団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

2007-11-10 16:11:23 | 食べること

2007年11月10日(土)


 「碗」とは、食べ物を入れる陶磁器のことである。
 このせっかくの物を、私の職場の食堂では使い渋っている。
 ご飯を皿に盛って出すのだ。皿だとすぐに冷めて、パサパサした感じにもなり、美味しくない。

 一方、ご飯の碗は、日本人の2,000年もの知恵の結晶で今のような形、つまりご飯を一番美味しく食べることができるし、かつまた使いやすいものになったものだと思う。

 私は食堂の店長に、ご飯は碗に盛って出すよう要求しました。
 私:「あなたはご自宅でご飯を皿で食べていますか?」
 店長:「碗で食べています。」
 私はこのやりとりを通じて、期待をした。

 ところが、その後も一向に変わらない。食堂としては、皿で出すことで、何らかのメリットがあるのだろう。例えば、洗いやすいとか、重ねた時に場所をとらないとか。つまりコストが削減されるのだ。

 しかし、私は皿で出すことで多少のメリットがあったとしても、日本人の長年の知恵の結晶に比肩しうるものではないと思っている。

 以後、私はこの食堂を利用するときは、ご飯は碗に盛ってもらうようにしている。職員の方が、面倒くさがらずにしてくださるのが、唯一の救いだ。

 こういうことにこだわる私がおかしいのか。それとも食道の経営はコスト削減のため、こういうところまで追い込まれているのか。私なら10円高くなっても「碗」を選ぶ。

 私には、先人の数知れない試行錯誤によって、ご飯を一番おいしく食べることができる形になった「碗」が、皿ごときに取って変られたことを悲しんで、「ワンワン」泣いているような気がする。

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人事異動

2007-11-09 18:18:24 | 仕事

人事異動

2007年11月9日(金)


 先日、人事異動があった。転出する人は、責任感が強く良く仕事をする方だった。
 それだけに、次に来る方がどんな人か、非常に気になるところではある。
 
 私はこれまで、15回人事異動があったが、満足したのは3回のみ。あとは、「?」が付いたり、怒りで「退職願い」まで出したこともあった。

 結局、サラリーパーソンというのは、人事に不満がある率が誰の場合でも高いのではないだろうか。

 極論すると、人事異動が「嫌なら辞めるしかない」。それを、どうのこうのと不満を回りに当たり散らすのは、みっとも無い。「不満があるのなら辞める」ことが、最も人間らしい尊敬に値する行為だ。「辞める」「辞める」と狼少年のように言いながら、結局「辞めることが出来ない」恥さらしの人もいる。

 私の場合、あと約半年で36年間の勤務ということになるが、今振り返って、生活費に心配がなければ、少なくとも3回は辞めていた。

 残念なことに、生活費の心配をする余り、組織の中で忍従をすることが習性となってしまった。

 若い人には、私のようなバカな忍従をすることなく、自分の能力を磨いて、どんどん「トラバーユ」したらどうかと思う。もしそうでないならば、私のように、自己の主張を組織に対してだんだん言えない人間になるだろう。

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接遇

2007-11-07 23:28:51 | 仕事
接遇
 
2007年11月7日(水)
 

 私が昨年度いた職場は、全員で55人。そのうち男性は私を含めて4人でした。お客様対応の仕事で、当然、接遇が重要になります。
 私は、ある話を思い出し、そして、次の文書を掲示しました。

 アメリカのある航空会社が「左前」になっていました。
 経営者は、なんとか立て直そうと考え、対策の一つとして、電話受付の女性職員の電話の前に鏡を置き、鏡を見ながら電話応対をするよう指示したのです。
 何らかの効果があったのでしょう。とにかく、その会社は経営難から立ち直ったということです。
 鏡を見ながら電話応対することで、考えられるのは、
① 自分の応対が見え、長所・短所等が客観的に分かる。
② いやな顔は自分自身も嫌なはずで、いやな顔をしないようになる。したがって、電話応対も相手が嫌になるような応対をしなくなる。
③ 自分の顔に見惚れて、相手にもそのことを分からせようと、親切で説明上手になる。(これは半分冗談)
④ その他もろもろの効果があると思われます。

 今年の3月にこの職場を去りましたが、去るに当たり、皆さんにこの気持ちで接遇をしてもらおうという思いから、次の詩(と言えるかどうか)と一緒に、何時でも自分の顔が見えるように手鏡をプレゼントしました。


            
朝日と夕陽とあしたとねむり


○○○○(注 自分の氏名) 
 

朝日がキラキラとまぶしく見えるのはなぜでしょう
それはきっと朝のあなたの輝きに似ているからなのでしょう
朝仕事を始めるとき 鏡であなたの輝きを見つめてみましょう

夕陽がほのぼのとあたたかく見えるのはなぜでしょう
それはきっと今日のあなたの仕事を終えた安らぎに似ているからなのでしょう
夕方仕事を終えたとき 鏡で今日のあなたを振返ってみましょう

