『生きる事とは、実は辛いことの連続である。』そう考えると、常に癒しを求めることになる。
『癒される』とは、何なのであろうか。迷路にハマル恐れはあるが書いてみたい。
人間は、この地球上に『異常発生している生き物』であるのではないか。約80億人。
日本では、起きないイナゴの異常発生が、時々報じられる。
イナゴは、地中に卵として存在しているらしい。地上の環境の著しい変化に生き残りの方法として『卵』で、乾燥や高温、低温のどちらかかの温度変化の激しさを乗り越える工夫だと推測される。詳しくは、専門家のサイトへ
地上の湿度や温度を感知して、食料の草が生えている条件で、『イナゴの卵』が一斉にふ化して地上に出現する。集団化することで、外的からの攻撃を避ける習性があるようだ。成虫が飛び交い、交尾をして、すぐにふ化して、親子で草を食べつくし、何代かの世代が飛び交い、また、卵を地下に生んで消えてゆく。大量に食した草の量的な限度を知っているように消えてゆく。
この一時期の大量な発生の仕組みが、自然を破壊して営む、人類の農耕に害虫として突如飛来する。
一神教の世界観は、天地は神が創り、そこに存在するありとあらゆるものは、神が創り、地上の動植物も神が創った。その地上に、神の姿に似せて人間をおいた。
神の次に選ばれた存在の人間にとって、地上の動植物は人間の役立つために存在している。乾燥地帯で興った一神教は、高温多雨の自然や、温帯多雨の自然環境を考慮していない偏った自然観で、その神話が創られている。聖書によく出てくる、『羊飼い』という言葉は、砂漠での草を求める遊牧の民のことだろう。この生活は、羊の乳を食料として、その保存方法のチーズが特徴的だ。非常に硬い乾燥したチーズで、100年でも保存が可能という。
現在のイスラエルの国土の南の半分以上は砂漠地帯、砂ではなくて、岩石砂漠である。不毛の地である。ヨルダン河付近で灌漑農業が行われているらしい。だからパレスチナ人の居住区に入植地として占領し続けている。農業従事者のユダヤ人が豊かに生きる欲望を達成するために、パレスチナ人を奴隷のごとく扱っている。『選ばれし民』ユダヤ、となるのである。ユダヤ教(旧約聖書)。
こうして、人間は、自然界に選ばれて生きている神の子、という意識で、農耕のために、森林破壊、野性生物の生息地の破壊、野性生物の利用、家畜化が、神に許された行為として行われてきた。
この神の教えが、今のイスラエル周辺から、中東地域にしか世界観が無かった時代には、砂漠とオワシスの茂み、まばらな草原、大規模な環境破壊も無かっただろう。河川流域での農耕があったはず。なぜなら小麦の栽培をしていたはずだ。地域限定のキリスト教であれば、素朴な敬虔な信徒として存在できたはずである。
しかし、ローマ帝国が、地中海地域とヨーロッパの殆どをその支配下に置き、民衆の要望によるキリスト教の信仰を許すことになると、キリスト教は、当時の世界観では、世界的な発展を遂げる。
同じように、イスラム教が台頭する。困ったことに、聖地が同じなのである。『エルサレム』
同じ、砂漠の一神教で、基本的には良くにているそうだ。後に十字軍という組織ができて、聖地のエルサレムの奪い合いがはじまるのである。
キリスト教は、カソリックとプロテスタントの間で激しい争いがあり、カソリックがプロテスタントを大虐殺する事件が頻発する。
一方、イスラム教は、預言者ムハマドの後継争いで、分派が興り、大きくは、スンニン派、シーア派の殺し合いが今に続いている。
そして、日本である。日本は、海に囲まれている。しかも暖流に囲まれている。黒潮が太平洋を、その分流の対馬暖流が日本海に流れ込んでいる。その関係もあり、四季を通じて雨量が多く、温暖な気候である。大陸的な気候のお隣の国、韓国は、冬の寒さが激しく、緯度的には、砂漠地帯が多い関係で、度々渇水問題に直面している。日本との違いが気候風土にある。
