のほほんブログ

普段の生活の中のチョットしたことを話題にしていきたいと思います

亡くなってから10年

2019-11-23 | 悲しいこと
大学時代の友人、女優の吉田泰子が亡くなってから今日で10年が経ちました。
今年も1週間前にお線香をあげてきました。
突然の別れからもう10年も経ったんですね…
未だに信じられない気がします。

たまたま今日、先日録画してあったSONGS「槇原敬之 名曲カバーを聴かせる!」を観ました。
マッキーがユーミンのHello my friendを歌ったのですが、今日だからなのか歌詞が胸に沁みました。



Hello my friend

Hello my friend 君に恋した夏があったね
みじかくて 気まぐれな夏だった
Destiny 君はとっくに知っていたよね
戻れない安らぎもあることを Ah…
悲しくて 悲しくて 帰り道探した
もう二度と会えなくても 友達と呼ばせて

Hello my friend 今年もたたみだしたストアー
台風がゆく頃は涼しくなる
Yesterday 君に恋した夏の痛み
抱きしめるこの季節走るたび Ah…
淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
離れても 胸の奥の 友達でいさせて

僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ

悲しくて 悲しくて 君の名を呼んでも
めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから

淋しくて 淋しくて 君のことを想うよ
離れても 胸の奥の 友達でいさせて

悲しくて 悲しくて 君のこと想うよ
もう二度と会えなくても 友達と呼ばせて




男の子が女の子に対して歌ってる曲なんですけど、何だか自分の気持ちを代わりに歌ってくれてるような気がして。。

亡くなったときには疎遠になっていたことを未だに悔んでいる私としては、二度と会えなくなってしまったけど、やっぱり貴女を友達と呼ばせてほしいのです。
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首里城が!

2019-10-31 | 悲しいこと
首里城が!首里城が!
あの美しく赤い、豪華絢爛で漆の香りのする、首里城が!!
胸が痛い、苦しい
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デニス・テン選手の訃報

2018-07-21 | 悲しいこと
フィギュアスケートのカザフスタンの選手、デニス・テンさんがお亡くなりになりました。
ネットニュースの見出しを見て、フリーズするほど驚きました。
刺殺されたなんて信じられないです。

デニス・テン選手もとても素晴らしいスケーターでした。
いつも上位に入って来てて、滑りを見るのが楽しみだったのに…
もう見られないなんて、本当に残念です。

心からご冥福をお祈りします。
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追悼:マンデラ元大統領

2013-12-07 | 悲しいこと
12月5日、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が亡くなられました。

1994年5月、大統領となったネルソン・マンデラ氏は就任演説で「ある人種が別の人種を差別することが二度とあってはならない」と国民と世界から集まった政治家を前に誓ったのだそうです。

アパルトヘイト政策により、散々差別的な扱いを受け続け27年間も投獄され苦しめられてきたマンデラ氏。
それなのに、半世紀に及ぶ差別がもたらした暴力と憎悪の連鎖を断ち、白人社会の罪を赦し互いの融和を呼びかけたなんて・・・。

まるで神様のような人!


新約聖書の中に「互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」という言葉があります。
マンデラ氏はまさにこれを実行した人と言えますよね。

本当に素晴らしい方でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。



自爆テロを行なうイスラム教の人たちには、見習って欲しいですね。
いつまでも負の連鎖を断ち切れない、可哀想な人たち・・・。
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祖父よ、あなたは強かった

2012-01-26 | 悲しいこと
昨日、祖父の葬儀を済ませました。

昨年の夏に入院してから半年ほど。
今月22日の6時半ごろ、97歳の天寿を全うしてこの世を去りました。

年末に尿量が1日100mlくらいになったときがあり、あと2、3日かもしれないと主治医の先生に言われて伯母が夜も泊り込んでいたのですが、その後尿量が増え、少し持ち直したため今月10日くらいからは泊まっていませんでした。
食事を食べさせても全て痰になってしまい、結局痰を取らないといけなくなるため(痰を引くのはとても痛いし苦しいので、もう苦しいのは止めましょうということになり)食べさせることができず、結局点滴だけで20日以上も過ごしていました。
年末から先週までは私も1日おきに昼間の付き添いをしていたのですが、喉風邪をひいたのと仕事の都合で1週間くらい休み、ちょうど22日は私が付き添っていました。

前日の21日は呼びかけても返事をせず1日寝てばかりいたそうですが、22日は呼びかけると目を開け、話も少しでき、祖母の妹が夕方お見舞いに来たときは「ありがとう」と言ったし、尿量も500mlほどあり、特に体調が悪い様子はありませんでした。

4時過ぎに伯母に駅まで送ってもらって帰宅し夕食を作っている最中、母から「病院から電話があった」と連絡がありました。
担当の看護師さんがそばにいたようですが、眠るように亡くなったそうです。


