水上勉の五番町夕霧楼を読んだ。絶対今頃になって何をたわけたことを・・と文学好きには言われそうだがw 図書館で検索したら 4冊ヒットしたのだが なぜか文庫は嫌なので 単行本をリクエストしたら見事に茶色くなったやつが来た。発表が1962年だから昭和37年 借り出したのは文藝春秋刊 昭和38年初版の49年の12刷。茶色いわけである。もう45年前の本だ。これ水上勉が三島由紀夫を金閣寺のアンサーとして書いたそうで 舞台となる五番町の近くにあたしは住んでたのは先に書いた。小説の中で焼ける鳳閣寺って京都にはそんな寺は無いし焼けてもいない。奈良県吉野郡黒滝村にある真言宗鳳閣寺派の本山である。まー全然期待して無かったのである。ただ昔住んでた部屋の近くが舞台・・ってことで機会があれば読もう・・と思ってたのが今になっただけ。で これは買おう・・というか本棚に置きたい一冊になった。ネタバレするので内容については触れないけれど これは名作。読んで損は無い・・と個人的には思う。
病院で死ぬということ そして今、僕はホスピスにいる 山崎章郎著 主婦の友社刊 平成5年初版(1993年らしい) 昨日の前編に続く記録で 最初の2編は病院勤務医としての話 残りはホスピス医としての話だ。まあ誰しも死の前には平等である。昨日元中曽根首相が101歳で大往生なんてニュースが飛び込んできたが そこまで生きたいとは思わない。あと10年生きれたら それで合格かな・・と思う自分がいるのも確かではある。長く生きればそれでいいというものでは無い。毎日を精一杯生きて それで終わるのならそれはそれでいいのではないか・・と思う。まああたしの死生観なんかそんなもんだ。三度の未遂 そして大動脈解離で生死の境にをさまよったからそういう風に思えるのだろうけど。大動脈解離でほとんど死の淵・・と言っても三途の川のこちら側・・ってわけではない。ぽっかり開いた底なしの闇 まあたとえて言えばブラックホールみたいなものの淵に立って あそこに落ちたら全てが無に帰るのだな・・と思ったことだけ覚えている。この本には 来世でまた出会えるのか それとも無か?という根源的な疑問が最後に投げかけられているのだが あたしは無だろう・・と思う反面 来世があるなら また嫁はんと会いたいものだな・・と思う。さて本書も図書館で十分である。己の死生観は己で決めればいい。他者の目にどう映ろうが 政も死も自分の問題なのだから。ブラックホールの反対側はホワイトホールでそちらは噴き出すもの・・という説がある。そちら側にいけるのであれば また嫁はんと暮らしたいものだ。あと二冊 潜入ルポ アマゾン・ドット・コム と五番町夕霧楼 水上勉である。全くの余談であるが 京都に出て嫁はんと暮らし始めた部屋が 京都市上京区七本松中立売下ルである。五分も歩けば千本中立売だ。五番町夕霧楼の舞台となったのはこの少し下がったあたり。当時は歓楽街だったらしいが あたしが住んだ頃にはエロ映画館が残ってたくらいで(知らなかったのかもしれないが)もう寂れていた。数年前に部屋探しに行ったら 中立売も千本も更に寂れて当時の店はほとんど無く寂しい思いをしたものである。
ちなみに有名な居酒屋の神馬は未だ健在 千本中立売上ルにある。ここは京都でも有名な居酒屋で吉田ルイの酒場放浪記にも出てきた店。四条からはかなり離れているが 千本通はバスが走っているので行かれると良いだろう・・と言いながらあたしが住んでたころは まだ学生だったから 勘定の定かでない居酒屋なんか行ける身分では無く未だに行ったことが無いのはご愛敬である。今は多少ゆとりがあるので 年末にでも行ってみようかな・・と思っている。
ちなみに有名な居酒屋の神馬は未だ健在 千本中立売上ルにある。ここは京都でも有名な居酒屋で吉田ルイの酒場放浪記にも出てきた店。四条からはかなり離れているが 千本通はバスが走っているので行かれると良いだろう・・と言いながらあたしが住んでたころは まだ学生だったから 勘定の定かでない居酒屋なんか行ける身分では無く未だに行ったことが無いのはご愛敬である。今は多少ゆとりがあるので 年末にでも行ってみようかな・・と思っている。