今、世界的に注目を集めているのが、日本列島の長い縄文時代である。約1万5000年くらい続いたとされている。日本列島に多く縄文遺跡が存在するように、広葉落葉樹林地帯が平野部や、高地にも点在していたので、狩猟採集で食物が得られたようだ。その長い縄文時代に進歩してゆく土器作りの素晴らしさ、土偶の完成度の高さなど、多彩な文化が生まれていて、日本海を利用して人も物も移動していたらしい。
最近になり、縄文時代の後半では、農耕も行われていた証拠が遺跡で発見されているらしい。世界の4大文明が農耕をすることにより、河川の流域で発展するが、日本の縄文文化のように1万年の長きに渡って続いた文明文化は例がない。
それは、農耕が始まると、富の蓄積ということが可能になり、欲望のための戦いが頻発してのではないかと想像する。有利な耕地の奪い合い、収穫物の略奪、子孫を残すための女性の略奪など。戦いは次第に組織化されて大きな戦争へと進み、広大な領土を有してゆく。
日本では、大がかりな農耕文化が出来上がるのは、いわゆる弥生時代まで待たねばならない、縄文時代の遺跡の土器の中から焦げた稲が沢山出土しているので、稲作がおこなわれていたようだが、組織が大きく成り立つまでにはいかなかったようだ。
『日本列島は災害列島』。冬は日本海側の豪雪、春から夏へ向かう時期に、冬の冷たい空気と夏の暑い湿った空気が日本列島上空でぶつかり合い、梅雨前線ができて、時には、大雨が降り、河川の洪水が頻繁に起きていただろう。夏から秋にかけては、台風が近づいたり、上陸することもあったろう、古代では、死人が出るような災害である。同じように秋雨前線ができる。
日本列島の湖の殆どが、火山の噴火の際のカルデラ湖だ、鹿児島県の桜島の鹿児島湾は、カルデラが湾になっている。
その沖合の薩摩硫黄島では、南九州に集落を造っていた南の海から渡ってきた丸木舟を造る民が、住んでいた遺跡が発掘されている。その集落は、硫黄島の噴火で火砕流で全滅したらしいと言われている。この硫黄島の火山の火砕流と思われる堆積物が、南九州一帯と、一部は、現在の山口県まで、その地層があるという。
遺跡からは、丸木舟を造るための石器が出土している。この石器は、沖縄から南の台湾やフィリピンまで同じ石器が出土している。富士山も活発に噴火していたろう。箱根のカルデラの後をみると巨大な火山噴火が推測できる。かなりの被害に合ったと思われる。
地震も多発していたはずで、巨大な津波の跡が、沢山発見されている。直下型地震では、倒壊、崖崩れ、山の形が変わってしまうような山津波も多く発生したろう。
こうした天変地異に、只、火山に祈り、洪水で流されてきた巨岩に祈り、何にでも耐えた巨木に祈り。太陽に祈り、月に祈り、星に祈り、自然崇拝の精神が醸成されていったと推測される。
人間は自然の一部であるという観念が生まれてきた、という日本人の今に至るまでの自然観が、遺伝子的にねずいたのではこのころからの、長い年月ではないだろうか。
一神教が自然は人間のために存在するという開発対象の自然観とは大きく異なる観念が日本人の無意識の精神性として存在しているようである。
我々日本人には、この自然観で、何かをするときに、自然への畏怖の念がどこかに感じるるので、大きな工事をするときに自然神を意識した起工式が今に残っているのではないだろうか。