ひとに明日(あした)があるのはなぜでしょう
それはきっとみんなの輝きが一つになって太陽のように大きくなり暗闇を打ち破るからでしょう

ひとに永眠(ねむり)があるのはなぜでしょう
それはきっと一人ひとり 幸せな気持ちを永く大切に抱いていたいからでしょう



 2007年5月8日



 笑顔の素敵な○○さんへ

            

~ 一人はみんなのために みんなは一人のために ~



 手鏡を51個そろえてプレゼントしたのは、2007年5月8日。人生時計「16時49分」 チン

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人骨粉

2007-11-05 16:17:40 | 健康・病気

人骨粉

                                             2007年11月5日(月)


 小学校3年の夏休みだったと思う。子ども用自転車乗っていて、ふと、思った。「顔を90度傾けて運転したらどうなるのだろうか」と。考える間も無く実行してしまった。

 結果は高さ3mくらいある川への転落だ。顔を傾けることにより。三半器官がバランスを崩し、ハンドルをとられ、あわれな結末になった。

 しかし、不思議と落ちた高さからすると頭部とか重要な箇所に被害がなく、身体の機能も異常はなかった。

 ただ、左足の半月版の隣接場所に長さ4cm幅3.5cmくらいの怪我を負った。高い所からだったので、皮が剥れるどころではなく、肉が抉り取られるというひどいものだった。

 そこで、やおら祖母が出してくれて振りかけたのが、少し黄ばんだ白い粉。当時は、その程度の傷で医者に行くという習慣がなかったのか、たまたま夏休みで、瀬戸内海の島の田舎に行っており、祖母の昔からの伝来の治療方法になったのかはわからない。
 
 傷口に振りかけた粉が何かと聞くと、祖母は「人の骨を粉にしたものだ!」と言うのだ。今話題の「肉骨粉」ならぬ「人骨粉」だ。祖母がどこからどのようにして入手したのか知らない。

 ともかく、何日か「人骨粉」を振りかけているうちに傷口に皮膚が再生しだした。「人骨粉」が医学的によかったとは思えないが、多分、傷口を乾燥させる効果があったのだろう。

 私の今までの怪我で一番大きい怪我で、孫(2000年3月生)には傷口を見せて、「男の勲章」だと威張っているが、孫には怪我はして欲しくないと思っている。

 川に落ちて怪我をしたのは、小学校3年生の夏休み。
 私の人生時計「7時頃」 チン

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ビール茶漬け

2007-11-04 20:41:39 | 食べること

ビール茶漬け

2007年11年4日(日)


 浪人時代に一番良くビアガーデンに行った。考えてみると未成年だったが、同じ浪人仲間で行き、法律違反という認識はほとんどなかった。

 当時は、1ℓジョッキがあり、大抵3杯は飲んだ。500ml瓶6本だ。

 ビールは最初の喉ごしが旨い。そして暫く飲んでいると、不思議と喉が渇くような感じになり、再び美味しく感じるようになる。

 あるとき、ふと思い付いた。こんなに美味いビールでお茶漬けをしたら、どんなにか美味しいことだろう。

 私は和食派で、ホテルで和洋の選択がある場合は、必ずご飯にする。お茶漬けにしてタクアンをボリボリ噛みながら、食べる醍醐味は日本人ならではであろう。

 いよいよ、やってみた。
 やはり、ご飯は熱い方が良いだろう。ビールは勿論冷えていなければいけない。
 お椀のご飯にビールを注ぎ、箸で口の中にかき込んだ。「ウッ・・」思わず口から吐き出しそうになったが、やっとの思いで一口だけ喉を通した。

 ビール好きの皆様は決して真似をなさらないでください。

 美味しいもの同士を一緒に食べても、必ずしも美味しくならないということを学習しました。

 

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オーケストラの珍事

2007-11-03 10:53:00 | 音楽

オーケストラの珍事

2007年11月3日(土)


 長年オーケストラオを聞いていると、珍しいことに出くわすものだ。

その1
 1998年3月5日、東京のサントリーホール。指揮者は山田一雄。ユーゲント・オーケストラ。
 指揮者の山田一雄は小柄な人だが、アクションは大振りで、勢いあまって、指揮棒が宙高く舞ってしまった。山田一雄の心の中の声「しまった。」
 でも、曲が途切れることはなかった。

その2
 40年くらい前、広島市公会堂。めずらしい曲だったが、カスタネットの親玉のような打楽器を奏者が最前列で演奏していた。派手に鳴らしていて、これも勢いあまって、ステージの左から右に転々と転んでしまった。
 しかし、その間これも曲が途切れることなく、その楽器がなくても、演奏に違和感がなかった。
 現在、チェリストとして活躍している藤原真理さんが、笑いをこらえ一生懸命に演奏していた記憶があるので、桐朋学園オーケストラだったと思う。

その3
 40年くらい前、広島市公会堂。これはそう珍しいことではないかもしれない。
 コンサートマスターの弦が切れたのだ。どうするのだろうと見ていると、コンサートマスターは弦の切れたバイオリンを、その後ろの奏者に渡した。後ろの奏者は自分のバイオリンをコンサートマスターに渡した。そのように順にバイオリンを交換し、最後列の奏者が楽屋に弦の切れたバイオリンを持って入った。修理が済んだらその逆の手順で、コンサートマスターへ修理したバイオリンが渡った。見事なチームプレーという感じだった。

