ごちゃまぜなぶろぐ(goo Ver.2.0)

灯台・ツーリング・写真など、取り留めのない内容ばっかりです。

'01北海道ツーリング(6月24日~6月26日)

2010-06-09 23:06:26 | ’01北海道ツーリング

【6月24日】 中富良野→美瑛

朝目が覚める、これまでの疲れも感じなくなっていた。久しぶりに良い朝、宿で朝飯を食べた後に出発した。

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この日は美瑛町に宿を予約してある、せっかく北海道に来たのだから、富良野・美瑛に行ってみようと思ったのだ。

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まずは十勝岳へ、国道237号から道々291号へ走り十勝岳温泉へと向かう。温泉に入ったかどうか記憶は残っていないが、この場所でバイクのエンジンが掛かりにくかったのを覚えている。高所で酸素も薄く、空冷のバイクにはご法度な場所だった。

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その後は「北の国から」で有名になった吹上露天の湯へ向かう、この時もかなり人が多かった。確か2個浴槽(風呂)があった、かなり湯温が高かった記憶がある。

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どうせだから十勝岳の展望台にも行ってみた、山頂はガスっていたが残雪の残る十勝岳は雄大だった。

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十勝岳から道々966号→国道237号と走り旭川市を目指す。途中のカメラのキタムラでAPSのフィルムを購入し、ツーリングマップルに載っているラーメン屋に向かうが、散々迷った挙句に到着出来ずだったので、近くのラーメン屋に入った。かなり美味いラーメンだった、もう一度このラーメンを食べようと思い、翌年以降何回かこの店を探したが、当時の記憶も曖昧でこのラーメン屋には未だに行けず仕舞いだ。

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食後にJRの旭川駅へ行き、国道12号を走りその後に神威古潭へ向かう。蒸気機関車が展示してある、今は廃線だが駅があった場所だった。

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神威古潭を後にし、国道12号から旭川市内を通り国道237号を南下し美瑛町へ。空は曇ったままだった、まずは北西の丘へと向かった。富良野や美瑛はやはり人が多かった、大型バスなんかも多かった。

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今度は近くのケンとメリーの木へと向かう、人の多さは相変わらずだった。

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どうせだからとセブンスターの木へも行ってみたが、ここも観光客だらけ。遠目に撮影だけを行い、後は周辺をぶらぶらと走り、この日に予約してある「美馬牛リバティーユースホステル」へと向かった。

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道内でユースホステルに泊まったのはここで2箇所目、手続きを済ませ部屋へと案内された。これまで泊まってきた宿(とほ宿)とは全くの別世界、バイクで一人旅は自身だけだった。他はでっかいスーツケースを持って旅行に来ている女の子や、着飾った服を着て旅行している野郎共ばっかり。えらい場違いな所へ来てしまったと後悔、話などもしたが会話は常に平行線と。

晩飯の後は部屋にこもり、明日の計画だけを立ててこの日は早々と寝る事にした。

この日の走行距離 中富良野→美瑛 187.1Km

これまでの走行距離 自宅→美瑛 3,016.8Km

【6月25日】 美瑛→サロベツ原野

この日は朝飯を食べた後すぐに出発した、この日は道内で初めて泊まったとほ宿「あしたの城」まで移動する事にした。翌日に礼文島に渡る予定にしていたので、少しでも稚内に近づこうと思っていたのだ。

美瑛からは国道237号から国道40号を北上、士別市に入った辺りから道々976号へと走り朱鞠内湖を目指す事にした。道々976号→道々729号と走っていたが、途中で道路が封鎖されていたので、来た道を戻り再び国道40号へと戻った。名寄市内を抜け更に国道40号を北上する。美深町に入り、道の駅・びふかでようやく昼飯と休憩をする事にした。

道の駅で昼飯を食べバイクまで戻ると男女カップルのライダーが居た。話をすると、彼らも明日に礼文島に渡るとの事だった。その後も少し話をし、再開を願って道の駅を後にした。美深町→音威子府町→中川町と国道40号を走り続け、天塩町から道々444号へと走った。サロベツは2週間ぶり、まさかこの場所にもう一度来るとは思わなかった。レストハウスサロベツで小休止、いももちを食べた。

