松江市のゼロ磁場

役行者の山伏です。千日行をして松江の西方の陣賀山に新しくゼロ磁場を発見しました。
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ゼロ磁場 修験道 大人になると親の恩を忘れる

2008年09月09日 | Weblog

ゼロ磁場は役行者(えんのぎょうじゃ)が示された聖地です。大日如来の化身です。その教えは「この世で、悩んでいる方で、私を信じる人を救う為また豊な生活ができるようにする為つかわされた」です。<o:p></o:p>

 よく大人になると、親の恩を忘れるといいます。貴方には実感がありませんか、自分ひとりで大人になったと思いがちです。たとえば父母は自分の事は顧みず。ふるくやぶれた服をつけていても、子供には着飾りさせたいという親の心情があります。 「父母恩重経」ではこのことを「やや成長して朋友と相交わるにいたれば、父は衣を求め帯を求め、母は髪をくしけずりとどりをなで、己が美好の衣服は皆子に与えて着せしめ、己はすなわち古き衣、破れたる着物をまとう」といっています。<o:p></o:p>

 しかしこの幸せな期間も過ぎて、大人になると、親の恩を忘れます。結婚すると、男は豹変し、父母と疎遠になる場合が多い。そのため最近では、長男であっても、父母と同居するケースは少なくなっている。両親と別居して暮らすので、子供ができても親は孫の世話もできない。そのため育児ノイローゼになるかたもある。<o:p></o:p>

 このことを{父母恩重経}ではつぎのようにかいている。<o:p></o:p>

「父母年高けて、氣老い力衰え塗れば、よる所の者は唯だ子のみ、頼む所の者は唯だ嫁のみ、然るに夫婦共に朝より暮れにいたるまで、いまだあえてひとたびも来たり問わず」<o:p></o:p>

 子供が両親の家を訪ねない。それが健康で、経済的に余裕のあるときはまだ良いが、病気になり、どちらかが亡くなって、一人で暮らすことになったら、本当に寂しいものになっていく、息子や嫁が訪ねてこない。このようなときこそ苦労して育て上げたわが子にそっぽ向けられることこそ悲しく寂しいことは無いのです。<o:p></o:p>

 親はこのようになるわが子にいつまでも遠慮する必要はありません。親子がクールになりつつありますが、一概に悪いといえません。今はまだ親が子供に遠慮しているひとがおおくいます。子供に迷惑をかけたくない。と思っている方も多いのですが、せっかく苦労して育て上げた子です。当然老いたら子供が世話をするのは当然です。親孝行をさせましょう。しませんね!!!<o:p></o:p>

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