ⅳ 明治・大正時代の差別の描き方 1/2
1 解放令
各社とも内容に大きなちがいはない。ただし、東京書籍と帝国書院は他社よりかなり詳しく説明している。
なお、教育出版の「生活はむしろ厳しくなり…」や、学び舎の「生活に苦しむ人が増えた」という表現は、《差別だけによりさらに貧しくなった》という誤解を生むかもしれない。
<ウィキペデア:問題>より
・『今日の問題研究者は、被差別が貧しくなった原因は「社会の圧迫」ではなく松方デフレであったと指摘している。
灘本昌久は次のように述べている。
「重要なことは、の貧困化は差別問題とはまったく別のところからやってきたことにある。それが、松方デフレ政策にほかならない。
1877年(明治10)に勃発した西南戦争で、明治政府は最強のプロ戦闘集団である薩摩武士を相手に多額の軍費を使い、不換紙幣を乱発したために、悪性のインフレに見舞われた。
その解決のために、松方正義大蔵卿が急激な紙幣整理というハードランディング方式をとったために、一挙にデフレになり、の製造業が壊滅的打撃を受けたのである。
決して、が狙い撃ちされて被害をこうむったわけではなく、また差別されて貧乏になったわけでもない。
解放令は、江戸時代の解放論が抜擢解放(行ないが良かったり、社会に功績のあった者から順に身分を引き上げる)とい漸進的方式であったのに対して、明治政府の出した解放令は即時無条件全面解放という画期的なものであり、明治政府が青臭いまでに革命的であったことを物語っている。
の貧困化は、そうした解放令とはまったく時期も原因もことなることにより引き起こされたのである。」』
ただし、明治維新後の、急な貧困化が、「松形デフレ」だけによるものとも思えない。皮革業の独占廃止や、末端役人身分の喪失なども影響したのはまちがいないと思う。
~次回、2/2~
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