谷沢健一のニューアマチュアリズム

新ドメインに移行しました。

堀内恒夫君の野球殿堂入りを祝う!(その1)

2008-12-14 | プロ野球への独白
 先月27日、東京ドームホテルで、堀内恒夫氏の野球殿堂入りを祝う会が催された。集まったのは約700人、盛大だった。私と同世代の堀内君が、数々の実績と名声を備えた球界の諸先輩の仲間入りしたのは、実に嬉しい。壇上にあがった堀内ご夫妻は、そういう諸先輩たちから、この上ない祝福の言葉を受けた。中でも印象に残ったのは、ウォーリーの時に続いてまた加藤良三コミッショナーだった。
 加藤氏「堀内君は"悪太郎"と呼ばれた、それは何故か。マウンドの堀内君は、投球の度ごとに帽子が斜めに曲がったり脱げたりした。その姿がいかにも腕白小僧のようだった。長嶋さんも空振りをしたときにヘルメットが飛んだ。その姿を、堀内さんは中学時代に見て、迫力があってカッコイイと感じた。で、自分もプロになって帽子が飛ぶほど全力投球がしたいと思ったそうです」と裏話を披露した。彼のダンディイズムを全力投球と結びつけた、巧みなスピーチだった。
 次に渡邊恒雄氏が登壇した。渡邊氏「"恒"という字は私と同じ。現役時代から何とも言えぬ親近感を抱いていた。"甲府の小天狗"と呼ばれ、有頂天になっていたとき、王君に鉄拳を食らったようだが、私はそんな堀内君が好きだった。堀内君が悪太郎なら、私は大悪太郎だよ」と締めくくった。確かに、「巨人軍選手は紳士たれ」という標語で有名なチームが、渡邊恒雄氏によって変えられたのは事実だ。
 高校時代から、私は堀内君と対戦している。その直球はとにかく早かった。そして、その豪速球しか投げなかった。彼に4年遅れてプロ入りをした私は、彼に完全に抑え込まれ、2年間は対戦成績が1割台だった。彼は速球に加えて2種類のドロップをマスターしていた。私の太股の辺りでがくんと落ちるのと、顔の辺りでいったん浮き上がるように見えたとたんに急激に落ちるのと、このドロップに手こずった。対策法が見つからなかった。