谷沢健一のニューアマチュアリズム

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長嶋、王、杉下、そして…(その3)

2008-11-15 | プロ野球への独白
 司会の吉田慎一郎氏(日本テレビ・元野球中継担当アナ)から私もメッセージをと促されたので、次のような思い出を話した。
 ──試合途中で交代を告げられた。極度のスランプに自分にも腹が立っていた。ぶつけどころもなくベンチ内にあった陶器のコップを激しく叩き割った。それでもおさまらずに、ベンチ裏のボールケースを蹴った。こういう類の行動をする選手は中日には2~3人存在した。そういう時は、ベンチに戻ってから声をよく出していれば、ウォーリーはうなづいて平静に対処してくれた。だが、その日は私は気持ちを戻せず、ベンチにいても声援すらできなかったため、試合後のミーティングでこっ酷く怒られた。
 帰宅して、食事を終えたころ、ウォーリーから電話が入った。たどたどしい日本語で、「ヤザワ!皆の前で激しく怒ってすまなかった。うちのチームは君を叱れば一つに纏まれる。皆がピりッとするんだ。我慢してくれな」という内容だった。私は初めて心底から " Do my best for Wally ! " と誓った。
 その年、広島との試合中、午後9時ころ本田マネが私にある吉報を届けてくれた。延長に入ってもなかなか決着が付かない。15回表を迎え、私が先頭打者。三塁打で出て決勝のホームを踏んだ。勝って常宿の世羅別館に戻るやいなや、マネージャーが全員を大広間に集めた。各テーブルにはビールなどが用意され、ウォーリーが「今夜、ヤザワの家庭に長男が生まれた。ヤザワの一打で勝つこともできた。皆祝ってやってくれ」と乾杯である。
 翌年、ウォーリーの下で中日は20年ぶりのリーグ優勝を勝ち取ったのである。