仕舞い込んでいた脳の機能

2009-09-04 01:58:36 | Weblog
 3名のお客様のところからセットメニューのご注文をいただいて、板場で「セットをダリ(4の暗号)いただきました!」とコールすると、板さんBが眉間にしわを寄せて「ダリ?」といぶかしげな顔をする。「ダリ……あゲタ(3の暗号)です!!」と慌てて言い直す。すると板さんBは初めて「はい、セットゲタ!」と他の板さんに声をかける。
 私が今行ってきた卓番から推察している。すごい!!

 とまあこんな感じでフォローしていただいて、育てていただいていることを実感するのだが(本当に仕事を覚えるまでの新人というのは手がかかってしょうがないよね。今回ほどそれを実感している仕事はありません。笑)、今日は昨日板さんBに教えてもらったことも含めて、全体を見て、その中に自分がいて自分の仕事があって、さらに全体の仕事がいかにスムーズにいくかを考えながら動き、逆算して自分の仕事に反映するという文字にすると難しそうなことに気がついた。そして、それは、以前、私自身が仕事をしながら常に心がけていたことだったとも気がついた。実に10年ぶりくらいに思い出した、である。
 決して自慢ではなく、むしろ自分の至らない話なのだが、10年ほど前までは、上司の秘書的な役割を兼務したり、またポジション的に電話応対の窓口だったりと情報が集まる場所でもあったので、自分の仕事は即ち全体の仕事の把握でもあったという時期があった。そしてそれは自然にできていたことでもあったので全然苦ではなかったし、秘書をめざそうかと思ったこともあったほどだった。
 ところが、ある部署に異動になった時。そこでは、全体の連携は求められるどころか自分の仕事(だけ)をしていればいいという土壌だった。しかも他の人の仕事の話を聞いているとだいたい進行状況がわかっていた今までとは打って変わって、会話を聞いていると「?」なことがあまりに多く、それは仕事以前の「?」で、言ってしまえばいわゆるお役所仕事とはこういうことかというレベルだった。仕事に求められる意識の違いと、「?」とがたまっていってそれはものすごいストレスになり、その時期に一気に20キロのストレス太りを経験してしまった。
 そこで私が学んだことは、「余計なことは聞かない。自分の仕事だけをすればいい」ということ。そうすることで自分を守ることしか、その時の私にはできなかったのだ。
 そうやって自分を閉ざすことで、耳から入る本来は情報であるはずの仕事上の会話であるはずのストレス源から辛うじて身は守られたが、得意分野を一つなくしてしまっていたというところだろうか。
 今は、そうしていったことで伸びなくなっていったなあとも思うのだけど、それを今日思い出した。
 もう一度、シナプスがつなげるかしら。だいぶ歳をとってしまったけれど(笑)。

 しかし、つくづく、板さんて頭いいよなあー。板さんBにそれを言ったら「オレは頭悪いけどな」と笑っていたけれど、そんなことないです。ホント、尊敬してます。