2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

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わたしの2型糖尿病治療の変遷 NO.1

2015年04月22日 | 日記
 母の介護中生活での苦闘で、精神的に苦しくなり、その追い詰められた気持ちの発散に、夜中の町を走り続けたり、近所の荒川の堤(土手)に登って、涙で瞬く対岸の町の明かりに向かって、言葉に成らない「わめき声」をはっしたりして、精神のバランスをかろうじて保ったりしていた。
 事情があり、兄弟の手助けはまったく得られず。孤独な介護生活であった。
 こうしたストレスのためであろう、『過食』という現象が起きる。所謂、暴飲暴食である。
 母の健康は、時々の血液検査で、その HbA1cはしっていた。4.9%~4.8% くらいで血糖値まったくの正常であった。

 父は太平洋戦争に30歳代後半で徴収っされた。赤紙の徴収である。戦争末期若い兵士が残っていなかったので、40歳前の男まで戦争に駆り出された。戦争は、ミッドウエー海戦で日本は空母の全てを失い、制空権、制海権も奪われた。賢明な指導者であれば、ここらで戦争状態の継続の困難であることを認めて、連合国との接触の機会を設けて戦争終結への道のりを探り始めていても良かったが、国民には、『大本営発表』という形でラジオ、新聞が『日本軍の勝利』を発表し続ける。
 敗戦が決まったも同然の戦争に、軍部中心の指導者は、神風特攻隊などのことでも解るような、精神主義でアメリカのB29爆撃機の空襲に一般市民に竹槍で応戦する訓練をしたりする。
 太平洋諸島に展開する日本軍に対しては、食糧、弾薬、援護の兵士を送る輸送船が僅かあっても、アメリカの潜水艦や駆逐艦の攻撃で撃沈されて届かないので、各諸島での『玉砕』を命じる。
 こうした戦況を国民に知らせずに『勝った』と嘘の報道を続けて、中年の兵士を募り戦線へ繰り出していた。この中に私のの父親もいたのである。昭和19年8月、小笠原諸島の硫黄島へ向かったそうだが、現地に着けたのかどうかは解らない。戦後に国から骨箱が届いたが、中身は空で、木札がぶら下がっていた。

 しかし、今の政権担当者の安倍首相は、この時期の政府の中での指導者であり、戦犯として東京裁判で有罪になって、後に自民党総裁、首相になった『岸 伸介』の孫である。岸はあの戦争に罪はないと言い続けていた。当時の東京栽判の居並ぶ判事の一人で、インドの判事が、戦勝国の一方的裁判であると言ったことが報じられると、岸は後に日本に招き歓談している。岸には無駄に死んだ、当時敵対国兵士や本土の爆撃で死んだ一般人、原爆投下でしんだ一般人にたいする謝罪や反省の無い異常人なのではないかと思われる。庶民生活の経験の無い当時の官僚、政治家は資本家を含めて、姻戚関係を結び、明治以来の特権階級を形作り、その勢力は今でも機能している。


 ごめんなさい ちょっと余談が長すぎた。

 父方のことは、戦死してしまい、父とその兄が旧満州で生まれ、その両親が現地 旧満州で死亡して、5歳と3歳の兄弟は船の船長に託されて日本に帰国、遠い親戚の長野県の篠ノ井と川中島に分かれて預けられたそうで、糖尿病歴は解らない。
 しかし、遺伝は母系遺伝で残り、男の遺伝子は、その母親の遺伝子を子に残すシステムになっていることが証明されている。先祖を捜す場合は、母系の遺伝子を辿るしかないのだ。

 遺伝的な要素は無さそうなので、介護時の過食と精神的ストレスが大きな原因と思われる。
 激やせして身体がだるい状態になり、母の往診が2週間に一度あったが、その医師が異変を感じ、診療所の内科に掛かるように、命取りの病かもしれない、と言うので内科に掛かると血液検査の結果 『2型の糖尿病』と診断されて、膵臓を休める意味で『インスリン注射』を薦められた。その支持に従った。
 初めは、ノボラピックスフレックスペン30Rで始めた。
 2003年のことである。続く

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