安芸国人のフランスで嫁さん探し!

フランスでボンジュールしております。めそ
どうぞヨロシク仮面!

歴女と巡る?ラブラブ赤穂!

2016-08-15 23:00:40 | 2011-2012年度旅行
みなさん、こんばんは。




昨日は親戚の集まりがあったのですが、僕がチャイナ在住ということで、親戚から南品階やら先覚やらで批判されまくってしまいました。。。安倍内閣のせいで反中が蔓延していて、ほんま困った物です。




さて。。。




前回までのブログで姫路ラブラブ旅をご紹介しましたが、今回はその続きです。




8月2日(火)。。。




姫路観光を終えて。。。




次の目的地はちょっと迷ったのですが。。。




姫路から電車で約1時間半。。。





イメージ 1





赤穂にやってきました。。。




赤穂・・・・皆さん、ご存じ。。。





イメージ 2





忠臣蔵で有名な赤穂です。駅構内も忠臣蔵一色・・・。




駅のコインロッカーに荷物を預けて、早速観光開始です。。





イメージ 3





駅正面のロードをまっすぐ歩くこと400メートル。。。





イメージ 4





井戸がありました。。




この井戸。。。




歴女の彼女の説明によると↓。。。





イメージ 5





この井戸は、浅野内匠頭が殿中で吉良上野介を斬って即日切腹になったのを、江戸から赤穂藩へ急ぎ知らせに来た藩士がこの井戸で一服したという言い伝えがあるのよ。。




わかりやすい説明、哀を感じますね。




続いて。。。





イメージ 6





井戸から少し歩いて、細い路地を歩いてたどり着いたのが。。。





イメージ 7





花岳寺。。。





イメージ 30





花岳寺は赤穂藩浅野氏の菩提寺よ。ここには歴代赤穂藩主のお墓、それから浅野内匠頭と47士のお墓もあるわ。。。





イメージ 8





お墓と宝物の参観は有料・・・・なのですが、受付のおばちゃんは、お寺の掃除や何やらやってって、呼ばないと出てきてくれません。




入場券を買うと、おばちゃんが色々説明してくれるのですが。。




おばちゃん「あちらにお墓がありますが、真ん中の一番大きいお墓が浅野内匠頭、その右隣が大石内蔵助、左側が息子の大石主税、そしてその周りにそのほか45人のお墓がありますが、左前から●●●●、▲▲▲▲、××××・・・、あ、それぐらいのことはご存じですよね。47士全員のお墓があるので、あなたのファンのお墓を是非探してみてください」




えっ・・・・。ここって、そんなコアな忠臣蔵ファンが来るところなの???僕なんて大石親子を除いたら、堀部安兵衛とかほんまに有名な人物しか知らないんですが。。。




と思いつつ、一応「はい、わっかりました!」と答えて、まずはお墓参り。。





イメージ 9





こちらが浅野内匠頭および大石親子のお墓。。。





イメージ 10





他の方々のお墓は申し訳ないけど、一々調べたりはしませんでした。。。




このほか、別の場所に浅野家および47士の子孫、それから、浅野氏が改易になった後に赤穂の地を治めた森氏(織田信長と一緒に本能寺で亡くなった森蘭丸の兄弟の子孫だそうです)のお墓などもありました。





イメージ 11





こちらは、木像堂。。。47士の木像が飾ってありました。




全部見終わって、再び受け付けへ。。。





イメージ 12





討ち入りの際、大石内蔵助が持っていたのと同じお守り。。。。これが500円だったので、1つ買いました。




すると。。。




おばさん「これにお守り入れてね」




と言って、袋をくれたのですが。。。





イメージ 13





僕「いや、袋は結構ですよ。お守りちっちゃいから、そのまま持っていけるし・・・」




すると。。。




おばさん「いいから。いいから。この袋、忠臣蔵ファンの方にあげると、みなさん大喜びされるから」




最後までコアな忠臣蔵ファンと勘違いされてたみたい。。。です。




まあ、仕方ないか。。この日が平日ということもあったんでしょうが、赤穂はあんまり観光客いませんでしたし、わざわざここに観光に来るなんて、よほど忠臣蔵が好きなんじゃな、と思われても仕方ないかも。。




花岳寺に別れを告げて。。




しばらく歩くと。。。








イメージ 14





お堀が見えてきました。




そう。。。




赤穂城です。





イメージ 15





赤穂城は、江戸時代に作られた数少ない平城なのよ。元々赤穂の地は、姫路城を拠点とする池田氏の支配下に入っていたんだけど、池田氏改易の後、浅野氏が5万石の藩主として赤穂藩主となった際、5万石の大名にふさわしいお城がなかったので、特別に幕府から新しいお城を造る許可をもらったの。。。当時はすでに太平の時代だったんだけど、当代随一の兵学者を招いて、防御に強いお城を造ったということよ。。。ちなみに、浅野氏が改易になった後、森氏が2万石の大名として赤穂城に入るんだけど、2万石の大名には大きすぎるお城だったので、藩の財政を圧迫したというわ。。




イメージ 16





赤穂城の入り口。。。何とか門。。。あ、ここは再建されたものです。




ここで、多分定年を迎えた老夫婦に会って、旦那さんが奥さんに色々説明されていたのですが、何かすんごいレベルの高い話をされてました。。奥さんは、「うんうん」うなずくだけ。。。。やっぱここは忠臣蔵フリークが来るところだったみたいです。




門を入ってすぐ。。。





イメージ 17





大石邸。。。




そしてその裏に。。。





イメージ 18





大石神社。。。





イメージ 19





47士の石像が並んでました。。





イメージ 20





神社にお参りして。。。





イメージ 21





水みくじ。。。





イメージ 22





彼女と僕の将来をおみくじでうらなって起きました。。





イメージ 23





赤穂城本丸跡。。。





イメージ 24





建物は今はもう残っていませんでした。。





イメージ 25





あちらは天守台ですが、天守台は造ったものの、天守閣は造らなかったらしいです。。。やはり幕府への配慮でしょうか。。。そういえば、先月独眼竜正宗を見てたとき、解説で仙台の青葉山城も幕府に気を遣って天守閣を造らなかったってありました。。





イメージ 26





天守台からの眺め。。。




周りに高い建物がないので、天守台の上からでも辺りを一望できました。





イメージ 27





この後、お城を出て。。。




しばらく歩いて行くと。。。





イメージ 28





何か蔵屋敷のような建物。。。が。。





イメージ 29





赤穂市立歴史博物館です。。。




ここで、赤穂の歴史、それから塩、赤穂の上水道について勉強しました。。。赤穂の城下町は海に隣接してることもあり、井戸水が飲めなかったので、山から水を引いて、それを井戸からくみ上げて飲料水としていたとのことで、上水道が非常に発展していたようです。




以上、今日はここまで。




次回は運命の出会いが待ってました。。ナンパ写真もありますよ。




お楽しみに。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