やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

パリの地下鉄で、日本人にだけ注意アナウンス!

2012年09月14日 | ~h27 生き方/文明

・呉  ~~(パリで)地下鉄に乗ったときのことですが、構内放送が行われ、フランス語では駅の案内が流れていましたが、そのあと主要駅では、日本語で「持ち物にはくれぐれも注意するように!」といったアナウンスが流されていました。

・竹田 「注意のアナウンスは日本語のみなのですか?
・呉  そうです。~~
 ~~
・呉  とにかく日本人は狙われやすくて、パリの警察も対応しきれないそうです。
    私にいわせれば、竹島問題もこれと同じ。自国の領土に対する日本人の無防備さ、あるいは関心の低さには、半ばあきれてしまうほどです。だからこそ、韓国側の増長を許してしまう。「竹島」といっても、どこにあるか知らない若者も日本には多いわけでしょう。  

 上は、竹田恒泰さんと呉善花さんの対談の一部抜粋・引用です。元記事は月刊ボイス10月号の 『初の「親日」大統領だとなぜ誤解したのか』。

 おそらくたくさんの日本人が、日本にいるときと同じように行動しているのでしょうね。
 「おれおれ詐欺」などが報道されてこのごろの日本人はそうとう用心深くなっているとは思いますが、まだまだ「甘い」ようですね。

 私のたった一度の海外旅行は、約25年前に、10人ほどの団体で中国の大連に行ったこと。そのときのいちばん大きな「カルチャーショック」は、お世話係りの中国人の案内で市の中心街に買い物に行こうとしているとき彼が言ったこと・・・
 「人前で財布を出したらいけません。」
 その理由は、ひったくられたり、狙われたりするから、だそうでした。

■他人を信用しすぎる?日本人

 
多くの日本人は、《いつも他人を疑いながら生きていくこと》 にたいしては、かなりの違和感やストレスを感じるのではないでしょうか?
 私もそうです。
 この数年は、出かけるときにはほとんど玄関にカギをかけるようになりました。町部や都市部では当たり前のことでしょうが、田舎に棲む私にはまだ違和感があります。

 それでも、来日して30年ほどになる中国人の○さんが、10数年ほど前に中国在住の家族のために大連市の郊外に建てた家での、《2つの住居の周りを人が乗り越えられない4mほどの高さの頑丈な丈夫な塀で囲み、門は鉄板で作り、なおかつ、敷地内でもう片方の住居に移動するときはカギをかける暮らし》 に比べれば、はるかにまし・・・

 ・・・などと思っているぐらいでは、中共や韓国・北朝鮮や、さらには米欧と対等に付き合うのはとても無理なようです。

 白状すれば、《どの国も、自国の国益最優先の外交しかしない》のだ、といくら理性が理解しても、心はなかなか納得しようとはしません。
 同じように、《外国人は日本人のようには信用できない》と、事実やデータに基づいて理解しても、いやいや、同じ人間なのに・・・と思ってしまいます。

■どうすれば

 昭和51:1976年から34年間の佐賀県での教員時代を振り返ると・・・
 最初からほぼ20年間は、子供たちに、「知らない人にもあいさつしましょう。道をきかれたら親切に教えてあげましょう。」と教えていました。
 その後、「~(同じ)~、でも用心しましょう。」となり、数年前には、
 「知らない人には決して近づいたらいけません。」とか、「道をきかれたら、腕をつかまれない距離に離れて、用心しながら教えましょう。」となりました。
 
 政治・経済、文化などのあらゆる人間活動の領域で、国際化、グローバル化が急速に進んでいます。

 もう、私たち日本人は、《外国人なみの人間不信や用心の心》 を持たないといけなくなっているのでしょうか?

 それとも、当分はまだ、《伝統的日本人の心を保ちつつも、その場に応じた理性的判断と対応》ですむのでしょうか?


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