従兄の葬儀
2016年9月9日(金)
9月8日、父方の従兄の葬儀へ行きました。入院していたのですが、最後の2週間程度は在宅で療養し、6日に亡くなりました。(80歳)合掌
車で1時間半程度とみていたのですが、1時間半も早く着いてしまいました。
久しぶりに会った人が沢山いました。50年以上会ったことのない従兄に巡り会いました。また、奇遇というか、その従兄が義兄と高校で同級生ということが分かりました。死者は、残された者に、縁を作ってくれます。葬式の意義のひとつと思います。
遺影は、10年位前に、いとこ会をした時に私が写した写真の一部を利用したものでした。
浜田省吾の献花がありましたが、あの「浜田省吾」と同じかどうかは分かりません。
火葬場です。
この火葬場の由来が書いてありました。長いので、読む気にならず。
ただ、白骨のみぞ残れり。
火葬場から帰り、直ぐに初七日をしました。遺族の挨拶です。左は長男、右は残された奥様です。奥様は、遺体を焼却炉に入れる時に、泣き崩れていましたが、収骨の時は、落ち着いた様子でした。心の整理が付いたのでしょうか・・。
お坊さんが、お経を口語訳で詠んでくれました。お釈迦さんの教えは、「人は平等であるべき」ということを、私は悟りました。勿論これ以外にも色々と説いているのですが、私の脳キャパシティーからして、一つことしか残りません。
突然ですが、「グローバル資本主義 vs 世界市民」ということを、私なりに説きたいのですが、その中の中心は、「人は生まれる環境を選ぶことができない」ということがあります。生まれながらにして、平等ではない訳で、それは社会的に平等にしなきゃいけないですね。お釈迦さまの教えと同じと思います。お釈迦さまのファンになりました。(-_-;)
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