歯医者さんでうたた寝……

2009-09-26 17:57:51 | Weblog
 夕方から歯医者。左上奥歯、二本同時治療。
 ふたをあけてみると前回相当深いところまで削ったようで、今回も削ってみて、場合によっては神経を抜くかもしれないという宣告。そもそも左上奥歯が虫歯になった記憶もないのだから、我ながらひどい話だ。
 二本いっぺんに麻酔をかけ、削り、型どりをしてもらう。無痛治療はありがたいのだが、あろうことかうたた寝してしまった。ふっと眠りに入るととたんに筋肉がゆるむから、口を閉じかけてしまって、これはもうバレますね。
 だいたい歯医者さんて目を開けているとなんだか悪いような気がして目をつむることにしたのだけど(言い訳のようなそうでないような)、そうするとやっぱり寝ちゃうんですね。
 しかしこの歳で神経を抜くところまでいくとなると、8020運動には参加できないのかと少々がっくり。
 
 帰宅して少し昼寝(?)して、また出かけるぜ。

残暑?

2009-09-24 23:55:08 | Weblog
 今週はなんだか暑さが戻ってきた感じがする。
 今日も、日差しは力強いし、湿度もあるのか歩いていると汗ばむほどだった。先週までなら、汗をかいてもすっとひく空気だったのに。
 残暑、というものでしょうかね。
 今月最大のイベント(笑)である3連休が終わってカレンダーを見ると、もう来週は10月。

白洲次郎

2009-09-24 00:40:01 | Weblog
 ちょうど「銭ゲバ」と同じ時間帯に放映されていて、最初の1時間は見られなかったドラマ「白洲次郎」。当初は8月放映の予定が、衆院選の関係でこの連休になったらしい。
 昨日は丸の内を歩きながら新橋まで来て、公園のベンチに座りながら11時半まで携帯で観ていた。
 今日は家でほぼ観られた。ビデオに撮っているから、さっさとおふろに入って早く寝ればいいものを、実はビデオで観るのはあまり好きではないので、やはり11時半まで観てしまった。人の生き様に興味が尽きない私には、こういう入り方は本当にありがたい。
 実際側にいたらクセの強い人物だっただろうけれど、それでも、一人の人の力の大きさについて考えた。志をもってことにあたること、自分の良心というものを意識し、大切にすること。しかし決して独りよがりではなく、広い視野、社会性を練られた品性としてもつこと。
 私は死ぬまでにどんなことを果たせるかな。己の使命を果たす為には、まず見つけなくちゃね。

連休最終日

2009-09-23 22:56:28 | Weblog
 そういえば、行きの電車も空いていた。
 丸の内は空いていた。どの店も外から見る限りガラガラ。当店も、一時重なったけれど、長居されるお客様もおらず、早々に店じまいとなった。
 「みんな連休の最終日は家でのんびりしたいんだよ。明日仕事だし、お金も使っちゃったしな」という板さんBのことばは説得力あり。

 そんなわけで手持ち無沙汰な板さんや厨房の人たちと普段よりおしゃべりが弾む。
 びっくりしたのは、板長と料理長と私が同級生だったこと。年齢が一つ上なのは聞いていたが、学年は一緒だったのだ。料理長は年下だとばかり思っていたから、相当びっくり。
 同級生で一人は板長、料理長、そしてフリーター。……とは単純に比較できないが、ちらと頭をかすめたのも事実。
 にしても、なんだかとってもがっくりである。何だろうね、この脱力感は。

一足先にお仕事開始

2009-09-23 13:37:42 | Weblog
 昨日の今ごろは、かったるかった(笑)。
 今日このまま休みだったらいいなあ~などと思ってもしょうがないことが30分に一度頭に浮かんだり。
 でも、行ってしまえばそこはもう働くしかないわけで、すんなりと身体が適応していた(三日しか明いてないしね)。
 いつもよりすいている電車で、早めに仕事が始まってよかったなと思った。
 今日も夜だけ仕事(休みかもという噂もあったのだけど、結局出勤。ホールマネージャーがお休みの日だから、人手は多いにこしたことはないね)。でも昨日よりもだらけ感が全然ない。よし!
 明日から二日行ったらもうお休みだし、こういう週はありがたいなあ。

