わたしは参道が大好きです。 ゆっくり参道を歩いていると、(早く歩けません) 歩行瞑想ができて、気持ちよく毎日、参道を歩くことができます。
杖なしで歩きたいと思って毎日少しずつ、数歩は杖なしで歩く練習をしています。 病気の時 7歩 10歩と監督付きで歩いたことを思うと、参道を杖なしで歩く練習
は気持ちが良いものです。 日一日と若返るようです。 森村誠一著「老いへの挑戦」 を続けます。 「あれもしたい、これもしたい。あそこに行ってみたいし、
こんなものも食べてみたい。若い時ならばすべてが叶います。たくさんのじかんとたいりょくがのこされているのですから、同時にいくつものことができるし、五年十年
後の計画だって立てることもできる。ただしどこかで必ず限界はやってくるものです。その現実を十分に踏まえながら人生を組み立てていかなければなりません。
自分のやりたいことに優先順位をつけ、一つ一つのことを充実させていく。そういう意識に変えていくことが必要だと私は思います。 人生に積み残しが有るのは
しかたのないこと。すべてを積んで旅立つことなどは実際にはできないのかもしれない。だからこそ、重みのあるものを先に積んでおきたい。自分にとって
大切なものだけは、積み残したくないと思っています。」
今の私は87歳 今までの人生でやりたいことはすべてやってきて、人生に悔いはないと思っていたのですが、やはり重みのあることが残っています。パンデミックで
嫌というほど味わっています。 ゼロ磁場に参拝者が激減している現実です。 参拝者が増えるように願っている毎日ですが、パンデミックは人々をゼロ磁場から
遠ざける方法で動いています。 必死に食い止めることが最大の願いです。少しづつ叶えられるような状態になりつつあります。 わたしのブログ
アクセス数は毎日1000件以上あります。この方々のお参りを願って毎日参道を歩いて、歩行瞑想をしています。
最大の難関は「小鶴さん」の供養 のための大護摩です。 二の丸 で 松江城築城の時「人柱」 ななられた「小鶴さん」 を松江市民として、山伏として、
「小鶴さん」の 謝罪護摩供養です。 これが私に残された最後の重みある 「やりたい」ことです。 皆様方ご協力ください。
中村天風哲学では「川が流れるのは水源があるためだ。 水源のない川はあり得ない。 我々の存在は、我々の命を持つ源がこれを保っている。 その源が宇宙本体である。
その宇宙本体と常に結ばれている自己を、明瞭に意識して生きると活きないとでは、結果に置いて、どれだけ大きな差ができるかわからない。だから理想は常に気高く、
本当に価値の高いものでなければならない。」
人生を変える言葉では「小さきものよ。 不幸ななそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸に占めて、人の世のたびに登れ。 前途は遠い。そして暗い。
しかし恐れてはならぬ。恐れないものの前に道は開ける。 行け。 勇んで。 小さきものよ。」
カーネギー名言では「私はあなたのいく道をついていこう。手に手を携えよう。 あなたが私を助けてくれれば、私もあなたを助ける。 私たちはこの世に長くはいない。
まもなく「死」という優しい子守女がやってきて、私たちを見なゆりかごで眠らせてくれる。だからこの世にいるうちに人を助けよう。」
杖なしで歩きたいと思って毎日少しずつ、数歩は杖なしで歩く練習をしています。 病気の時 7歩 10歩と監督付きで歩いたことを思うと、参道を杖なしで歩く練習
は気持ちが良いものです。 日一日と若返るようです。 森村誠一著「老いへの挑戦」 を続けます。 「あれもしたい、これもしたい。あそこに行ってみたいし、
こんなものも食べてみたい。若い時ならばすべてが叶います。たくさんのじかんとたいりょくがのこされているのですから、同時にいくつものことができるし、五年十年
後の計画だって立てることもできる。ただしどこかで必ず限界はやってくるものです。その現実を十分に踏まえながら人生を組み立てていかなければなりません。
自分のやりたいことに優先順位をつけ、一つ一つのことを充実させていく。そういう意識に変えていくことが必要だと私は思います。 人生に積み残しが有るのは
しかたのないこと。すべてを積んで旅立つことなどは実際にはできないのかもしれない。だからこそ、重みのあるものを先に積んでおきたい。自分にとって
大切なものだけは、積み残したくないと思っています。」
今の私は87歳 今までの人生でやりたいことはすべてやってきて、人生に悔いはないと思っていたのですが、やはり重みのあることが残っています。パンデミックで
嫌というほど味わっています。 ゼロ磁場に参拝者が激減している現実です。 参拝者が増えるように願っている毎日ですが、パンデミックは人々をゼロ磁場から
遠ざける方法で動いています。 必死に食い止めることが最大の願いです。少しづつ叶えられるような状態になりつつあります。 わたしのブログ
アクセス数は毎日1000件以上あります。この方々のお参りを願って毎日参道を歩いて、歩行瞑想をしています。
最大の難関は「小鶴さん」の供養 のための大護摩です。 二の丸 で 松江城築城の時「人柱」 ななられた「小鶴さん」 を松江市民として、山伏として、
「小鶴さん」の 謝罪護摩供養です。 これが私に残された最後の重みある 「やりたい」ことです。 皆様方ご協力ください。
中村天風哲学では「川が流れるのは水源があるためだ。 水源のない川はあり得ない。 我々の存在は、我々の命を持つ源がこれを保っている。 その源が宇宙本体である。
その宇宙本体と常に結ばれている自己を、明瞭に意識して生きると活きないとでは、結果に置いて、どれだけ大きな差ができるかわからない。だから理想は常に気高く、
本当に価値の高いものでなければならない。」
人生を変える言葉では「小さきものよ。 不幸ななそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸に占めて、人の世のたびに登れ。 前途は遠い。そして暗い。
しかし恐れてはならぬ。恐れないものの前に道は開ける。 行け。 勇んで。 小さきものよ。」
カーネギー名言では「私はあなたのいく道をついていこう。手に手を携えよう。 あなたが私を助けてくれれば、私もあなたを助ける。 私たちはこの世に長くはいない。
まもなく「死」という優しい子守女がやってきて、私たちを見なゆりかごで眠らせてくれる。だからこの世にいるうちに人を助けよう。」