或いは、『おてんとう様に申し訳ない』『ご先祖様に申し訳ない』『己に負けて不正をしてはいけない』『嘘をついてはいけない』こんなことを何となく昔から受け継いできて、日本には性善説が存在していて、強烈な罰則のついた規制があまり存在してはこなかった。現在は随分と変化してきたが、まだ心の底に残る無意識の良い民族性ではないか。
こうした。日本列島に暮らす縄文人や、古代人は、自然の中で生かされているという観念があり、鎌倉時代には、武士が台頭するが、武士は普段は畑や田んぼを耕しているが、戦争になると槍や刀をもって戦闘員になる。その武士に仏教の膨大な経典からそのエッセンスだけの『禅』と法然と親鸞の浄土真宗(念仏、南無阿弥陀仏、と唱えるだけで救われる)が農地を耕す人達に浸透してゆき、その大地に根差す大衆からも大きな知恵のウネリが興り、日本的な文化の基礎ができあがったという人が多い。
作家の司馬遼太郎氏。宗教学者の鈴木大拙、人類学者など。日本人の自然観と仏教が相まって、日本独自の文化が醸成されてきたのだろう。
人は、家族への愛のために戦争する。平和のためと戦争する。正義のためと戦争をする。争いを辞めることができない人間の奥深い習性がある。
男女の恋愛においても、お互いに拘束し合うったり。嫉妬という攻撃的な感情が生まれる。
また女性が、出産する時に、子宮の筋肉を収縮させて子供を体外に押し出す働きをするホルモンの『オキシトシン』というものがある。この『オキシトシン』は、子供への愛着感情を増大させる働きもある。生まれたばかりの赤子は、男には異様なな感じに捉えられるが、母親は、このオキシトシンで、赤子の鳴き声ですら愛情を感じて乳腺に働き、授乳をする行為へと誘う。沢山の赤子の中から自分の子供の泣き声を認識できたりする。
元々存在する人間の攻撃性は、女性の子育てにも現れる。女性の場合は子育てにオキシトシンが愛情豊かにする仕組みができている。しかし、このオキシトシンは、赤子を守ろうとする働きもする。その結果、夫であっても手伝う子育てに常に不満を感じて攻撃的に非難をしてしまう。
特に、オキシトシンが多く出る、授乳の後では、オキシトシンが大量に出ているので、不快と思う相手に激しい攻撃性が発せられる。子育てに不慣れな夫の協力に、母親のオキシトシンが赤子を守ろうとする攻撃性が強く出てきて夫を非難してしまう。妻の突然のこの変化に夫婦の危機が訪れて、離婚率が高い状態の統計がある。
大家族制で暮らしていた過去、子育ては、女性が協力しあってしていたようだ。子育て経験者も、結婚前の女性も子育てに参加していたようだ。子供の成長率が低かった過去、沢山の子を産んだので、女性達の集団的子育てが存在していなかったら、子育てもうまくゆかなかった恐れがある。
女性が、子育てを専門的にしていた時代長く続いてきたので、子育てにあまり関わりを持たなかった男の集団は、食料集めを専門的に従事したのだろう。狩猟採集では、食料を獲得する困難なことは、どの生物にもあることだ。
フロイトの話を聞きかじっただけであるが、人間には、他者を攻撃する本能が存在して、この本能を抑制し続けると自己破壊を起こしてしまうそうだ。
原始的な脳の部分に前頭前野という脳が発達したのが類人猿である。その原始的脳の部分には、外敵にたいする恐怖心や不安感を感じる部分があるそうだ。この部分が大きく反応すると攻撃に転じるそうだ。
それ以外にも、現代人は、学校でのイジメ、大人の男社会での戦いやイジメ、女性社会でのイジメの深刻さである。イジメられて阻害された人は、自殺までする。人間の攻撃性のスイッチが入ると理性のブレーキが利かなくなる。
こうした、人間の持つ攻撃性が、集団化した場合、ナショナリズム的精神の高揚、陶酔感の増幅から必要以上に敵対する集団への虐殺行為と発展する。
ちょっと 草臥れました。時間をおいて続きを書きます。
