やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【良識ある米人がみた日米】7 ヘレン・ミアーズと日本(3) ~複雑な満州国状況:イギリスや蒋介石は黙認~

2014年09月24日 | ~h27 生き方/文明

□引用元=雑誌「偕行」の連載記事「ヘレン・ミアーズと日本」/大場昭氏(元防衛研究所図書館長)著
□連載のリンク<123456・7・8・9・10・11・12・13・14・15> ※掲載したら順にリンクしていく。

引用

二、ミアーズの時代認識

・33年2月24日の総会でリットン報告書は圧倒的多数で採択され、33年3月、日本は連盟を脱退した。満州問題をめぐり日米関係は急速に悪化し、政治指導者や知識人の間で公然と日米戦争が唱えられるようになる。

・蒋介石もイギリスも、ソ連に対する緩衝地帯として、日本が満州を抑えることに反対ではなかった。

・日本の繁栄という点から考えれば、日本は蒋介石とイギリスと妥協した方がよほどよい。日本は原料と市場をイギリスとアメリカに全面的に依存しているからだ。
 しかし、軍はその認識に欠け、又、外交を理解していない。軍は、西欧列強が重視するのは武力だけだと信じている。それゆえ、彼らは常に武力を誇示するよう主張する。そしてトコ氏は、「やがて彼らは歯止めがきかなくなり、我々を重大な戦争に巻き込んでしまうだろう」と述べ、首を振った。

 ミアーズは、よくここまで聞き出したものである。そしてミアーズは、日本の政治の支配層である財閥(8財閥、特に三井、三菱、住友)と軍部(青年将校、在郷軍人、右翼を含む)の乖離とその危険について論じている。

三、アキコとの別れ

・日本はヒステリー症状にかかっており、それも政府が主導しているのである。

四、帰国後のミアーズ

・在日中、ミアーズは「日本人は実に影響されやすい民族で、指導者が決めたことならなんでも黙って従うが、アメリカ国民は違う」と思っていた。しかし、アメリカに帰ると、自分の国も同じ道をたどっていることに気づいた。~~
 ~~国民はラジオ、新聞、演説に煽られ、パニック状態に陥り、乱暴にねじ曲げられた歴史記述が、当然の事実として受け入れられている、とミアーズは嘆くのである。




 ミアーズは、1936年(昭和11年)ごろ、《米国民は、政府主導に因る異常なパニック状態になっている》と認識していたようですね。


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