落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈> 約束された聖霊  使徒言行録2:1~11

2009-05-25 17:01:40 | 講釈
2009年 聖霊降臨日 2009.5.31
<講釈> 約束された聖霊  使徒言行録2:1~11

1. 五旬祭
五旬祭(ペンテコステ)は、過越祭と仮庵祭と並んで、ユダヤ教の三大祭の一つである。春先の過越祭の50日後に行われる。従って「七週の祭り」とも呼ばれる。もともとは「小麦の刈り入れの祭り」であった(出エジプト34:22)。過越祭が穀物の収穫期の開始を示すのに対し五旬祭はその終わりを示す。その意味では、この50日間は華やいだ期間であり、全体が祭りとも言える。ルカはイエスが十字架上で処刑されたのが過越祭であることと関連して五旬祭までの50日間に特別な意味づけをしている。
なお、後期ユダヤ教では五旬祭をシナイにおける律法授与を記念する祭りと意義づけるようになった。紀元前2世紀後半に書かれたとされるヨベル書6:17(聖書外典偽典4、42頁))では契約更新の日とされている。その意味で、初期のキリスト者たちの間でこの祭りの日に何かが起こるという期待があったものと思われる。
2. エルサレムを離れず
ルカによる福音書によると、弟子たちに語られたイエスの最後の言葉は「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)であった。それを受けて使徒言行録では「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」(使徒言行録1:4,5) と繰り返されている。ルカによると、復活のイエスは弟子たちに現れたのはエルサレムであって、ガリラヤでの顕現については触れられていない。ここにルカと他の福音書との違いがある。ここでは事実がどうであったのかということが問題なのではなく、ルカにとって重要なことは、復活とその後の教会の成立と歴史である。ルカにとって重要なことはイエスはエルサレムで殺され、エルサレムで復活し、エルサレムで昇天し、エルサレムで教会が設立されたということなのである。徹底的にエルサレムにこだわっている。しかし、一言付け加えておくと、ルカが福音書を使徒言行録を書いている時代においては「栄光に輝くエルサレム」はすでに廃墟となっていた。少なくともエルサレムの滅亡から10年以上は経過していた。逆に言うと、それだからこそ「エルサレム」にこだわることができた。
3. 一同が一つになって
「聖霊による洗礼」を待っていた人々は「120人ほど」(使徒1:15)であった。彼らは「泊まっていた家の上の部屋」(1:13)で「心を合わせて熱心に祈っていた」(同14節)という。エルサレム市内に120人が集まるような部屋を確保するのは難しかったと思われるが、そのことはあまり詮索してもしょうがない。重要なことは「心を合わせて」ということであり、2:1でも「一同が一つになって」という言葉で繰り返されている。これは神の業が行われる際の人間側の一つの条件であろう。
ここでは、「一つになって集まっていると」と述べられている。興味深い点は「祈り」という言葉がないことである。もちろん、祈っていたに違いないが、ここではそれ以上に重要なことは、「心を一つにして集まっている」ということである。この場面では、「集まっている」とは「待っている」ということに他ならない。彼らは、ただ待っている。この状況での待つには期限がない。五旬祭に何かが起こるかも知れないというのはあくまでも希望的観測であり、予想にすぎない。何時まで待つのかわからないという状況で彼らは待つ。これが五旬祭までの彼らの状況であった。そして、それは五旬節以後の教会の基本的な姿勢でもあった。
4. 「約束された聖霊」
この約束を信じて待っている弟子たちにとって、実は「聖霊を受ける」ということが一体どういう出来事なのか判らなかったはずである。それまでイエスの弟子たち、とくにガリラヤの普通の人々にとって「聖霊を受ける」ということは自分たちには無縁のことであった。「神の霊を受ける」ということは神に選ばれた特別な人々の特別な経験であって、それを受けるとき彼らは預言者になるのであった。もっと身近なことをいえば、イエスこそ聖霊を受けた神の人であるというのが彼らの認識であった。しかし自分たちは駄目な人間であって駄目だからこそ神の人であるイエスに従ってきたのである。その彼らが聖霊を受けるということは一体どういうことなのか、彼らには分からなかった。分からないが、ただ待っていた。