『癒される』とは、何なのであろうか。迷路にハマル恐れはあるが書いてみたい。
人間は、この地球上に『異常発生している生き物』であるのではないか。約80億人。
日本では、起きないイナゴの異常発生が、時々報じられる。
イナゴは、地中に卵として存在しているらしい。地上の環境の著しい変化に生き残りの方法として『卵』で、乾燥や高温、低温のどちらかかの温度変化の激しさを乗り越える工夫だと推測される。詳しくは、専門家のサイトへ
地上の湿度や温度を感知して、食料の草が生えている条件で、『イナゴの卵』が一斉にふ化して地上に出現する。集団化することで、外的からの攻撃を避ける習性があるようだ。成虫が飛び交い、交尾をして、すぐにふ化して、親子で草を食べつくし、何代かの世代が飛び交い、また、卵を地下に生んで消えてゆく。大量に食した草の量的な限度を知っているように消えてゆく。
この一時期の大量な発生の仕組みが、自然を破壊して営む、人類の農耕に害虫として突如飛来する。
一神教の世界観は、天地は神が創り、そこに存在するありとあらゆるものは、神が創り、地上の動植物も神が創った。その地上に、神の姿に似せて人間をおいた。
神の次に選ばれた存在の人間にとって、地上の動植物は人間の役立つために存在している。乾燥地帯で興った一神教は、高温多雨の自然や、温帯多雨の自然環境を考慮していない偏った自然観で、その神話が創られている。聖書によく出てくる、『羊飼い』という言葉は、砂漠での草を求める遊牧の民のことだろう。この生活は、羊の乳を食料として、その保存方法のチーズが特徴的だ。非常に硬い乾燥したチーズで、100年でも保存が可能という。
現在のイスラエルの国土の南の半分以上は砂漠地帯、砂ではなくて、岩石砂漠である。不毛の地である。ヨルダン河付近で灌漑農業が行われているらしい。だからパレスチナ人の居住区に入植地として占領し続けている。農業従事者のユダヤ人が豊かに生きる欲望を達成するために、パレスチナ人を奴隷のごとく扱っている。『選ばれし民』ユダヤ、となるのである。ユダヤ教(旧約聖書)。
こうして、人間は、自然界に選ばれて生きている神の子、という意識で、農耕のために、森林破壊、野性生物の生息地の破壊、野性生物の利用、家畜化が、神に許された行為として行われてきた。
この神の教えが、今のイスラエル周辺から、中東地域にしか世界観が無かった時代には、砂漠とオワシスの茂み、まばらな草原、大規模な環境破壊も無かっただろう。河川流域での農耕があったはず。なぜなら小麦の栽培をしていたはずだ。地域限定のキリスト教であれば、素朴な敬虔な信徒として存在できたはずである。
しかし、ローマ帝国が、地中海地域とヨーロッパの殆どをその支配下に置き、民衆の要望によるキリスト教の信仰を許すことになると、キリスト教は、当時の世界観では、世界的な発展を遂げる。
同じように、イスラム教が台頭する。困ったことに、聖地が同じなのである。『エルサレム』
同じ、砂漠の一神教で、基本的には良くにているそうだ。後に十字軍という組織ができて、聖地のエルサレムの奪い合いがはじまるのである。
キリスト教は、カソリックとプロテスタントの間で激しい争いがあり、カソリックがプロテスタントを大虐殺する事件が頻発する。
一方、イスラム教は、預言者ムハマドの後継争いで、分派が興り、大きくは、スンニン派、シーア派の殺し合いが今に続いている。
そして、日本である。日本は、海に囲まれている。しかも暖流に囲まれている。黒潮が太平洋を、その分流の対馬暖流が日本海に流れ込んでいる。その関係もあり、四季を通じて雨量が多く、温暖な気候である。大陸的な気候のお隣の国、韓国は、冬の寒さが激しく、緯度的には、砂漠地帯が多い関係で、度々渇水問題に直面している。日本との違いが気候風土にある。