3連休明けのコメント

2009-09-23 00:26:38 | Weblog
 連休夕方の丸の内はいつもと空気が違う。
 明らかに客層が違うし、にぎわい方というかテンションが違う。
 昨日より人出が多いみたい、とはホールマネージャーのコメント。
 
 いつもより早めの混雑のピークが落ち着いたころ、板長が私の顔をしげしげと眺めて「いつもと顔のいろつやが違う」。3連休明けだし、久しぶりに高尾山行ったし(笑)。

夕焼けがうつくしい季節

2009-09-22 13:59:52 | Weblog
 最近、夕方のふとした時間に空を見上げると、雲が見たこともないピンク色に染まっていたり、西の空にオレンジと黄色と水色がきれいに重なっていたりする。
 そういうのを撮っておこうと撮影ポイントに異動している間に、どんどん空の眺めは変わっていって、画面を見るころには微妙に変化していてもう違ったものになっていることもしばしば。
 本当に一瞬の出来事で、刻々と変化しているのだなあと感じる。

 で、今年は秋と言えばまず空の色で、紅葉よりも茜色の空が浮かぶ。今日は曇りだから無理かなあー。

哲学の道ならぬ思索の道

2009-09-22 00:27:32 | Weblog
 私にとって多摩川べりを自転車で走ることは、身体作りとか気分転換とかただ単に多摩川が好きとかいうのもあるけれど、淡々と漕ぎながら物思いにふける時間となっているのが多い。
 川の向こうの多摩丘陵の緑を眺めながら(時々ね)、土手の草が目に映りながら、信号や交差点がなく追い越し追い抜きすれ違いにのみ気をつけながら黙々と漕いでいると、だんだん心が自由になってきて、頭の中も風が吹き抜けるようになる。頭の中だけでなく全身も動いているのがまたいいらしい。思索、思慮を重ねていくうちにぱぁーん! と視野が開けることはしばしばだし、神さまに感謝したり、人様に感謝したりその逆にもうそのことは忘れたり、気持ちの整理がついていくことも多い。いわば私にとっての小さな哲学の道である。
 今日の帰り道もそうだった。

 働くことだけに集中し過ぎて、人としてのやさしさや感受性、やわらかい感性がだいぶ奥に行ってしまったようだ。やさしい心を取り戻すにはだれかからやさしくされないと思い出せないことがある。私にとって一瞬で人のやさしさを思い出させてくれる存在が一人いて、日野のあたりを走りながら彼女のことを思い浮かべていたら、なんだか胸が熱くなってきた。ああ、最近働くことばっかり考えていて人のやさしさあたたかさを感じる引き出しが閉まりかけていたなあとバランスを取り戻す。そして考え始めたことは、たましいをどんどんやわらかくしてくれ、目に見えないものが見えるようになっていく。
 みずみずしさを取り戻した心が感じることは、優しい振動で全身に伝わり、素直に涙になりことばになり、祈りにつながっていく。亡くなった人たちのことを考え、今生きている人たちのことを考え、神に祈り、自分を鑑み、一歩踏み出した視点で人を思い遣る。帰宅してからかけた一本の電話は、マイナスの感情から自由になった上で感じたことをことばにして伝え、主張ではなく説明を伝える。初めて相手の立場を理解できたし、泣くことができ、感じたことを素直にことばにすることができた。充分にことばを交わした上で電話を切った後、ただひたすら思いのうちと願いとを神に祈る。心の囲いと緊張、攻撃に対する身構えから解かれたからこそ感じることができたこと、文字になったことば。

 多摩川を走りながら、無意識のうちに心をほぐしていることに今日初めて気がつき、だからあんなにあの道が好きなんだ、ということがよくわかった。今まで本当に無意識のうちにそれをしてきていたんだね。