いとこ会記念誌
2015年7月8日(水)
こんなのを作りました。
いとこ会記念誌。いとこ会を昨年10月5日に広島のアンデルセンで行ったのです。母方のいとこは33人いて既に半分程度は死んでいます。残りの人で結構集まりまして配偶者や子どもも含め28人集まり、盛会でした。
それで、その時の記録だけではなく、家族の想い出も載せようということになり、私は、次のものを出しました。
おふくろのお腹
2014年9月18日 ○○ ○○
柄にもなく、「おふくろ」と書いた。「柄にもなく」と言うのは、僕は父親○○(1908年生)を「おやじ」、母親○○○(1911年生)を「おふくろ」と言ったことも書いたこともなかったからである。親のことを書くのは最初で最後と思うから、親しみを込めて「おふくろ」と書いた。
朝日新聞では数年前から「おやじのせなか」と題してコラムが掲載されている。また7月からはTVで同じく「おやじの背中」と題して10回10話のドラマが放映されている。家族の想い出を書くに当たり、同じ標題にするのでは、天邪鬼を旨とする僕の面目が立たない。そのため、おやじの反対のおふくろ、背中の反対のお腹という意味で、「おふくろのお腹」と題して書くことにしたのである。
「お腹」とは「胃袋」のことである。おふくろは胃袋がいたって丈夫であった。そのことは、○○○姉さん(1936年生)が、「お義母さんの胃は、腐った卵を食べても下さないんですね。アッハッハッ!」と笑ったほどである。確かに、口の中に食べ物を入れて、あまり噛むこともなく、「ぐんずり」という感じで飲み込んでいたところをみると、胃が丈夫で、胃袋だけで消化する力があったようである。
ところで、結婚披露宴で話される「結婚の3つの袋」について、何が「袋」であるかは諸説あるが、「お袋」、「堪忍袋」にプラスして「胃袋」という説が有力である。
この「結婚の3つの袋」の話は、姪の○○○○○(1960年生)の結婚披露宴の席で、○○さんという方から初めて聞いた。30年以上経った今でも明確に覚えているのは、説得力のある分かり易い話だったからであろう。
その「胃袋」の意味であるが、美味しい料理は旦那さんを家に帰りたがらせますよ、ということである。俗に、胃袋を掴まえられると言われている。
おふくろがおやじの胃袋を掴まえようという意図があったかどうか、今となっては確認のしようがない。そのことは兎も角として、僕は、むしろおふくろ自身の胃袋が美味しい料理を欲していたのではなかろうかと考えている。なぜなら、戦中・戦後と食糧事情の厳しい時代に、食べたいものも食べることができなかった経験をしたからである。
おふくろが料理が上手かったことは、僕の妻の○○○(1948年生)と比較すれば明らかである。ただ、妻の名誉のために言っておくが、妻は料理が上手い方である。しかし、おふくろがそれ以上に上手かったのである。
しかも、安い食材で旨い料理を作ることが上手かった。経済的に安い食材にせざるを得なかったという事情があったのであるが、料理の幅を広げることに繋がっていたように思う。
クジラの竜田揚げは、隣家が魚屋ということもあって、よく食卓に並んだ。今クジラは高嶺の花となっているが、当時は学校給食にも度々出されるほどで、安かった。学校給食では冷めていて、実に美味しくなかった。おふくろの作る揚げたての熱々のクジラをほうばるようにして食すと、口中に旨味成分が広がり一瞬思考を停止させるほどなのである。
おふくろは巻き寿司もよく作っていたが、僕はこれまでおふくろの味以上のものを食べたことがない。おふくろの作る巻き寿司は酸味が強めで、小貝(アサリ)で出汁を摂り、具材の味付けは濃い目であった。ご飯は少し柔らかかったが中の具材にセリなんかが入っていると、そのシャリシャリとした食感と相まってハーモニーを醸し出していた。
他にもいろいろあるが、何と言っても最高傑作は鳥がら煮だろう。鳥がらに、砂糖、醤油、ミリン、日本酒を適度に入れて、好みでニンニク、生姜、唐辛子を加えて煮込む。がらであるから殆ど肉が付いていないので、骨をしゃぶるという感じで食す。首の部位が絶品なのである。
僕も時々作るが、2、3年前に船橋市の長男宅に行った時、長男○(1974年生)が作ったのにはびっくりした。美味しいものを欲するというおふくろの胃袋のDNAが繋がっていたのである。
(蛇足)
冒頭「柄にもなく」と書いた。最後は「がら煮」の話で締めくくることにする。駄洒落は、僕の唯一の「取柄」なのである。(^_^;)
これ裏表紙です。全部で20部作成して80,000円也。印刷会社の選定ミスだったかも知れません。もっとも多くの人のカンパがありましたので、私の持ち出しはあまりありませんでした。
皆喜んでくれました。