先日の東日本大震災追悼式での天皇陛下の発言には驚きました。天皇制に賛成の人も、反対の人もこの発言には注目して頂きたいと思います。
「・・・さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています・・・」
この発言を聞いた時、私は正直に言って驚きました。この発言は現政権に対する非常に厳しい批判であり要求であると感じました。それはただ一言「再びそこに安全に住むためには」と述べられ、さらにそのためには「放射能の問題を克服しなければならい」と明白に述べられたのです。しかし残念ながら現政権もマスコミもこの発言をほとんど無視しています。
S12L04(S) 2012.3.18
大斎節第4主日 説教「イエスを恥じる者 マルコ8:31-38」
. . . 本文を読む
昨日の日曜日のために日本聖公会主教会では「東日本大震災1周年記念特祷」を作成し、全国の聖公会の教会で当日の特祷に続く「第2特祷」として用いよという指示がありました。私も戸畑聖アンデレ教会での聖餐式で祈らせて頂きました。また、礼拝後、午後2時から日本バプテスト連盟南小倉教会(谷本仰牧師)で開催された「追悼と支援のコンサート」に参加し、一緒に祈らせて頂きました。
S12L04(L) 2012.3.18
大斎節第4主日 <講釈>「イエスを恥じる者 マルコ8:31-38」 . . . 本文を読む
先日、友人の先輩司祭から、映画やテレビドラマなどを説教に取り上げるべきではない、というご忠告をうけました。それを見ている人と見ていない人とで受け止め方が異なるからというのがその理由でした。説教の中で小説を取り上げるのも、その意味では、非常に難しいことだと思います。先ず時間的な制約があり、小説自体の筋とかメッセージと説教で語るべきメッセージとをどのように調整するべきか。そういうことを、わかっててもあえて小説を取り上げたい時もあります。今回の場合がそれです。ぜひ、この小説を読んで貰いたいという気持ちもありますが、高いお金を支払って小説を買い、読むのはあくまでも自由であるべきだと思います。その意味で今回はお許しお願いしたいと思います。
12L03(S) 2012.3.11
大斎節第3主日説教「自分の命 マルコ8:31-38」
. . . 本文を読む
次の主日は、今年の大斎期間中の3回の説教の第2回です。今回はどちらかというとテキスト解釈というよりも「思想的アプローチ」を試みています。第3回は「歴史的アプローチ」を予定しています。
S12L03(L) 2012.3.11
大斎節第3主日 <講釈>「自分の命 マルコ8:31-38」 . . . 本文を読む