探鳥会通信

日本野鳥の会千葉県で開催している探鳥会の様子等をゆる~く、まったりお伝えします。

小櫃川クリーン作戦(2016年5月22日) その4

2016年06月02日 20時02分55秒 | その他
広大な干潟には鳥以外にも興味深い生き物がいっぱいです。小さく白く見えるのはニホンスナモグリです。

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西印旛沼探鳥会(2016年5月15日) その5

2016年06月01日 22時59分07秒 | その他
西印旛沼の畔には、次の防人の歌碑があります。

「潮船の舳越そ 白波にはしくも 負ふせ賜ほか 思はへなくに」

万葉集に収載された防人の歌の中で唯一印波郡出身の詠み人によるもので、
思いがけず突然防人として招集された驚きを表しています。
防人の制度はいずれ廃止されるのですが、その後対馬や九州北部は2度の元寇を含め何度も大陸からの侵攻を受け、
その都度撃退しています。福岡出身者としては、防人などの立場で苦労された先人に頭が下がる思いです。


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谷津干潟探鳥会(2016年5月22日) その5

2016年06月01日 11時53分06秒 | その他
北東の風が吹いて早くも青潮発生です。干潟の生き物に影響がなければよいですが。

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花見川探鳥会(2016年5月8日) その8

2016年05月24日 23時22分08秒 | その他
クヌギの木の根本には、樹液を吸いにきたオオスズメバチが交替で姿を見せています。

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小櫃川クリーン作戦(2016年5月22日) その1

2016年05月23日 19時15分08秒 | その他
今日は毎年恒例の盤洲干潟の大掃除です。盤洲干潟をまもる会を中心に地元後援者、市役所、
学生さんや沢山のお子さんが集まりました(約200名)。遠くに見えるのは隣の潮干狩りの人出です。

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谷津干潟探鳥会(2016年5月22日) その1

2016年05月22日 23時10分55秒 | その他
開会前の干潟全景 大潮で干潮は正午過ぎのため観察には絶好であったが・・。

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花見川探鳥会(2016年5月8日) その5

2016年05月21日 20時34分43秒 | その他
花見川左岸の遊歩道を歩いていると、桑の木にあまり見かけない紋様のカタツムリがいました。家の図鑑で確認したところ、
似た種類はありましたが分布が関西や九州で、関東が分布域のものは見つかりませんでした。

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谷津干潟探鳥会(2016年4月24日) その4

2016年05月21日 20時31分19秒 | その他
解散場所にナミアゲハがいました。

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三番瀬探鳥会(2016年5月15日) その2

2016年05月19日 23時42分00秒 | その他
干潟を歩くと様々な生き物の生活の痕跡が・・・。鳥以外にも色々と見えてきます。

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西印旛沼探鳥会(2016年4月17日) その5

2016年05月08日 22時14分58秒 | その他
帰り道に立ち寄った「阿辰(おたつ)の墓」。臼井城主臼井祐胤(すけたね)は
死に瀕してその子竹若丸を弟の志津城主志津次郎胤氏に託した。

しかし胤氏は臼井の乗っ取りを企てて竹若丸の殺害を図る。
それを知った乳母の阿辰は竹若丸を鎌倉の建長寺に逃がし、怒った胤氏から追われて
印旛沼のヨシ原に潜むが、その時咳がでて発見され殺されてしまう。

村人はこれを憐れみ祠を建てて阿辰を祀った。その後ここに麦こがしと茶を供えると
咳が治ると言われて、やがて咳神と呼ばれるようになったとの事。
この日も数多くのお茶が墓前に供えられていました。
なお、阿辰の名は墓碑では阿多津と彫られています。

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