ミャンマー・日本語学校ブログ

ミャンマーでの生活、教育、ビジネスなど
ヤンゴン在住12年の作者がお届けします。

遮光フィルムの車

2008年08月07日 | ミャンマーでの生活

ヤンゴン市内の交通を管理する当局から車の窓ガラスに貼られている遮光フィルム(ミャンマーでは「スティッカー」と呼ばれている。)は禁止し、取り外すように命令が出ているが、まだ従わない車が多い。

この命令は今回が初めてではなく、10年前頃から毎年のように発令されているのだが、結局うやむやになって終わってしまう。

今回の命令は、「もし従わない場合は、罰金だけでなく車も没収する」という強硬手段も含まれており、実際に6台没収されてそうだ。

それにもかかわらず、写真のような黒い遮光フィルムを貼っている車はまだまだたくさん走っている。

実は昨日の晩、空港へ行く用事があったのだが、空港の駐車場には黒いフィルムを貼った外交ナンバーの車がずらりと並んでいた。

外交官は特別だから、その国の法律や命令を守らなくても良いという発想があるのかもしれないが、外交官だからこそ進んで法律を守るべきではなかろうか。

自分は遮光フィルムを取り外すという命令は大賛成だ。

新しいBBQの店

2008年08月06日 | レストラン・食べ物情報
昨晩は日本から来てもらった新しい先生3人の歓迎会があった。

若い女性の先生が1人、定年退職したばかりのちょっと(いや、かなりの)年配男性の先生が2人。

場所はチーミンダイン通り(ヤンゴンダウンタウンからカンナー通りをずっと西方向に行った所)にある最近オープンしたばかりの「ミスターバーベキュー(MR BBQ)」というお店。
(ティーダー映画館のすぐ近くにある)

文字通りアターギン(焼き物)のお店であるが、ここの経営者はかの有名な男優で去年亡くなったドゥエーさんの奥さんが経営しているそうだ。

オープンしてまだ2週間という話であるが、200人の定員に対して140人のお客さんが座っていて、もう大繁盛といってもよい。

あいにくの雨の日でしかも平日だったのに、このお客さんの入りだから、土日はもっとすごいに違いない。

広い店の中心には中庭があり、オープンエアーでなかなか良い雰囲気の店だった。

料理も焼き物を中心に、ローストダック、野菜炒め(マーラーヒーン)、どれも美味かった。

ただ、トイレで用を足しているときに、トイレ係の少年が後ろから肩をマッサージするのには戸惑ってしまった。(明らかに過剰サービスだと思われる)

最近、ヤンゴンでは外食ブームでバーベキューの店とホットポット(火鍋)の店が大繁盛している。しかし、勝ち組の店とそうでない店がはっきりしている。

次に繁盛するのはどんな料理の店だろうか?
ヤンゴンではまだ寿司ブームは起きていない。

(↓写真の手前は大人気の野菜ときしめんの炒めもの(=マーラーヒーン)、奥がローストダック)



(↓写真はティラピアという魚の焼き物。はらわたに香草が詰められています。これも美味しい。)






辞書をテレビ画面で表示

2008年08月05日 | 日本語学校

ほぼ完成した「ミャンマー語/日本語辞典」(約3万語を収録)を授業中でも使えるようにデザインを改造し、先週から実際に授業でも導入を始めた。

画面は29インチの大型テレビに映し出され、教室の後ろからでもはっきり見える。

授業中に何かわからない言葉があったり、生徒から質問された言葉について詳しく説明したいときに大変役に立つ。

今日の授業で「黄熱病」という言葉が出たが、それもすぐに調べて出すことができた。

調べた言葉は何級で必要な言葉なのかもすぐにわかるようになっている。

言葉の意味を日本語で知ることもでき、例文も表示している。

調べた言葉は日本語能力試験に出題されたことがあるかどうかも調べることができる。

この辞書ができてから、翻訳も飛躍的に楽になった。

先週、日本のある病院が出した診断書をミャンマー語に翻訳する仕事があったのだが、
「肘の関節」「膝の関節」「くるぶし」「リューマチ」「胆嚢」「肝臓」......
などの医学用語も簡単に調べることができて、自分で感動してしまった。

世界広しといえども、このように辞書をテレビ画面に映して使用している日本語学校はないだろう。
(だいぶ手前味噌になってしまった。)

豊かな心が世界を救う

2008年08月05日 | ミャンマーでの生活
8月3日発行のWEEKLY ELEVEN誌に「豊かな心が世界を救う」というタイトルで1ページにわたって詳しく記事があった。

記事の要約は以下の通り

日本の栃木県、足利青年会議所の寄付によりミャンマーの小村のために井戸の改修を行なった。
場所はミャンマー中部の乾燥地帯、バガンニャウンウーから13マイルほど離れたピョーゴン村(人口1300人)。
ピョーゴン村はゴマや豆を栽培する農村である。

