から15節まで
昔、むかし、イタリアのソレントという町に、ジョバンニという、小さな男の子が住んでいました。ジョバンニには、お父さんも、お母さんもいませんでした . . . 本文を読む
2007年 降臨節第4主日 (2006.12.24)
ベツレヘム ミカ書5:1-3
1. ベツレヘム
主イエスがどこで生まれたかということについて、わたしたちは「疑いもなく」ベツレヘムの馬小屋ということを信じている。しかし、イエスの誕生について述べている福音書には、どこにも「馬小屋」という言葉はない。マタイ福音書では東の占星術の学者たちは、王室付の律法学者たちの意見に従って「ベツ . . . 本文を読む
2007年 降臨節第4主日 (2006.12.24)
<講釈>ベツレヘム ミカ書5:1-3
1. ベツレヘム
主イエスがどこで生まれたかということについて、わたしたちは「疑いもなく」ベツレヘムの馬小屋ということを信じている。しかし、イエスの誕生について述べている福音書には、どこにも「馬小屋」という言葉はない。マタイ福音書では東の占星術の学者たちは、王室付の律法学者たちの意見に従っ . . . 本文を読む
2007年 降臨節第3主日 (2006.12.17)
インマヌエル ゼファニア書3:14-20
1. 美しい詩(テキスト)
本日のテキストは2つの詩である。本日はこれら2つの詩をゼファニア書から切り離して考えたいと思う。はじめに2つの詩を読んでみよう。
<13~14節と15~16節を読む。>
読めばすぐに気が付くが、これら2つの詩はほとんど同じ . . . 本文を読む
2007年 降臨節第3主日 (2006.12.17)
<講釈>インマヌエル ゼファニア書3:14-20
1. 美しい詩(テキスト)
「この小さな歌は、その様式によっても、内容によっても何ら預言的な特徴を示さない。(中略)編集者によってか、一読者によって、あるところから採ってこられたとすることができよう」と、ATD旧約聖書注解のゼファニア書の担当者はいう(173頁)。本来のゼファニア . . . 本文を読む
2007年 降臨節第2主日 (2006.12.10)
元気を出せ バルク書5:1-9
1. シメオンの賛歌(ヌンク・ディミティス)
イエスの誕生物語に続いて、宮参りの出来事が記録されている。おそらくイエスの両親も他の多くのユダヤ人の家庭と同じように、定められたとおりにイエスを神殿に連れてきたことだろう。ただ、イエスの場合は他の子どもと違って、シメオンという老人が現れ、抱きかかえて歌 . . . 本文を読む
2007年 降臨節第2主日 (2006.12.10)
<講釈>元気を出せ バルク書5:1-9
1. バルク書について
バルクという人物については、エレミア書に預言者エレミアの弟子として活躍したことが記録されている。特に、エレミアがバビロンへの降伏を勧めたとき、人々はエレミアをバビロンの手先と見なして、彼の行動を制限した。そのときエレミアに代わってエレミアの預言を人々に朗読したのがバ . . . 本文を読む
2007年 降臨節第1主日 (2006.12.3)
神の直接的介入・逃げよ ゼカリア書14:4-9
1. 降臨節第1主日
教会暦では今日から新しい年が始まる。今日から4つの主日(降臨節)を経て、降誕日を迎える。降臨節とは、キリストを迎えるための準備の期間である。今年は来年3月25日の大斎節第5主日までまで、旧約聖書のテキストを主に取り上げたいと思う。
本日はゼカリア書1 . . . 本文を読む
2007年 降臨節第1主日 (2006.12.3)
<講釈>神の直接的介入・逃げよ ゼカリア書14:4-9
1. 降臨節第1主日
教会暦では今日から新しい年が始まる。今日から4つの主日(降臨節)を経て、降誕日を迎える。降臨節とは、キリストを迎えるための準備の期間である。今年は来年3月25日の大斎節第5主日までまで、旧約聖書のテキストを主に取り上げたいと思う。
A年も、 . . . 本文を読む