早起き梟のひとりごと

仕事に追われる日々を少しだけ立ち止まって見つめてみると・・・

最後の場所 南嶌宏

2018-07-07 07:06:10 | 買った本

写真は、「最後の場所」南嶌宏 月曜社 3500円 税別

南嶌の書く文章は少し高揚していて微熱を帯びている。

例えば、

彫刻家澄川喜一のデザイン監修による「東京スカイツリー」が完成した。二月二十九日、閏年の、しかも東京を真っ白に染める大雪の日という、二重に私たちの視覚に揺さぶりをかけるかのように、その前日まで異様を誇っていた塔の姿を消してしまうという、逆説的な誕生を演出することで、このスカイツリーの威容としてのスケールを強調させてみせた。つまり、この塔は私たち人間の視覚に対応するのではなく、もっと別の感性に観応する表象として、ここに姿を現したというべきものだったのだ。

 そもそも塔とはいったい何なのか。もちろん、ここはその歴史への問いではない。ロラン・バルトの「エッフェル塔」にも問われる、表象として塔なるものが私たちにどのような精神活動を与えてきたかという問いのことだ。

 人間と塔。人間が塔に抱く、憧れと畏怖の混じり合う、アンビヴァレントな感情は、その見上げる塔に自分が支配されるという、ある種、新鮮な快楽、つまり、その傲慢さに気ずきながら、世界の中心に人間を置くという思想を手放せずにきた私たちが、その主従が転覆していく感覚を通して、自らの救済を得る感情そのものであり、その塔が天を貫く高さを誇るものであればあるほど、その救済の感情はより高まりを見せてきたにちがいない。そう、見えない波動を送り出す電波塔を名乗りながら、東京スカイツリーまた、人間と神の領域をつなぐ、人間救済の光の道として、いよいよそこに到来したものだったのだ。

P463から。

何を言ってるのか私にはよく理解できないが、なにやら元気を与えてくれる。

凹んだ時この本を手にとってどこでも良いから読んでみる。凹みが少しもりあがる。

南嶌宏 

私にとって貴重な文章家だ。