イエスに従うといえば、彼らはイエスに従ってエルサレムまで来てしまった。エルサレムには彼らの生活を支える何ものもない。イエスだけを頼りにしてエルサレムに来てしまったというのが彼らの真相である。なぜ彼らがその様な行動をとったのかといえば、ただ一つ「この方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていた」(ルカ24:21)からである。ところが、その肝心のイエスは「エルサレムにとどまって聖霊の降臨を待て」という言葉を残して、ローマの官憲の力により十字架上で処刑されてしまったのである。彼らに残されたのはこの約束だけである。その他に何も頼りにするものがない。勿論彼らは何もかも忘れて、ガリラヤに帰り普通の生活に戻ることもできたであろう。ただ一つ彼らが決断したことといえば、「ガリラヤに戻らなかった」ということである。それは逆に言うと、多くの仲間はイエスに失望しガリラヤに戻ったのであろう。従って、エルサレムにとどまった人々はイエスの言葉を信じ、イエスの約束にこだわった人々であった。
待ちながら彼らがしたことはただ「熱心に祈る」(使徒言行録1:14) ということだけであった。一体彼らは何を祈ったのだろう。恐らく彼らの祈りの中心は「これからどうしたらよいのか」という不安に満ちた祈りであったに違いない。この状況を特徴付ける言葉は「心を合わせて」(1:14)「一同が一つになって」(2:1) である。この一体感は「不安に基づく連帯」である。「身を寄席合って」いる状況である。そういう「出口のない閉鎖的な状況」がいつまで続くのか、誰も答えられなかった。
5. 共に喜ぶ日
10日たった。五旬祭の日である。この日はエルサレムでは大きな祭の日である。特にこの祭では「寄留の外国人」や「孤児、寡婦」を招いて「共に喜び祝う」ことが命じられている。弟子たちはこの賑やかな祭の日を「閉鎖的な状況の中で」迎えたのである。どういう気持ちであっただろう。
ところが、この日に使徒言行録に記録されているような出来事が起こったのである。家の外の賑やかさをはるかに越えた騒がしさ、喜びが家の内部から起こったのである。この喜びの源は「上」である。「上から喜び」が降ってきたのである。地から出てきた「酒の喜び」ではない。過去の出来事を記念する祭の喜びではなく、未来へと開かれた喜びが内部から溢れてきたのである。
6. 約束の実現
この出来事が「約束の聖霊」の出来事であった。実際にどういうことが起こったのか良く判らない。ただこの出来事の結果ははっきりしている。第1のことは、この出来事を通して弟子たちは「語る人間」に変わった。それまでの彼らは一貫して「聞く人間」であり、受け身の人間であった。彼らは語るべき言葉を持っていなかった。言語自体も語れるようなレベルのものではなかった。彼らはガリラヤの言葉を語るガリラヤの人である。後にエルサレムの人々は彼らが「無学な普通に人」(使徒言行録4:13)であることに驚いているが、彼らは人々に対して堂々と説教できるような言葉を持っていなかった。ところが、聖霊を受け、人々に語る人間に変わった。彼らが語るとき、聞く人々はそれぞれの国の言葉で聞くように彼らの語ることを理解した。彼らの言葉が人々に通じた。これは驚くべき奇跡である。ここには言葉以上の言葉がある。必ずしも「超自然的奇跡」を想定する必要はない。「言葉が通じる」ということ自体が奇跡である。
もう一つの、特徴は「炎のような舌が分かれ分かれに現れた」ということである。彼らが集団としてエクスタシーの状況になったというのではない。一人一人が「霊を受け」全体が一つになった、ということである。このことはわたしたちが聖霊というものを考える場合に忘れてはならない重要な特徴である。聖霊は一人一人の個人に臨むと同時に教会全体を覆う。この全体と個人という二つの面を見失うときに非常に個人主義的なキリスト教になったり、逆に全体主義的なキリスト教になってしまう。

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