祖父は大正3年生まれ。飛行機の操縦士になりたくて20歳で軍隊に入り、陸軍士官学校を卒業して軍人になりました。
飛行機の操縦はなかなかの腕前だったようで、太平洋戦争では軍の高官を乗せて周りを護衛機に囲まれながら軍事会議へ向かうこともあったそうです。
またインドの独立運動家、チャンドラ・ボースが亡命するときの飛行機を操縦していたのは祖父だったとか。
そしてパレンバンの落下傘部隊を輸送する任務にもあたったそうで、戦後テレビでその特集が組まれたとき、ゲストで出演したことがあり、その放映を見て戦友会が始まったらしいと、母たちは祖母から聞いたそうです。(どこまで本当だったかわかりませんが)
8月15日にはいよいよ祖父自身も特攻隊での出撃命令が出ていて、朝から飛行機の準備を整え命令を待っていたそうですが、命令が来ることはなく、終戦を迎えました。

終戦後、職業軍人は公職追放により公務員になることはできなかったため、就職には苦労したそうです。
航空会社からお誘いがあったらしいのですが、戦争を思い出すから飛行機には乗りたくないと断り、結局タクシー会社やバス会社など運輸関係の会社に勤めて、最後は社長で定年退職を迎えました。


趣味は書道と居合道。
退職後も居合道の指導は続けていました。

入院中リハビリで棒を持たされ、介護士さんに「赤い風船に向かって面をしてください」って言われると、ビックリするくらい大きな声で「えーい!」と棒で風船を叩いていました。
夢と現実が入り混じっている時もあり、ベッドの上で私たちをお弟子さんと思って指導をしたりしていました。

天気予報もよく当たりました。
飛行機の操縦に空の観測は欠かせないものだったようで、今日の天気を尋ねると雲の様子を見て教えてくれました。

若いとき自転車屋さんで働いていたことがあったらしく、毎朝私が通学で使う自転車を空気が抜けていないかチェックし、整備してくれていました。
私は全然そのことを忘れていたのですが、昨日母がそう言っていて思い出しました。

お酒も好きで、よく飲みました。
昔、酔っ払って帰ってきて家を間違えて近所の家に入ってしまい、そこのご主人を殴ってしまったこともあったそうです。

ハーモニカも得意でした。
入院するまで認知症の方のためのデイサービスセンターへ通っていて、そこで祖父がハーモニカが吹けると言ったらしく、曲を演奏したそうです。家族全員知らなくて(もちろん祖母さえ)ビックリしたのですが、家でも病院でもリクエストに答えて吹いてくれました。
ギターも弾けたそうです。これは葬儀に来てくださった祖父の姪の息子さんが母から聞いたと言っていました。


いつだったか何の話からだったかは覚えていませんが、祖父が「『ありがとう』は何回言ってもいいんだよ。」というようなことを私に言ったことを覚えています。
祖父は、病院で看護師さんにオムツを替えてもらったり身体を拭いてもらったり、とにかく何かしてもらった後にいつも「ありがとう」と言っていました。
自分自身、最後までそれを実行していたんだなぁ。。。



入院中「おじいちゃん、いつが一番楽しかった?」と聞いたら「軍隊におるときや」と言っていたので、軍歌をYOUTUBEで探して音声をダウンロードし、CDにして持って行って聞かせたのが最後から2回目の付き添いのとき。
その時はあまり体調が良くなく、全部は聞かせられなかったし少し刺激が強すぎるかな?と思って、次はおじいちゃんがよくお酒の席で歌っていたという都々逸(どどいつ)と懐メロをダウンロードし、持って行って聞かせたのが最後の付き添いのときでした。
「聴いたことある?」と聞くと頷く曲が数曲あり、ちゃんと聞こえている様子だったので、これからも付き添いに来たら聞かせてあげようと思っていたのに、最初で最後になってしまった・・・。


祖父自身が高齢のため、戦友の方たちもほとんどすでに他界され、また遠方にお住まいの方が多いし、会社勤めも現役を引退してから30年以上も経過しているので、家族と親族、そしてお見舞いに何度も来てくださっていた居合道のお弟子さんなど数人の方だけで静かに送る予定だったのですが、居合道のお弟子さんが県の連盟に連絡してくださったり、また母の友人でバス会社勤務時代の元部下がOB会に連絡してくださったり、葬儀当日の朝刊のお悔やみ欄に名前が載ったこともあり、予定より多くの方が告別式に参列してくださいました。

入院中「おじいちゃん、誰に会いたい?」と聞いたら「そりゃみんなに会いたい。誰にでも会いたい。」と言っていたので、祖父はきっと喜んでくれていたと思います。


火葬の後の収骨で、皆ビックリしたのが背骨や骨盤、大たい骨などの形がはっきり残っていたこと。
100歳に近い老人で、こんなに太くてしっかりした骨が残っているのを見たことがないと皆驚いていました。


軍歌で「父よ、あなたは強かった」という歌があるのですが、戦争を生き延びたこと、97歳になっても歩いてトイレへ行けたこと、年末に体調を崩すまでは自分の足で歩けたこと、点滴だけで(1日300kcalくらいだそうです)20日以上生き続けたこと等々・・・祖父よ、あなたは強かった。

