肥後六花・菊
氏より育ち
=人間形成にとって大切なのは、家柄や身分ではなく、
環境や教育、本人の努力だということ=
==================================================
「善かれと思って」
善かれと思って、はからったことが、善かれと思ったよにならなくて、思いもかけぬ反対の結果を生み出すことが、しばしばある。
思いが足りないのか、はからいが足りないのか、それにはいろいろと原因があるのだろうが、よくよく考えてみれば、やっぱりそこには、何らかの策を弄したという跡が目にうつるのである。
善意の策も悪意の策も、策は所詮策にすぎない。悪意の策は、もちろんいけないけれども、しかしたとえ善意に基づく策であっても、それが策を弄し、策に堕するかぎりは、悪意の策と同じくまた決して好ましい姿とは言えないであろう。つまり、何ごとにおいても策なしというのがいちばんいいのである。
無策の策といってしまえば平凡だけども、策なしということの真意を正しく体得して、はからいを越え、思いを越え、それを自然の姿でふるまいにあらわすには、それだけのいわば悟りと修練がいるのではなかろうか。
おたがいに事多き日々、思いもかけぬ悩みを悩む前に、時にはこの策なしの境地というものに思いをめぐらせ、心静かに反省してみたいと思うのである。
「誰がちゅきかな?」
孫、来年の三月で満三歳になる。
今、一番可愛い盛りである。
「Sちゃんは誰がちゅきですか?」
「ジィーたんがちゅき」
ホォー・・・何と可愛いんだろう 涙が出そう!
そこに、家内が「Sちゃん・・バァ~ちゃんが好きよね」だって!
今「ジィーたんが好き」と言ったの聞こえなかったの・・・
孫「バァ~たんがちゅき」トホホホ
ジィーたんちゅきはどうなったの
嫁「Sちゃんは。ジィーちゃんもバァ~ちゃんも好きだよね?」
「ママが一番ちゅき」オヨヨ!
世渡りの上手な孫である・・・・
でも・・・可愛いのであるがジィーが一番じゃないと駄目!
「Sちゃん・・・ジィーと消防車買いに行こうか?」
「ジィーたん ちゅきかな?」
「ジィーたん・・・だいちゅき」
後は・・・誰も何も聞くな・・・