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**アカシアの木蔭で**

流れていく時間と逆らわずに流れていく自分を、ゆっくりペースで書いて行こうと思います

インフルエンザ予防接種 予約開始

2006年09月26日 | 病棟
始まりました。
接種のピークはまだまだ先ですが、今年もお子さんが多いのかな?
さくらさんのBLOGを読んで、去年の戦争状態を思い出しました。

勤め先は、子供の接種料金が非常に安いので
幼稚園や学校が終わる3時頃から 子供たちが大挙してやってきます。
一台の車に5,6人の子供を乗せて、いっぺんに済ますゾ組も多いので
冬だけは小児科のようになります。
トラブル(?)も多々あり。
先生は 男の子にボコ殴りされて、二回目の接種前は密かに溜息ついてたし、
外まで逃げ出した子供を追いかけて息切らしたり、
打ち終わった途端腕を振り切られ、注射の針だけが腕に刺さったままなんていう
青ざめるようなことも・・・。
お母さんたちは抑制が甘いことが多いので、途中からは看護婦が抱きかかえました。
優しく抱っこに誘い、ひざに座った途端がしっと身動きとれなくしちゃう。
(あっ、しまった!)そんな顔でこちらを見てる間に
婦長が早業でブスッと・・・。
泣かれないで終わると つい(勝った・・・)という気持ちになる。
今鼻ふくらんでなかったかな、と反省したり。

今年はどんなことが起こるかな?

旅行だとぉ~!?

2006年09月26日 | 病棟
菊さん94歳。
危ない状態になってから もう1ヶ月を過ぎる。
家族はナチュラルコースを望み、積極的な治療は何もしていない。
看る家族も70歳を超え、体力的に限界があるだろうと受け入れたが、
明治生まれは底力が違う、菊さん まだがんばっている。

そんな菊さんに 家族が「もう逝きな。早く逝きな」と話しかけているところを
スタッフは何度も耳にしている。
いくら大変だからって、そりゃ無いだろう!
密かにみんな憤慨してた。

昨日家族が「お婆ちゃんを あと一ヶ月生きられるように治療してくれ」と
言って来た。
理由は、「来月初めと中頃に旅行の予約をしているから
葬式があるとキャンセルしなくてはならず、困る」から。

がんばれ菊さん!命の限り思い切り生きちゃえ!!
まわりのことなんて 気にするな!!

ランナーズハイ

2006年09月26日 | 病棟
てふさんが 突然多弁になり笑い続けた。
午前中は苦しそうに呻くばかり、
触れば「いたい~」とか細い声をあげるだけだったのに。

「嬢ちゃんはいくつ?
 遊びに来てくれたのに ごっそうも出来ないで悪いねえ。
 お金はあるんだけど 取りに行けないんだよぉ。
 今日はいいお日柄で・・
 お弁当持ってあそこ行ったの、楽しかったねぇ・・・」

過去の記憶とどこかの誰かをごちゃ混ぜにしながら
見せたことの無いような満面の笑顔で 手を握ってくる。

「・・・エンドルフィン、充満してるみたい」
「・・・ランナーズハイ状態?」
「ドーパミン、ドパドパ・・・なんちって」

決して良い状態じゃない。
血圧はKEEPしているものの、トータル尿量300ml/日。
毎日その量は減り続けている。
全身浮腫がひどく、眼球すらゼリーのようになっている。
SPO2も時折急に78%に下がったりする。
完全にターミナルのナチュラルコースの患者さんなのだ。

ここ数週間、きつく瞑った瞳と眉間の縦じわしか見てない。
こんなに可愛らしい笑顔、してたんだ。
不吉なものを感じながら
でも神様が与えたつかの間の安らかな時間を満喫させるべく
助手&看護婦で入れ替わり立ち代り 訪室して相手をすることに。

97歳、童女のようなこの笑顔が少しでも長く続きますように・・・。

救急車搬入あり

2006年09月11日 | 病棟
昨日は病棟一人日勤、なのに午後に救急車搬入がありました。
外来はもちろん開いてなく、ほんとに看護婦・ヘルパー各1名。
当直のドクターが一人いてくれたので、よかった!

