西印旛沼の畔には、次の防人の歌碑があります。
「潮船の舳越そ 白波にはしくも 負ふせ賜ほか 思はへなくに」
万葉集に収載された防人の歌の中で唯一印波郡出身の詠み人によるもので、
思いがけず突然防人として招集された驚きを表しています。
防人の制度はいずれ廃止されるのですが、その後対馬や九州北部は2度の元寇を含め何度も大陸からの侵攻を受け、
その都度撃退しています。福岡出身者としては、防人などの立場で苦労された先人に頭が下がる思いです。
「潮船の舳越そ 白波にはしくも 負ふせ賜ほか 思はへなくに」
万葉集に収載された防人の歌の中で唯一印波郡出身の詠み人によるもので、
思いがけず突然防人として招集された驚きを表しています。
防人の制度はいずれ廃止されるのですが、その後対馬や九州北部は2度の元寇を含め何度も大陸からの侵攻を受け、
その都度撃退しています。福岡出身者としては、防人などの立場で苦労された先人に頭が下がる思いです。
今日は毎年恒例の盤洲干潟の大掃除です。盤洲干潟をまもる会を中心に地元後援者、市役所、
学生さんや沢山のお子さんが集まりました(約200名)。遠くに見えるのは隣の潮干狩りの人出です。
今後の探鳥会の予定はこちら
学生さんや沢山のお子さんが集まりました(約200名)。遠くに見えるのは隣の潮干狩りの人出です。
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花見川左岸の遊歩道を歩いていると、桑の木にあまり見かけない紋様のカタツムリがいました。家の図鑑で確認したところ、
似た種類はありましたが分布が関西や九州で、関東が分布域のものは見つかりませんでした。
今後の探鳥会の予定はこちら
似た種類はありましたが分布が関西や九州で、関東が分布域のものは見つかりませんでした。
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帰り道に立ち寄った「阿辰(おたつ)の墓」。臼井城主臼井祐胤(すけたね)は
死に瀕してその子竹若丸を弟の志津城主志津次郎胤氏に託した。
しかし胤氏は臼井の乗っ取りを企てて竹若丸の殺害を図る。
それを知った乳母の阿辰は竹若丸を鎌倉の建長寺に逃がし、怒った胤氏から追われて
印旛沼のヨシ原に潜むが、その時咳がでて発見され殺されてしまう。
村人はこれを憐れみ祠を建てて阿辰を祀った。その後ここに麦こがしと茶を供えると
咳が治ると言われて、やがて咳神と呼ばれるようになったとの事。
この日も数多くのお茶が墓前に供えられていました。
なお、阿辰の名は墓碑では阿多津と彫られています。
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死に瀕してその子竹若丸を弟の志津城主志津次郎胤氏に託した。
しかし胤氏は臼井の乗っ取りを企てて竹若丸の殺害を図る。
それを知った乳母の阿辰は竹若丸を鎌倉の建長寺に逃がし、怒った胤氏から追われて
印旛沼のヨシ原に潜むが、その時咳がでて発見され殺されてしまう。
村人はこれを憐れみ祠を建てて阿辰を祀った。その後ここに麦こがしと茶を供えると
咳が治ると言われて、やがて咳神と呼ばれるようになったとの事。
この日も数多くのお茶が墓前に供えられていました。
なお、阿辰の名は墓碑では阿多津と彫られています。
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