夕焼けがうつくしい季節

2009-09-22 13:59:52 | Weblog
 最近、夕方のふとした時間に空を見上げると、雲が見たこともないピンク色に染まっていたり、西の空にオレンジと黄色と水色がきれいに重なっていたりする。
 そういうのを撮っておこうと撮影ポイントに異動している間に、どんどん空の眺めは変わっていって、画面を見るころには微妙に変化していてもう違ったものになっていることもしばしば。
 本当に一瞬の出来事で、刻々と変化しているのだなあと感じる。

 で、今年は秋と言えばまず空の色で、紅葉よりも茜色の空が浮かぶ。今日は曇りだから無理かなあー。

哲学の道ならぬ思索の道

2009-09-22 00:27:32 | Weblog
 私にとって多摩川べりを自転車で走ることは、身体作りとか気分転換とかただ単に多摩川が好きとかいうのもあるけれど、淡々と漕ぎながら物思いにふける時間となっているのが多い。
 川の向こうの多摩丘陵の緑を眺めながら(時々ね)、土手の草が目に映りながら、信号や交差点がなく追い越し追い抜きすれ違いにのみ気をつけながら黙々と漕いでいると、だんだん心が自由になってきて、頭の中も風が吹き抜けるようになる。頭の中だけでなく全身も動いているのがまたいいらしい。思索、思慮を重ねていくうちにぱぁーん! と視野が開けることはしばしばだし、神さまに感謝したり、人様に感謝したりその逆にもうそのことは忘れたり、気持ちの整理がついていくことも多い。いわば私にとっての小さな哲学の道である。
 今日の帰り道もそうだった。

 働くことだけに集中し過ぎて、人としてのやさしさや感受性、やわらかい感性がだいぶ奥に行ってしまったようだ。やさしい心を取り戻すにはだれかからやさしくされないと思い出せないことがある。私にとって一瞬で人のやさしさを思い出させてくれる存在が一人いて、日野のあたりを走りながら彼女のことを思い浮かべていたら、なんだか胸が熱くなってきた。ああ、最近働くことばっかり考えていて人のやさしさあたたかさを感じる引き出しが閉まりかけていたなあとバランスを取り戻す。そして考え始めたことは、たましいをどんどんやわらかくしてくれ、目に見えないものが見えるようになっていく。
 みずみずしさを取り戻した心が感じることは、優しい振動で全身に伝わり、素直に涙になりことばになり、祈りにつながっていく。亡くなった人たちのことを考え、今生きている人たちのことを考え、神に祈り、自分を鑑み、一歩踏み出した視点で人を思い遣る。帰宅してからかけた一本の電話は、マイナスの感情から自由になった上で感じたことをことばにして伝え、主張ではなく説明を伝える。初めて相手の立場を理解できたし、泣くことができ、感じたことを素直にことばにすることができた。充分にことばを交わした上で電話を切った後、ただひたすら思いのうちと願いとを神に祈る。心の囲いと緊張、攻撃に対する身構えから解かれたからこそ感じることができたこと、文字になったことば。

 多摩川を走りながら、無意識のうちに心をほぐしていることに今日初めて気がつき、だからあんなにあの道が好きなんだ、ということがよくわかった。今まで本当に無意識のうちにそれをしてきていたんだね。

久しぶりの八王子サイクリングと高尾登山

2009-09-22 00:19:11 | Weblog
 早くに集合したので早めの解散となり、一人で少し買い物をした後自転車にまたがり、家路を目指す。最近は日が落ちるのが本当に早いねえ。
 実は、行きの道のりは自転車が重くて仕方なかった。昨日も重くて、これはまだ凝りが取れてないということがわかり、連チャンでマッサージに行ってしまった(体中をさわって「これは自転車が重いはずです」、「足の重さはこの足首の硬さにもありますね」「腕も重いですね」とのこと)。きちんとケアしないと動けないのが私の弱点。だけどしょうがない。
 昨日よりはだいぶ動くようになっていたものの、相変わらず腰は痛いし、ペダルが回らない。いつも万願寺までは40分で必ず行けるのに今朝は50分かかり、自分でも驚いた。八王子までの道でタイムは取り戻せたものの、これは山登りもきついかなあ、と内心案じていたところもあった。
 ところが歩き始めたら身体が動き始め、うまい具合にあたたまり、腰の痛みも気にならなくなってきた。それで休みも取りつつ、一丁平まで目指せたし、旧甲州街道を歩いてくることもできたのだ。八王子でお茶を飲んでいるころには全身がだるかったが、それでもゆっくり休息を取り、帰り道はいつものペースで漕ぎ続けることができたのは嬉しかった。
 自転車で走っていても全然腰は痛まないし、足も回る。あーよかった。。。日頃の仕事で筋肉がつき引き締まる一方なので安心している部分はあるが、ちゃんとトレーニングをしておかないと自転車漕いだり山を登ったりする筋肉は衰えちゃうことを実感。

青年の森の桜の木々

2009-09-22 00:08:28 | Weblog
 一丁平は、以前見た高尾山のパンフレットには桜の名所とあった。
 高尾山の桜、いつも見てみたいと強く願いながらも花粉症のため入山自体を断念せざるを得ず(一度3月の半ばに一号路を歩いていたら、夕方にもかかわらず帰宅して具合が悪くなり、翌日は一日寝ていたことがある。3月に八王子駅周辺だけでも体調が悪くなることもしばしば。侮るなかれである)、桜とスギ花粉のピークがずれるか、ずれたとしても休暇が取れないから来られないなど一度もかなったことがない。
 一丁平もずいぶん前から興味があったものの、時間と機会がなくて来られなかった。
 だから今日訪れることができて、本当に嬉しかった☆

 そして一丁平の巻き道にある青年の森(なんでこんな名前なんだ?)、気になる桜の木々が道ばたに何本もある。
 これは桜の季節にはさぞかし見応えがあるだろう。
 来年のお花見には、必ず訪れて見てみたい! と友人と約束し合った。来年のそのころ、どんな状況になっていて、どんな自分がいるだろうね。友人も。

どんぐり、もみじ、秋の花

2009-09-22 00:04:42 | Weblog
 高尾山の樹々はまだまだ緑。
 でも色は少しずつ薄くなってきている気がする。
 どんぐりの実が落ちていたところも何カ所かあったし、木によっては色づき始めているもみじの木もあった。
 萩の花が咲き始め、旧甲州街道ではコスモスが咲き乱れ、鶏頭が赤く咲いているのも見た。
 秋が来ている。

 あと半月もしたら、どう変わっているだろう。
 紅葉の季節は、どんなだろう。。。
 そんなことを考えると、また近いうちに訪れたくなるのが山の魅力かな?!