とは言っても、やることは山のようです。
救急隊から連絡を受けて患者の状態をきき、部屋の準備。
97歳と高齢のためエアマット入れて、
嘔吐しているから念のため吸引と酸素も準備。
レントゲン装置と現像機を始動させ、
あ、CRPと末血の機械も始動して測定キットを温めておかなくちゃ!
到着まで時間がかかったので、電子カルテを開き情報収集。
部屋の名札や入院患者の事務的な書類登録を済ませておく。

救急車到着。
ストレッチャーのままレントゲン室に通し胸腹部撮影。
腹満著明で圧痛も強い。・・イレウス?便秘?
しまった、聴診器を首に下げておくんだった、と後悔。
皮膚の乾燥もないし血管もしっかりしてる、脱水は大丈夫そうだ。
とりあえず本人意識ははっきりしているし、嘔吐も止まっている。
病室に運んでベッドに寝かせて、バイタルをとる。
発熱なし・血圧正常。
指示の点滴を用意し、ルート確保。ついでに採血。
血液を末血とCRPにかけ、レントゲンの現像をする。

ドクターがデータを見ているうちに、家族にアナムネをとる。
気持ちがついて行かないのかちっとも要領を得ず、時間がかかる。
連絡先の電話番号すら出てこないので、了承を得て携帯電話を見せてもらう。
焦るし時計が気になるけど、努めて優しく笑顔をつくる。
昨日多量に排便があった、と。嘔吐も一回のみ。
レントゲンではガスも便もたくさん溜まってるけど
腹鳴は聞こえてるし、直腸までガスが降りてきてる。
腸は動いてるみたい。

申し送りまで15分。
他患の経管栄養のボトルはまだ繋げていなくてぶら下がったまま。
1時間遅れてるけどしょうがない、送った後にしよう。

やっとのことで申し送りをし、家族に入院の持ち物等説明をする。
尿失禁しているのにオムツや着替えも無く、手ぶらで来てしまっていた。
寝衣を貸し出し着替えさせる。
それからやっと残ってる通常の日勤の仕事に取り掛かる。
栄養繋いで薬を注入。記録をしてから食伝の書き換えと明日の点滴の準備。
それから使った機械類の後始末。
外注の血液の検査伝票も書かなくちゃ。
最後にレントゲンや採血結果などを一まとめにして、院長の机に置いておく。
きっと朝一でチェックしたいだろうから。

朝は地下室に水漏れが発生し、書類に降りかかっていたため
重たい段ボール箱をせっせと移動させなくちゃいけなかったし
とんでもない一日だった。







生きる気力

2006年05月28日 | 病棟
Kさんが夜中にひっそりと旅立ちました。
ラウンドの合間のたった一時間の間に
誰にも世話をかけず 静かに逝ってしまいました。
エコヒイキはいけないのですが
いつも穏やかな空気を纏ったKさんが わたしは大好きでした。

Kさんは昨日まで元気に畑仕事をしていたのに
急に寝たきりの状態になったのに気持ちが付いていけませんでした。
それでも最初は 若かった頃の話を不自由になった言葉で話してくれたり
大相撲の取り組みを楽しみにTV観戦しました。
それが嚥下反射が極端に悪くなり食事が取れないことが分かって
胃婁を造らなければならなくなり
家族が 自宅では介護できないのでどうしようか と相談を始めた頃から
Kさんは話すことをやめました。
TVを勧めても首を振り、一日中目を閉じたまま。
でも寝ているわけではないのです。
心配して助手さんは
 「Kさんは私のお父さんによく似てるの。
  Kさんがいるこの部屋に来るとほっとするの。
  いつまでもお世話させてくださいね」と話しかけ
胃婁になってからグンと生きる気力を無くしたように感じていた私は
マウスケアに濃く出したお茶を使って
せめて味わうことを楽しんで欲しいと願ったりしていたのでした。

10日ほど前、久しぶりにKさんの声を聞きました。
「・・・イ、イエ・・・カエリタイ・・・」
目尻に溜まった93歳の男の涙の重さに
もう少し元気になったら、とついた嘘は
あれで良かったんだろうかと悔やまれます。
正直に現状を伝え、それでも残された可能性を目指して
がんばれっていえばよかったのか・・・。

受け止めた気持ちに最善を返すなんて、未熟な私にはできない。
最善ってなんだったんだろう。

病棟オンステージ!

