⒃ 「差別」の描き方のちがい
ⅰ 基礎知識
<ウィキペディア:士農工商>より
・「概要
士農工商(四民)は、古代中国から用いられた言葉で、紀元前1000年頃には既に見られる。意味としては、漢書に「士農工商、四民に業あり」とあるように、「民」の職業は4種類に大別されるということになる。そして、これを連続して表記することで、「老若男女」のように、あらゆる職業の民、つまり「民全体」または「みんな」といった意味で使われる。
近世日本では、遅くとも17世紀半ばまでに「士」が武士を意味するように意味が改変されて受け入れられた。また、近代以降には「士農工商」が近世の身分制とその支配・上下関係を表す用語として認識されるようになった。しかし、1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが実証的研究から明らかとなり、2000年代には「士農工商」の記述は教科書から外されるようになった。これに関係して、「四民平等」も本来の意味(すべての民は平等)ではなく、「士農工商の身分制からの解放」という認識を前提に用いられたものであったため、教科書から消された。」
<ウィキペディア:問題>より
・「概要
元来中世から近世を通して存在した問題を処理するために明治政府は維新後の改革の一つとしてを廃止し、他の身分と同じく「平民」に編入した。しかし、他の身分の者は旧と同一の身分とされることを嫌い、「」と呼んで差別することとなった。明治・大正・昭和と時代を経て、の暮らしにおける諸問題は、表面化し社会問題となる。
第二次世界大戦後の日本国憲法における基本的人権の尊重の概念により、皇室を特別として、社会階級制度が消失した後も、多くの課題が残る。現在では、社会問題に対処するために団体・日本国政府・地方公共団体などが主張・提訴・改善・解決しようと取組む課題の総称となっている。
政治的・法的・因習文化的な諸問題を多く含む社会問題であり、現代では世系差別と地域に対する差別を同和問題という。」
ⅱ 実物コピー 1/3
※1 江戸~現代の通史になるので、まずは、各社の関係記事をすべて紹介する。そのあと観点別に比べていく。
【育鵬社】
※2 江戸時代の身分制度・・・研究が深まり、1990年代からは、それまでの「士農工商」ではない状況が明らかになっていった。したがって、全社が同じようにその新しい姿を描いている。
おおよそ30歳以上の日本人は、学校では《実像とはちがった「士農工商の身分制度」》を習っていたことになる。
そこで、特別に、育鵬社については、「江戸時代の身分制度」》の項をすべて載せる。
(明治時代)
(大正時代)
~次回、実物コピー 2/3~
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