その4
 珍事の極めつけは、曲が終了する前に花束を持って出たことだろう。
 曲はベルリオーズの幻想交響曲。この曲は5楽章で構成されているが、4楽章で、終わったような雰囲気になる曲なのだ。
 4楽章が終わり、指揮者がクライマックスの5楽章に入る気息を整えているとき、インド系と思われる美女2人が花束を持ってステージに出てきたのだ。
 指揮者はびっくりしただろう。多分言葉も通じなかったのだろうと思う。指揮者はともかく花束を受け取った。通常ならここで聴衆から拍手が沸き起こるのだが、それもない。2人の美女がおろおろしている様子が可哀想だった。
 これも40年くらい前、秋山和慶指揮。広島市公会堂。

 かの2人の美女は、哀しい、恥ずかしい、可笑しい、複雑に笑ったのではなかろうか。

 

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トヨタの「シェァ」

2007-11-01 18:56:41 | 

トヨタの「シェァ」

2007年11月1日(木)


 11月2日か3日の新聞に、「トヨタのシェァが初めて50%を超えた。」という記事が載るだろう。もしくは、日本自動車販売協会連合会が正式に発表する翌日の7日。もっと詳しく予想すると、52±1%だ。
 もっとも、軽自動車を除く「登録者ベース」なので、軽自動車を含めると30%程度ではあるが。

 もともと、トヨタはかつて10月が決算期だったことがあり、伝統的に10月のシェァは高かった。
 例えば、昨年の10月は49.4%を占め史上最高のシェァとなっていた。

 そして、今年であるが、他社に比べて、圧倒的な新車攻勢をかけている。いずれも、まずまずの販売を見せているので、私は、冒頭の予想をしたものだ。

 トヨタが「シェァ重視」に転換したのは、95年奥田社長になってからである。95年から98年までの4年間40%を割っていたことがあり、奥田社長が「号令」を出したのだ。
 10月に50%を超えたとしても、単月ベースなので、年間を通して50%以上というのは、なかなかハードルが高いには高いが、今のトヨタの勢いからすれば、数年後に実現しても不思議ではない。(10月30日の新聞報道によると、07年4月から9月までのトヨタのシェァは前年同期より0.8ポイント高い45.4%と過去最高となっている。)

 日本には、他の国と比較して、圧倒的に自動車メーカーが多い。11社あるのだ。トヨタ1社に対して、他の10社が束になってもかなわないという状況は異常であり、消費者にとっても好ましくはないであろう。

 私は、トヨタは50%以上のシェァを目指すべきではないと思っている。シュァを上げようとすると、一番重要なのはモデルチェンジを含めての新車攻勢である。新車開発には当然莫大な資金がいる。財務体質が世界トップクラスのトヨタのみにしか成し得ないことだ。

 私は、今後トヨタが目指すべき道は、世界で一番尊敬される企業になることだと思っている。もちろんトヨタはそのことを百も承知で、環境、安全対策等様々な取組を行っており、いずれも世界トップクラスの技術力を持っている。   

 アメリカの経済誌の「フォーチュン」によれば、世界で最も尊敬される企業としてトヨタは、03年は8位、04年は5位、06年には2位になっている。ここでも死角はないのだ。

 尊敬されるためには、企業のあらゆる活動分野に係ることなので、容易なことではないが、私ごときではあるが、提案したいことがある。

1 ハイブリト技術をオープンにすること。
自動車で今一番の問題は一酸化炭素を出すということだ。トヨタのハイブリット車はこの点において、極めて優れた技術的優位を保っており、初代プリウスを発売して満10年になるが、ホンダを除き他社からは出ていない。
   注 トラックやごく一部の乗用車で出しているメーカーはある。
  かのダイムラー、BMW、GMが束になってハイブリットシステムを共同開発しようというのだから、いかにトヨタの技術が先端を行っているかがわかる。ホンダはアコードにハイブリット車を出していたが、今後はフィットクラスの小型車に特化し他は廃止するという。
  仮に、トヨタがハイブリッドシステムの基本特許をオープンにしたら、他のメーカーが続々とハイブリッド車を出すことは確実で、数年後、自動車による石油の消費量が10%程度減少することがあっても不思議ではない。

2 モデルチェンジサイクルをもっと長くすること。
  トヨタの主力車種クラウン・マークX等は、きっちりと4年でモデルチェンジをしている。世界的に見て4年でモデルチェンジをする車は今やほとんどない。これは資源の無駄使いにも通じる。
  この新車開発費を、環境問題や安全問題に振り向けるのだ。

 私ごときの提案は、既にトヨタ自身よく分かっていることだ。しかし、地球環境等の問題をもう一次元スケール大きく発想できているかというと、私には「?」が付く。

 トヨタが50%以上のシェァを目指すような露骨なことをこれからもするとなると、私はBMWに浮気したい。
 しかし、なんにしても、浮気には、お金がいりますね。



 Tヨタ車にして、Oくさんが、Yぉろこびました。O財布の負担が軽くなったというのです。Tい案Aりがとう。
 

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