井戸の改修工事を行なったのは日本のNGOの一つでBAJ(ブリッジエイジアジャパン)。
2008年6月14日に足利青年会議所、BAJ、村人総出で完成式典を行なった。

古いコンプレッサーを新しい揚水ポンプに変えた結果、1時間当たりの出水量が10倍になって村人が大喜びした。

寄付金の原資は足利市内の34の小中学校の生徒たちが自ら空き缶を回収して集める運動をして、売って得られた収益金だった。
子どもたちの活躍によって50万個の空き缶を集めて、総重量が11トンにもなった。
子どもたちは友達と競争するように楽しく空き缶集めをした。

足利青年会議所が海外に寄付をするのは初めてのことだった。

日本の子どもたちの尊い心に敬意を表したい。

(要約終わり)

足利市内のほぼ全部の小中学生が参加したというから、少なくとも足利市の子どもたちにはミャンマーのことを知ってもらえたと思う。

50万個という数字にも驚かされた。

一方でこの記事が大きく出たことで、ミャンマーの人々にも日本人たちの活動やミャンマーに対する気持ちがわかってくれたことと思う。

(国営新聞ではこのようなNGOの活動を扱うことはないので。)

ミャンマー国際航空(MAI)運航再開

2008年08月04日 | 旅行・観光
今日発行のFLOWER NEWSによると、ミャンマー国際航空(MAI)は8月1日からヤンゴン⇔バンコク線などの国際線の運航を再開したそうだ。

7月のある日から突然、運航がキャンセルされ、ビザの更新のためにバンコクに行く予定だった先生が困ったことがあった。

報道によると、ミャンマー国際航空の機体はタイの格安航空会社である「ワンツーゴー航空」からリースで借りていたそうだが、この会社はタイ運輸省による監査の結果、安全基準を満たしていないと判断されて運航が停止させられていた。

そのため、この会社の機体を使用しているミャンマー国際航空も運航ができなくなったそうだ。

今度はミャンマーのエアーバガンから「ウエットリース」という契約形態で機体をリースし、運航を始めたという。
機体はフォッカー100を使用している。

この運航キャンセルをめぐっては、当地でいろいろな噂が流れていたが、これで原因がはっきりした。

よくなったエレベーターのマナー(1)

2008年08月04日 | ミャンマーでの生活
今住んでいるダウンタウンのマンションにはエレベーターが2台ある。

このマンションには居住者もいれば会社のオフィスとしても使われている。
だから、人の出入りが大変激しい。

出勤時間帯や昼休みになるとエレベーターを待つだけで5分以上かかることもある。

以前はエレベーターのマナーが酷かったが、最近はだんだんとマナーが良くなってきた。

エレベーターのドアが開くと、中から出てくる人がいてもわれ先に無理やり乗り込もうとして押しくら饅頭状態になり、スムーズに出入りができなかった。

出入りする人たちでもみ合っているうちに、自動的にドアが閉まってしまい、15人並んでいたのに乗れたのは3人だけだった……ということもよくあった。

ミャンマーに限らず東南アジアでは整然と並んだり順番を守るということがなかなかできない。

この問題を解決するために、写真のような柵を設けて床には誘導する矢印を書いた。

こうすることで、以前はエレベーターの入り口前で待っていた人たちはいなくなり、スムーズに乗り降りができるようになった。

これはマンションの管理組合の人が考えたアイデアであるが、なかなか良いことを思いついたものだと感心した。

このような試みが行なわれているのはたぶんこのマンションだけだと思われるが、他のマンションでも採用してほしいものだ。

訃報~小説家ミンテインカ氏亡くなる

2008年08月03日 | ミャンマーでの生活

ミャンマーで最も有名な小説家であり占い師(霊能力者?)でもあるミンテインカ氏が8月1日午前6時半に亡くなった。(享年69歳)

どのジャーナル誌も第一面で大きく取り上げている。

<ミンテインカ氏の略歴>

1939年6月25日 ヤンゴン市チャウミャウン地区に6人兄弟の長男として生まれる。

ヤンゴン市内セイントポール男子高校(職場の目の前にある高校)で学び、高校を卒業。
大学には進学しない。

高校卒業後、ミャンマー国軍に入るが5年で中退。

その後、食用油の工場や精米所で働く。

1979年 シャン州タウンジー市で占い師の仕事を始める。
(ちょうど40歳で新たな人生を始めたことになる。)

この頃から小説家ミンティンカとして探偵小説を書き始め、探偵ニンマウンを主人公とした推理小説がヒットし、ミャンマーのシャーロックホームズと呼ばれるようになる。

「マヌーサリー」という長編小説も大ヒットし、日本語にも翻訳され日本で出版される。
小説家でもあり占い師としてミャンマー中で知られる存在となる。

1997年 突然仕事を辞め、霊能力を持つために武者修行に出発する。
3年間の修行の後、厄払い、占い、新生児に名前をつけるなどの仕事を無料で行い、また厄払い、占いなどを教える教室を無料で開き、多くの弟子、信奉者を集める。

