やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【良識ある米人がみた日米】1 「ヘレン・ミアーズと日本」 一、日本との邂逅 二、著作「日本国天皇」

2014年08月14日 | ~h27 生き方/文明

□引用元=雑誌「偕行」の連載記事「ヘレン・ミアーズと日本」/大場昭氏(元防衛研究所図書館長)著
□リンク<1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・15> ※掲載したら順にリンクしていく。

 前回、【極東軍事裁判】という9回シリーズを掲載しましたが、今回の記事も、葉隠研究会と佐賀師友会の先輩であり講師でもある宮崎達三郎先生から提供していただきました。
 昭和25年の戦後生まれで、いわゆる「GHQ史観」にどっぷりと漬かって(漬けられて)きた私には、歴史認識に関してそうとう衝撃のある内容でした。
 そこで、もう一度読み直し、引用しながら考えていきたいと思っています。

 中年以上の日本人の多くは《ルース・ベネディクト:「菊と刀」については聞いたことはあるが、ヘレン・ミアーズについては初耳ではないか》、と推測していますがどうなのでしょうか?(※読書家の近所の賢人さんは知っていましたが…)
 もしそうであるならば、戦後日本社会が、それこそ江藤淳氏の言う「閉ざされた言語空間」であった(ある)ことの証ではないでしょうか?

引用

・「猪の年 日本での一アメリカ人女性」1942年、米国で出版・・・「全米の注目を一挙に集め、プリンストン大学、ダートマス大学、スミス大学などの日本学講座で必読書に指定された。

・「日本国天皇」1943年、「エールレビュー」誌に掲載・・・「戦後の対日政策に大きく影響したと考えられる」「この論考は、旅行記のエッセイストとされたミアーズの評価を一変し、ミアーズを日米関係やアジア問題の政策提言者にしてしまった。」 

・「46年2月」「連合国軍総司令部(GHQ)の諮問機関『労働政策11人委員会のメンバーに選ばれて来日し、労働基本法の策定に参加し、労働省婦人少年局の設置を主導した。」

・「来日したミアーズが見たのは、日本側の言い分を聞こうともせず、侵略国、犯罪国と決めつけ、その厳罰を意気込むマッカーサー占領軍の尊大な姿であった。また東京裁判を傍聴して、一体我々は公正な裁判官を自認できるほど潔白で聡明なのかと猛反発した。」



 
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