今日(平成25年10月14日(月))も映画「パンク・シンドローム」を話題にする。
3日間連続しての紹介となる。
フィンランドの知的障がい者4人がバンドを組んだ、パンクロッカーのドキュメンタリー映画。
昨日も山形国際ドキュメンタリー映画祭で、2回目(平成25年10月13日(日)山形市中央公民館6階、16時半から17時55分)の上映がなされた。
私が見たのは1回目(平成25年10月12日(土)山形市民会館大ホール、19:30~20:55)
だった。
思った以上に入場者がいたし、監督との質疑応答の場にも多く(50人ぐらい)が残った。
大ホールいっぱいというわけにいかなかったが、500人弱(大ホールは1200人ぐらいの客席がある)ぐらいは入っていた。
どんな興味で「パンクシンドローム」に集まったのだろう。
私は、女房と一緒にこの映画を見た。
シルバー割引使って2人で2000円のチケット購入して入場。
女房はドキュメンタリー映画に興味があるわけでない。
もっぱら、韓ドラが趣味。
ビデオに録画して一日何本も見ている。
俺だって、特別ドキュメンタリーが好きというわけでない。
ただ、俺の場合は障がい者をテーマにして、それがパンクロックをやっていると特異な題材に興味惹かれるものがあった。
当たり前でない映像が展開されているのでないかと期待したのである。
女房は、ただ、夫から誘われたからおつき合いでついてきただけである。
特別、おもしろい映画なんて期待したわけでなかった。
ところが、上映後の女房はすなおにおもしろかったと、感想を述べた。
私にとって、それは予想外の感想だった。
なぜそう思ったか。
障がい者があれだけの演奏ができることに対しての驚きだった。
それが、すごかったというのだ。
なるほどそう言うことか。
そういう感想があってもいい。
でも、私にはそうした感想に対してなんか違和感を覚える。
障がい者だって、いろんな可能性があるし、今までそうしたことに障がい者自身が挑戦してこなかったし、あるいは初めから無理だろうと挑戦させてこなかった事実を突きつけている気がする。
映画は、4人の日常(18か月間)をたんたんと描く。
それはドキュメンタリーの限界かもしれない。
いや、現実の限界といっていい。
そこに私としては、この映画に対する物足りなさを感じる。
無いものねだりである。
4人のロッカーが叫ぶ、「くそったれ!ばかにすんな!」”Fuck you!”という社会の現実があるのだ。
自分たちに対するいらだちでもある。
フィンランドという高度な福祉社会においてさえ、障がい者が満足を得られない現実がある。
逆に言えば、そうした現実があるからこそ、パンクロッカーは成り立つ。
理屈ぽい話になった。
多くの人が見られるように、一般の映画館で上映したり、テレビでも放映されたりするといいのだが。
(ケー)
3日間連続しての紹介となる。
フィンランドの知的障がい者4人がバンドを組んだ、パンクロッカーのドキュメンタリー映画。
昨日も山形国際ドキュメンタリー映画祭で、2回目(平成25年10月13日(日)山形市中央公民館6階、16時半から17時55分)の上映がなされた。
私が見たのは1回目(平成25年10月12日(土)山形市民会館大ホール、19:30~20:55)
だった。
思った以上に入場者がいたし、監督との質疑応答の場にも多く(50人ぐらい)が残った。
大ホールいっぱいというわけにいかなかったが、500人弱(大ホールは1200人ぐらいの客席がある)ぐらいは入っていた。
どんな興味で「パンクシンドローム」に集まったのだろう。
私は、女房と一緒にこの映画を見た。
シルバー割引使って2人で2000円のチケット購入して入場。
女房はドキュメンタリー映画に興味があるわけでない。
もっぱら、韓ドラが趣味。
ビデオに録画して一日何本も見ている。
俺だって、特別ドキュメンタリーが好きというわけでない。
ただ、俺の場合は障がい者をテーマにして、それがパンクロックをやっていると特異な題材に興味惹かれるものがあった。
当たり前でない映像が展開されているのでないかと期待したのである。
女房は、ただ、夫から誘われたからおつき合いでついてきただけである。
特別、おもしろい映画なんて期待したわけでなかった。
ところが、上映後の女房はすなおにおもしろかったと、感想を述べた。
私にとって、それは予想外の感想だった。
なぜそう思ったか。
障がい者があれだけの演奏ができることに対しての驚きだった。
それが、すごかったというのだ。
なるほどそう言うことか。
そういう感想があってもいい。
でも、私にはそうした感想に対してなんか違和感を覚える。
障がい者だって、いろんな可能性があるし、今までそうしたことに障がい者自身が挑戦してこなかったし、あるいは初めから無理だろうと挑戦させてこなかった事実を突きつけている気がする。
映画は、4人の日常(18か月間)をたんたんと描く。
それはドキュメンタリーの限界かもしれない。
いや、現実の限界といっていい。
そこに私としては、この映画に対する物足りなさを感じる。
無いものねだりである。
4人のロッカーが叫ぶ、「くそったれ!ばかにすんな!」”Fuck you!”という社会の現実があるのだ。
自分たちに対するいらだちでもある。
フィンランドという高度な福祉社会においてさえ、障がい者が満足を得られない現実がある。
逆に言えば、そうした現実があるからこそ、パンクロッカーは成り立つ。
理屈ぽい話になった。
多くの人が見られるように、一般の映画館で上映したり、テレビでも放映されたりするといいのだが。
(ケー)