祖母の命日は8月22日。祖父が亡くなった22日は祖母の月命日。
きっとおばあちゃんが迎えに来たんだね。
天国でもおばあちゃんと仲良くね。
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早すぎる別れ

2009-11-27 | 悲しいこと
今週23日の夜、大学時代の友達のYから久しぶりにメールが来ました。
タイトルに「Yの妹です」と書いてあり、「姉が他界しました」と・・・

あまりに突然すぎて言葉が出ませんでした。
子宮頸癌でした。

入学式のとき、たまたま隣り合わせになった私とYとKは出身県が一緒で意気投合。
講義を受けるときも、お弁当を食べるときも、いつも一緒でした。

彼女は高校から演劇部に所属し、大学でも演劇に熱中していました。
2年のとき、彼女は大学を中退。
それからアルバイトをしながら劇団に所属し、舞台女優として頑張り続けていました。

彼女は心臓が弱く、20代後半でペースメーカーを入れました。
去年の12月、ペースメーカーの交換予定を都合で3月に延期したのですが、2月に自宅アパートで倒れたそうです。

今年の4月の誕生日に子宮頸癌であることが判明、闘病が始まります。
ペースメーカーも癌治療をしながら9月(だったかな?)に交換したそうです。

切除手術以外の方法で何とか治療できないかと模索したのですが、結局切除手術を受けました。
ただその際、彼女の希望でリンパ節は切除しなかったらしいのですが、結局リンパ節から進行し、ちょうど7ヵ月後に天国へ旅立ちました。

最期は造血機能がなくなってしまい、400mlの輸血を毎週3回していたそうです。

お芝居(彼女はいつも「演劇」ではなくそう言っていました)にすべてを捧げた生涯でした。

私は彼女と2年ほどまともに連絡をとっておらず、入院していたことも何も知りませんでした。
痛み、苦しさ、気だるさと闘っていた彼女のことを思うと、何も知らなかった自分が情けなく、胸が締め付けられる思いです。

私を合わせて7人が告別式に参列。
たくさんのクラスメートたちから電報が届いていて、すごくうれしかったです。
みんな、本当にありがとう。

私たちは、もう女性特有の癌に気をつけなければならない年代なのですね。
彼女が身をもって教えてくれているのかもしれません。


彼女はいつも手紙やメールに「ずっと仲良くしてくれてありがとう」と書いてくれていました。

Y、最後は仲良しとは言えないくらい疎遠になってしまっていたけど、これからもずっと友達だよ。
こちらこそ仲良くしてくれてありがとう。
天国へ行ってもお芝居してるかな?
いつかまた見に行くね。
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祖母が他界しました

2007-08-27 | 悲しいこと
22日未明、祖母が90歳の生涯を終えました。

21日夜は実家に泊まっていたのですが、付き添いの伯母たちから電話があって駆けつけたときには、すでに息をひきとっていました。

祖母が今年3月の1回目の入院のときに書いたメモが見つかり、棺に入れて欲しいものの一覧や葬儀は簡素に・・・とあったため、家族葬で送りました。
近親者とお友達に参列していただき、無事25日に葬儀を終えました。

通夜、葬儀を通して祖母は多くの人に慕われていたんだなぁと感じました。
後悔はキリがないけど、後悔することばかりです。
祖母にとって私はたった一人の孫。
今もそれなりに幸せだけど、もっともっと幸せになるから見守っててね。
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年末に残念なこと

2006-12-30 | 悲しいこと
今週、ソウルの帝王 ジェームス・ブラウンが亡くなりました。
相方は昔からJ.B.の大ファンなのですが、今までコンサートには行く機会がありませんでした。
でも今年春に行われた日本ツアーへ一緒に行ってきました。

コンサートは昔のパワフルなJ.B.をイメージしていたので少し期待外れ(J.B.は指揮者のようになっていることが多かったので)だった部分があったのですがJ.B.を生で見、歌声を聴けたことは本当に幸せでした。
このコンサートを逃していたら、きっと一生後悔したでしょう。


70歳を超えてなお、現役でありつづけたJ.B.は素晴らしかったです。
もう2度とJ.B.に会えないのはとても残念


きっと今ごろ天国で、昔のようにパワフルに歌っていることでしょう。
God Bless You
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いつ何時も後悔しないように

2006-12-15 | 悲しいこと
今週は相方の親しい友人のお父様が亡くなって、お通夜やらお葬式やらでバタバタしました。
私はそのお父様とは2、3回しかお会いしたことがないんですが、相方の友人が泣いているのを見て、ついもらい泣き

家族を失うのは本当に悲しいことですね。
いつ何時も後悔しないよう接していきたいものです。



ブログの左下、BOOKMARKにいつも私が遊びに行っているブログを載せました。
 天然ママの天然日記
 ネコパンチ☆

皆さんも是非遊びに行ってみてくださいね。
これからも少しずつご紹介していきまーす。
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