谷沢健一のニューアマチュアリズム

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長女と大阪世界陸上(その2)

2007-09-01 | 個人的な話題
 目標を持った彼女は、欧米のスポーツ医学や理学療法に興味を抱き、男性の分野と謂われる世界に挑んでいった。英語を学ぶことから始めて、やがてSTSUの大学院に進んだ。その時の目的は、NATA(National Athletic Trainers Association)公認アスレチック・トレーナーの資格取得だった。
 NATAこと全米アスレチックトレーナーズ協会は、1950年に非営利団体として設立。現役のアスレチックトレーナーと、それを目指す学生のための国家機関である。NATA公認のアスレチックトレーナーになるには、CAAHEP(準医療従事職教育認定委員会 the Committee on Accreditation for Allied Health Education Programs)の認可したアスレチックトレーナープログラム(約2000時間)を完璧に終えてから、国家試験(BOC)を受け、それに合格すると、資格が授与される。
 プロ、アマ問わずスポーツ界には必須の存在となったトレーナーは、医学的な知識をもとに、常に選手のコンディションをベスト状態に整えるプロフェッショナルである。その最高の所に位置するのが、NATAトレーナー資格である。
 その資格を取得した順子は、在米生活も10年目を迎え、野球、バスケット、アメフト、陸上競技等のトレーナーを勤めてきて、充実感に充ちた日々を過ごしているようだ。3年前には千葉国際駅伝のアメリカチームのトレーナーとして帰日した。一時、体調を崩して海の彼方へ見舞いに行けない親としては、大いに心配したが、いつのまにかすっかり回復し、テキサス州・オースチンからニューヨークに移り、ブルックリンのロングアイランド大学講師と同大学アスレチックトレーナーを兼務している。
 レンジャーズの大塚晶則投手(今季は肘の故障で苦しんでいる)やサンフランシスコ・ジャイアンツのボウチー監督(前パドレス)からもしばしば連絡が入るそうで、彼らの治療などの話は、私にもいろいろ参考になる。昨年、YBCのトレーニングコーチを勤めてくれた順天堂大の勝原君が米国の長期留学を決めたのも、アメリカで順子にアドバイスを受けたことも大きな理由らしい。
 私の人生を苦しめたアキレス腱の故障が、長女の人に尽くす人生のきっかけとなったのは、皮肉という以上に、「いかなる苦痛・不幸も、思いがけぬ喜びや幸福を生み出す」ものだと、つくづく実感している。

長女と大阪世界陸上(その1)

2007-09-01 | 個人的な話題
 8月30日、大阪長居競技場に出かけ、「IAAF世界陸上2007大阪」を女房と観戦した。というのは、実は長女の順子に会うためだった。順子は今アメリカチームのトレーナーとして、久々に日本へ戻ってきた。親として娘の時間の許す限り、積もる話も聞いてやりたいし、さらにはトレーナーの仕事振りにも関心があったのだった。
「リース・ホッファとネルソンをマッサージする時は大変なのよ」と順子。彼らは、身長2m、体重200kgもある。砲丸投げで金銀のメダルを獲った大巨漢である。
「タイソン・ゲイは、普段はとても静かな人よ。練習中も本を読んだり音楽を聴いていたり、リラックスと緊張の切り替えがうまいのよねー」100mを9秒85で走るアメリカ短距離選手が、プレッシャーを跳ね返す強さには舌を巻くものがあると言う。それに対して、陸上競技の日本人選手はどうだろうか。やはり、気に掛かると言う。
 順子は、私が引退して一時東京に居を移した時も、名古屋で寮生活を続けた。新体操部(名古屋女子大付属高)の選手として一意専心だったのだ。兵庫の武庫川女子大に進んでからも新体操はやめなかった。同時に将来の設計図をひそかに描いていった。身体のケアーやトレーニング方法の指導に夢を抱いていたのだ。
 現役時代の私のアキレス腱故障の苦しみをつぶさに見ていて、まだ幼かったがもどかしく歯がゆい思いを抱いたのだろう。大学の伊達教授からの影響も大きく、武庫川女大の姉妹校・Southwest Texas State Universityへ進学した。伊達先生のアドバイスを忠実に従ってアメリカ・テキサス州へ迷いも無く渡っていった。