その後に「あしたの城」に到着、この日はライダーが多く話も盛り上がった。この時に泊まり合わせたライダー「め〇ま氏」とは、翌々日に礼文島で再開をする事になる。そのライダーとは今でも年賀状のやり取りは行っている。多くのライダー、JRでの旅人、車で旅をしている人など、これまで泊まってきた宿の中で、1番楽しい日だった。

※この日は移動日だったので、写真を1枚も撮ってはいなかったが、1番思い出のある日でもあった。

この日の走行距離 美瑛→サロベツ原野 278.8Km

これまでの走行距離 自宅→サロベツ原野 3,295.6Km

【6月26日】 サロベツ原野→礼文島

昨日の勢いで、この日も客同士で朝からワイワイと賑やかだった。朝飯を食べた後に宿の玄関前で記念撮影を行った、その後に自分の礼文島に行くのに稚内港まで一緒に行こうという事になった。ライダー以外にもJRで旅をしていた女の子もバイクの後ろに積んで同行。残念ながら自身のバイクではなく「め〇ま氏」のバイクへ、因みに「め〇ま氏」は同じバイクに乗っていた。

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あしたの城から道々444号→道々106号(オロロンライン)と走る。この日は霧が発生していて視界が非常に悪かった、途中にあしたの城のオーナーに教えてもらった海岸沿いにある花が咲いているスポットへ寄ってみた。この時は海岸沿いにエゾカンゾウが多く咲いていた。その後も海岸沿いの道々106号を走り、途中から道々254号へと入りノシャップ岬を経由して礼文・利尻行きのフェリー乗り場がある稚内港へと到着した。

ここで皆とお別れをし、フェリー乗り場の前にある駐車場(屋根付き)にバイクを止めた。必要な荷物だけを持ち待合室へ向かい乗船券を購入、暫くしたら昨日美深町であったカップルライダーと合流した。彼らはバイクで礼文島に行くとの事だった。そしてフェリーは出航、約2時間の船旅だった。

この日は桃岩荘ユースホステルに泊まる、この前に泊まったえりも岬ユースホステルと併せて、北海道の「3大きちがいユース」の内に2箇所に泊まる事になる。ここに来るまでの間に、色んな場所で桃岩荘ユースホステルの噂は聞いてきた。昨日のあしたの城でもライダーに聞いていた、不安よりは楽しみのほうが強かった。

フェリーが香深港(礼文)に到着すると、旗を振ったり踊ったりしている連中が居た。これが桃岩荘ユースホステルのヘルパー連中の見送りと歓迎の儀式らしく、それは賑やかなものだった。到着後すぐに送迎してくれるとの事だったが、昼飯を食べるためにもう一便遅らすことにした。香深港の近くにあった「千鳥」、ここも昨日あしたの城で聞いていた食堂。ホッケのチャンチャン焼きが美味しいと、注文して食べてみたが情報通りかなり美味しかった。

食後にフェリー乗り場に戻ると、先ほどの桃岩荘ユースホステルのヘルパー連中が居た。フェリーの到着を暫く待った後に送迎してもらえる事に、たしか「ブルーサンダー号」とか云う幌付きのトラックの荷台に乗せられたな。

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ユースに着くと更に歓迎の儀式があった、ここは昔の鰊番屋だった跡がユースホステルになっている昔ながらのユースホステル。まず受付でユースの会員証を預けた、帰る時にシーツと枕カバーと交換、ホステル内は禁酒だそうだ。携帯も同様で、晩飯を食べた後の食器は各自で洗う。極めつけは晩飯の後のミーティング、関西人の我われにはそれほどではなかったが、合う人と合わない人の差は大きいだろう。昔ながらのミーティング、全員で歌って踊る。ミーティング終了後は、桃岩荘ユースホステルの「愛とロマンの8時間コース」の説明が行われた。これに参加する予定で来た礼文島、この時は参加人数が多く2つの班に分けられた。確か「あほ組」と「もも組」だったかな、各班毎にリーダーを決めて、礼文島の最北端のスコトン岬から南にある桃岩荘ユースホステルまで歩く訳である。

明日に備えて早めに寝る事にしたのだが、昔ながらのユースはきちっと就寝時間には全ての電気が消された。

この日の走行距離 サロベツ原野→稚内 53.3Km

これまでの走行距離 自宅→稚内 3,348.9Km