2006年04月29日 | 病棟
超寂しがりのおじいちゃんのことを 以前に書きました。
その続き。

休日は勤務者が少ないので、「おーい!」に対応できません。
ずっと叫ばしているわけにもいかないので、
車椅子に乗せて オムツ交換・点滴刺換え、ずっと連れて歩きました。
ドアの外、目の届くところに居て貰っても
返事があるまで「おーい!」
仕方なく助手さんと歌を歌うことにしました。
おじいちゃんも知っている小学生唱歌です。
何十曲歌ったでしょうか、人の気配を感じてドアを振り返ると
院長がニヤニヤしながら立っていたのです。
(げげっ、いつからそこで?)
「・・・大変ですねぇ(笑)」
そういって去って行きました。
あとでカルテを見ると
 看護婦の歌声を聴いているとおとなしく大声を出さない
と書かれていました。

記録に残すのはやめて~~~~!!!

「明日」の重さ

2006年04月29日 | 病棟
和田さんの心電図の波形が、急に悪くなりました。
期外収縮が頻発、それでも数回づつで正常に戻っていたのが
2時間後には ずっと途切れなく期外収縮です。
調子が悪いとSpo2が70%まで急激に下がる患者さんであり
90歳も間近なので 予断を許しません。
「・・・蓬団子とイチゴ、食べたい」
家族の了承があれば、患者さんの希望はなるべく叶える、
小さな病院の強みです。
院長のOKが出たので、家族に連絡して買ってきてもらい
少しづつ食べさせます。
食べるたびSpo2が80%を割りますが、酸素をフラッシュしながら
少しづつ、少しづつ。
「もういいよ。明日食べる。冷蔵庫に入れといて。ありがと」
・・・彼女の生きる気力が 明日につながったような気がしました。

日勤が終わり挨拶にいきました。
「2日休んだら来るからね」と伝えると
和田さんが目を閉じたまま「・・・明日・・・」と言いました。
仕事に来るわけにはいかないと言っても、
首を振り、明日、と繰り返すのです。
「じゃあ、明日はお見舞いに来るよ。」
やっと ちょっと笑ってくれました。
次の日、庭のパンジーを持って訪室すると、
和田さんは持ち直してすやすや寝ていました。

私の「明日」は99%確実にやってきます。
多分いつもと変わらない平和な「明日」です。
でも病室の患者さんの「明日」は、とても遠い。
「今日をがんばろう」「明日までがんばろう」
そうやって乗り越えていく時間は、とても重い。
子供に気軽に「また今度ね」と言うのとは違います。
どうやって生きる気力を支えていけるのか
いつも考えていたい。



空耳?!

2006年04月05日 | 病棟
・・・やってきました、強烈な個性のおじいちゃん。
超が5個くらいつきそうに寂しがりの認知症で、
日がな一日 「お~い!」「お~い!」と叫んでいます。

「どうしたの?呼んだの?」
何度同じ問いをしたことか!

傑作な答え、その1:「口が勝手に言うんだよぉ(さも残念そうに)」
      その2:「みつめてくれないと寂しい」
      その3:「悲しいよぉ。悪モンが勝っちゃったよぉ
           (時代劇見ている時に)」
      その4:「呼んでないよぉ?きっと空耳だぁ??」

「・・・あぁ、ちょっと疲れちゃったかも・・」
「がんばれぇ、応援してるよぉ?拍手しちゃうよぉ?」
イントネーションは志村けんの「だいじょぶだぁ?」です

がっくし肩を落としつつ 「がんばってみるねぇ」と笑ったの。
「うん、うん、それがいい?」って満面の笑みでみつめられて。
・・・・ああ、今日も患者さんに踊らされてる・・・

静けさの中で

2006年04月03日 | 病棟
主を失ったベッドが 消毒のためにシーツをはがれ
静かに横たわっている。
この間までぬいぐるみや花の飾られていた床頭台も
綺麗に拭きあげられ 
ラジオの音も聞こえない。
窓の外には雲一つない青空が広がり
ガラスのこちら側には暖かいひざしが届く。
がらんとした静けさの中
彼女の気配が薄くなっていく。
皺だらけの大きな手も 曲がったままの足も
美人さんだと褒めると 
恥ずかしいと顔を覆った指の間から
見えていた嬉しそうな瞳も
その輪郭は 私の心の内に在るだけ。


死ぬって こういうこと。

さくら

2006年04月02日 | 病棟
HISAKOさんのサイトで
静かに咲いている桜を眺めていたら
泣けてしまいました。


りうさんの具合がぐんぐん悪くなって
長くないことが感じられた数日前に
せめて最後の春を贈りたく
花屋さんで桜を買って枕元に飾りました。
質素なシデザクラしかなくて 悲しかった。
咲き誇るソメイヨシノ、見せてあげたかったな・・・

さくらは華やかに咲き誇るのに さびしい花です。