霊能力者ミンティンカとして晩年は悟りを開いた教祖のような風貌になり近寄り難い雰囲気となる。

2008年8月1日 多くの信奉者に看取られながら他界。

日本ではほとんど知られていないが、ミャンマーの人々にとっては大きな出来事なので取り上げました。(管理人)

DHLで1ヶ月

2008年08月03日 | 日本語学校
新任の先生はミャンマーに来る前にイギリスのロンドンに在住していた。

日本語を教えるための教科書、参考書などをロンドンから直接ヤンゴンへDHLで送った。

荷物は7月4日にヤンゴン空港に到着したのだが、その後、DHLから変な通知書が来た。

それによると、「荷物が25KGもあり、中身が多すぎる(=重すぎる)ので輸入許可を申請しなければならない。関税として350米ドルかかる。個人用の荷物として申告する場合は100ドルでもよい。」という話だった。

荷物の申告額は200ポンド(4万円くらい)だったが、なぜ関税が350ドルになるのか納得がいかない。

今までに何度も日本から本などを送っているが、このようなことは一度もなかった。
郵便局にせよ、DHLにせよ、かかる関税は2000チャット(200円)くらいだった。

DHLから、「税関に行ってPDフォーム(PERSONAL DECLARATION:飛行機の乗客が到着時に空港の税関に提出する税関申告書)をもらってくるように」という指示があった。
(お客さんに向かって何で指示をするの?)

それで先週、個人用の荷物として申告するために、ヤンゴン市内のダウンタウンにある税関本局に行って、PDフォームの写しをもらいに行った。

当日の到着客全員のPDフォーム(だいたい300枚)の束から探すこと3分で本人が記入したPDフォームが見つかったのでほっと一安心。

それを外でコピーし、今度はDHLの事務所へ持っていった。

税関の職員(親切なおばさん)は
「何でDHLが取りに来ないのよ。これはDHLの仕事でしょう?」
と怒っていた。

DHLのヤンゴン支社は「DOOR TO DOORサービス」という意味がわからないらしい。

必要な書類は
1.パスポートのコピー(ビザのコピーも必要)
2.航空券と搭乗券のコピー
3.PDフォームのコピー

そしておととい(8月1日)やっと荷物が届いた。

イギリスで荷物を預けたのが7月1日、届いたのが8月1日だから、ちょうど1ヶ月もかかったことになる。

しかし.....本人が使っている書籍を送っただけで関税が100ドルもかかるとは。
さらに7月4日から8月1日までの倉庫保管料(1日1.5ドル)も取られるらしい。

1箱の重量が大きすぎると輸入許可が必要になるとは初めて聞いたルールだ。

ミャンマーへ書籍を送る場合は、少なめに送りましょう。

DHLって何の略か知らないが、Delayed Horrible Logistics(実にサービスが酷くて遅い輸送業者)の略だろう。

結局、関税は納めなくてもよくなり、倉庫保管料26ドルだけになりました。

マッサージ屋

2008年08月02日 | ミャンマーでの生活

在ヤンゴンの日本人たちはよくマッサージ屋さんのお世話になっている。

「SERI」という店が有名だが、遠いし値段も高いので自分はまだ行ったことがない。

先月、自宅近くダウンタウンのセィッカンター通り(旧、ルイス通り)に新しいマッサージ屋さん(美容院兼)がオープンしたので、行ってみた。

店の名前は「EAST BOYS」

シャンプーマッサージが2,000チャット
全身マッサージが3,000チャット(これはかなり痛くて効く!)
フェイスマッサージが2,000チャット

全部で7,000チャットだった。(約700円)
全部のコースが終わるまで1時間40分かかった。

経営者は日本帰りのミャンマー人夫婦がやっていて、店の雰囲気、女の子の接客態度などもなかなか良かった。

ちょっと高いけど、マッサージしてもらって気持ち良くすっきりした。

また来月来よう。

注:風俗ではありません。

話が大きくなる

2008年08月01日 | ミャンマーでの生活

先日のブログに書いたように、労働ビザで日本へ行けるという話がどんどん大きくなっている。

今日発売のFLOWER NEWSには「第一ロットとして360人を労働ビザで日本へ送る予定」と大きな記事が出ていた。

しかし、前にも書いたように日本では労働ビザで外国人の単純労働は認められていない。

法の網をすり抜ける方法は複数あるが、それらも合法的ではなく、いつか破綻するものばかりだ。(1、2人くらいなら目立たないのでうまく行く場合もあるが….)

360人もの大量の労働ビザを日本の入管が出してくれる訳はなく、どこかの段階で破綻することは目に見えている。

皮肉なことにこのニュースが伝わるや、ウチの日本語学校にたくさんの人たちが問い合わせに来たり、授業の申し込みに来るようになった。

8月中旬開講のクラスで満員札止めになったクラスもある。

しばらく、静観するしかない。