今、世界的に注目を集めているのが、日本列島の長い縄文時代である。約1万5000年くらい続いたとされている。日本列島に多く縄文遺跡が存在するように、広葉落葉樹林地帯が平野部や、高地にも点在していたので、狩猟採集で食物が得られたようだ。その長い縄文時代に進歩してゆく土器作りの素晴らしさ、土偶の完成度の高さなど、多彩な文化が生まれていて、日本海を利用して人も物も移動していたらしい。
最近になり、縄文時代の後半では、農耕も行われていた証拠が遺跡で発見されているらしい。世界の4大文明が農耕をすることにより、河川の流域で発展するが、日本の縄文文化のように1万年の長きに渡って続いた文明文化は例がない。
それは、農耕が始まると、富の蓄積ということが可能になり、欲望のための戦いが頻発してのではないかと想像する。有利な耕地の奪い合い、収穫物の略奪、子孫を残すための女性の略奪など。戦いは次第に組織化されて大きな戦争へと進み、広大な領土を有してゆく。
日本では、大がかりな農耕文化が出来上がるのは、いわゆる弥生時代まで待たねばならない、縄文時代の遺跡の土器の中から焦げた稲が沢山出土しているので、稲作がおこなわれていたようだが、組織が大きく成り立つまでにはいかなかったようだ。
『日本列島は災害列島』。冬は日本海側の豪雪、春から夏へ向かう時期に、冬の冷たい空気と夏の暑い湿った空気が日本列島上空でぶつかり合い、梅雨前線ができて、時には、大雨が降り、河川の洪水が頻繁に起きていただろう。夏から秋にかけては、台風が近づいたり、上陸することもあったろう、古代では、死人が出るような災害である。同じように秋雨前線ができる。
日本列島の湖の殆どが、火山の噴火の際のカルデラ湖だ、鹿児島県の桜島の鹿児島湾は、カルデラが湾になっている。
その沖合の薩摩硫黄島では、南九州に集落を造っていた南の海から渡ってきた丸木舟を造る民が、住んでいた遺跡が発掘されている。その集落は、硫黄島の噴火で火砕流で全滅したらしいと言われている。この硫黄島の火山の火砕流と思われる堆積物が、南九州一帯と、一部は、現在の山口県まで、その地層があるという。
遺跡からは、丸木舟を造るための石器が出土している。この石器は、沖縄から南の台湾やフィリピンまで同じ石器が出土している。富士山も活発に噴火していたろう。箱根のカルデラの後をみると巨大な火山噴火が推測できる。かなりの被害に合ったと思われる。
地震も多発していたはずで、巨大な津波の跡が、沢山発見されている。直下型地震では、倒壊、崖崩れ、山の形が変わってしまうような山津波も多く発生したろう。
こうした天変地異に、只、火山に祈り、洪水で流されてきた巨岩に祈り、何にでも耐えた巨木に祈り。太陽に祈り、月に祈り、星に祈り、自然崇拝の精神が醸成されていったと推測される。
人間は自然の一部であるという観念が生まれてきた、という日本人の今に至るまでの自然観が、遺伝子的にねずいたのではこのころからの、長い年月ではないだろうか。
一神教が自然は人間のために存在するという開発対象の自然観とは大きく異なる観念が日本人の無意識の精神性として存在しているようである。
我々日本人には、この自然観で、何かをするときに、自然への畏怖の念がどこかに感じるるので、大きな工事をするときに自然神を意識した起工式が今に残っているのではないだろうか。
或いは、『おてんとう様に申し訳ない』『ご先祖様に申し訳ない』『己に負けて不正をしてはいけない』『嘘をついてはいけない』こんなことを何となく昔から受け継いできて、日本には性善説が存在していて、強烈な罰則のついた規制があまり存在してはこなかった。現在は随分と変化してきたが、まだ心の底に残る無意識の良い民族性ではないか。
こうした。日本列島に暮らす縄文人や、古代人は、自然の中で生かされているという観念があり、鎌倉時代には、武士が台頭するが、武士は普段は畑や田んぼを耕しているが、戦争になると槍や刀をもって戦闘員になる。その武士に仏教の膨大な経典からそのエッセンスだけの『禅』と法然と親鸞の浄土真宗(念仏、南無阿弥陀仏、と唱えるだけで救われる)が農地を耕す人達に浸透してゆき、その大地に根差す大衆からも大きな知恵のウネリが興り、日本的な文化の基礎ができあがったという人が多い。
作家の司馬遼太郎氏。宗教学者の鈴木大拙、人類学者など。日本人の自然観と仏教が相まって、日本独自の文化が醸成されてきたのだろう。
人は、家族への愛のために戦争する。平和のためと戦争する。正義のためと戦争をする。争いを辞めることができない人間の奥深い習性がある。
男女の恋愛においても、お互いに拘束し合うったり。嫉妬という攻撃的な感情が生まれる。
また女性が、出産する時に、子宮の筋肉を収縮させて子供を体外に押し出す働きをするホルモンの『オキシトシン』というものがある。この『オキシトシン』は、子供への愛着感情を増大させる働きもある。生まれたばかりの赤子は、男には異様なな感じに捉えられるが、母親は、このオキシトシンで、赤子の鳴き声ですら愛情を感じて乳腺に働き、授乳をする行為へと誘う。沢山の赤子の中から自分の子供の泣き声を認識できたりする。
元々存在する人間の攻撃性は、女性の子育てにも現れる。女性の場合は子育てにオキシトシンが愛情豊かにする仕組みができている。しかし、このオキシトシンは、赤子を守ろうとする働きもする。その結果、夫であっても手伝う子育てに常に不満を感じて攻撃的に非難をしてしまう。
特に、オキシトシンが多く出る、授乳の後では、オキシトシンが大量に出ているので、不快と思う相手に激しい攻撃性が発せられる。子育てに不慣れな夫の協力に、母親のオキシトシンが赤子を守ろうとする攻撃性が強く出てきて夫を非難してしまう。妻の突然のこの変化に夫婦の危機が訪れて、離婚率が高い状態の統計がある。
大家族制で暮らしていた過去、子育ては、女性が協力しあってしていたようだ。子育て経験者も、結婚前の女性も子育てに参加していたようだ。子供の成長率が低かった過去、沢山の子を産んだので、女性達の集団的子育てが存在していなかったら、子育てもうまくゆかなかった恐れがある。
女性が、子育てを専門的にしていた時代長く続いてきたので、子育てにあまり関わりを持たなかった男の集団は、食料集めを専門的に従事したのだろう。狩猟採集では、食料を獲得する困難なことは、どの生物にもあることだ。
フロイトの話を聞きかじっただけであるが、人間には、他者を攻撃する本能が存在して、この本能を抑制し続けると自己破壊を起こしてしまうそうだ。
原始的な脳の部分に前頭前野という脳が発達したのが類人猿である。その原始的脳の部分には、外敵にたいする恐怖心や不安感を感じる部分があるそうだ。この部分が大きく反応すると攻撃に転じるそうだ。
それ以外にも、現代人は、学校でのイジメ、大人の男社会での戦いやイジメ、女性社会でのイジメの深刻さである。イジメられて阻害された人は、自殺までする。人間の攻撃性のスイッチが入ると理性のブレーキが利かなくなる。
こうした、人間の持つ攻撃性が、集団化した場合、ナショナリズム的精神の高揚、陶酔感の増幅から必要以上に敵対する集団への虐殺行為と発展する。
ちょっと 草臥れました。時間をおいて続きを書きます。
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