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Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

ブルーインパルス

2008-11-03 18:20:07 | 
流石に70日も家を空けていると嫁は色々買わなくてはいけないモノがあるらしい。2日(日)掃除を終えると一家総出で買い出しに出かけた。まずは近所のホームセンターへ日用雑貨を手に入れるために向かった。ホームセンターとはいえこの店、車4,000台収容の超巨大店舗である。

一通り買い物を終えると昼も回っていた。天気も良いので久々に近くにある六道山公園で食事を取ることにした。持参したおにぎりと途中で買い込んだおかずを食えば秋晴れに気分は良い。5年程前に妊娠中の嫁とこの時期にこの公園に遊びに来たときのことを思い出す。航空自衛隊入間基地の航空祭を翌日に控え、ブルーインパルスのテスト飛行が行われていてそれを眺めたモノだ。

食後、チビどもと公園の塔に登ると何故か塔の上はカメラや無線機を携えた人々でいっぱいだった。確かにこの公園はバードウォッチングとアマチュア無線で有名だがそれにしてもこの数は多い。それよりも不思議なのは皆一様に北東の方向を見ているのだ。



不思議に思っていると突然その内の一人が、
「2時だ!」
と叫んだ。意味が分からないでいると北東の空から轟音が響きだした。何と明日3日が毎年の航空祭らしくブルーインパルスのアクロバット飛行のリハーサルが始まったのだ。

どおりで人が多いはずである。初めて目にする航空ショーにチビどもも大喜びであったが生憎とカメラは持参していなかった。それでも携帯電話を構え頑張ってみるが如何せん解像度が低いためうまく写らない...。どうにか頑張って写してもシャッター速度の関係でベストショットは難しかった。



全くの偶然であるが5年前の同じ時間に同じ場所に我々はいたことになる...。

ともあれ、いつかチビどもを連れて入間基地周辺で見てみたいと思ったのであった。

下村君

2008-11-01 22:43:42 | 
今日で8月24日以来の嫁の出産のための留守は終止符を打った。丁度10週間、70日であった。

この間、私が実家の福島までの往復は7回。内滞在日数は足掛け33日であった。毎週末仕事を終えた金曜日に外環・東北道、時には帰京時に東北道の日光渋滞を避けるため磐越・常磐・外環を利用しての往復であった。ちなみに電車利用は新幹線1往復・各駅1往復であった。

往復の際、電車の各停ののんびりモードでたまたま45分の時間を取れた栃木県のJR黒磯駅前は古い町並みが印象深い。訊けば昭和天皇の那須御用邸訪問時利用の玄関としての歴史があるらしく、それなりに老舗が多く面白かった。特に、旧黒磯銀行の建物をそのまま利用した喫茶店はレトロ感が漂いお薦めである。



また、これまでにも何度となく往復した東北道であるがついに川口から最寄りの松川P.AまでのI.C等の順番が頭に入ってしまった。

しかしその中でもナビを見て不思議な地名に気づいた。



『下村君』この謎の埼玉県羽生市にある地名は一体何と読むのだろうか...。
ナビで見た限り『上村君』も存在するらしい。

まあ、そんなわけで家族5人の東京での日常が戻りつつあるのである。

※ 福島ネタで掲載できなかった分については都度後日

二本松の菊人形

2008-10-26 23:03:28 | 
25日(土)秋真っ盛り、菊の花の季節である。

ちび共を連れて阿武隈の山にでも登ろうかと考えていたが前日の雨で、どの山も登山道はぬかるんでいるだろう。

「菊人形でも見せてこい!」



私の父の一言でちび共を連れて車で20分、二本松市内の霞ヶ城公園へ行ってみた。毎年NHKの大河ドラマをモデルにした菊で飾られた人形を展示し、今年で52回を数えるらしいが、実のところ私は全くの初めてであった。

大人1,000円の入場料を支払って入場。チビどもは無料であった。しかし、これが呆れてしまう程つまらない。ただ単に時代劇のちょんまげマネキンの服の部分に菊の花が飾ってあるだけである。


【なぜか磐梯山を背景に猪苗代湖畔にたたずむ篤姫】


【マネキンへの着付け。何とも不気味である。】

ちび共も全く興味を示さない。これではつまらないためすぐに会場裏手の城郭跡へと続く通用口から出て天守閣跡に公園の坂道を進んでいくことになった。

公園内は池あり、茶屋あり、見晴台ありと歩いていて楽しい。ちび共も目の前に拡がる安達太良連峰を見ながら気持ちいいネー。と言って元気に天守閣までの急坂を進んでいった。途中、智恵子の碑や、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊(数え年で12~17歳の部隊)の碑等がありそれぞれに趣深い。


【二本松少年隊の碑】


【天守閣跡の城壁】

ちび共は天守閣跡までに様々なルートがあるのが面白いらしく適当に上下に歩いては先ほど通った場所に戻ったりを繰り返して喜んでいた。それでも上へ上へと進み城壁跡に登って標高354mの本丸天守台から見える吾妻安達太良・阿武隈のパノラマに喜んでいた。

やっぱり子供連れの遊びはこういった事に限る。わざわざお金を支払って人工的な菊人形を見ても仕方ないと思ったのであった。

戸隠牧場

2008-10-23 23:58:15 | 
弥勒尾根新道を下り終えると背後から4人組の中高年が現れた、まさに秋真っ盛りの牧場の様子を眺めながら歩いていると話しかけられた。なんでも福井から来た方々らしくそのうち一人の方は昨年もこの時期にこの高妻山へ登り新道を知っていたそうだ。しかし昨年は五地蔵の所にあった案内が何故か今年は消えていたとのこと。何かあったのだろうか...。



ともあれ、その団体と駐車場へ向かって牧場を進む。色々話をしているとその中の女性がこう言った。

「言って良い...?」
何か言いたいらしいので頷くと、彼女は私に言った
「おにーさん、私の娘婿にそっくりなのよ...。」
特に何という話でもないがこう返す。
「...こんな濃い顔そんなにはいないでしょう(笑)」
彼女は真顔で、
「いやー、本当に濃いのよ...。折角だから一緒に写真取らせて貰える。」
おばさんの図々しさにも呆れがしたが何故かおばさんと黄金色に燃える秋の光をバックにツーショットを撮ることになったのであった...。

15:00、車へ戻り装備を解く。周りは牧場・キャンプ場を備えた観光地である。折角なので名物の蕎麦を食っていくことにする。

信州信濃の新蕎麦よりもわたしゃあなたの傍が良い

そんなデカンショ節の口上を思い浮かべながら入店。
「新蕎麦下さい!」
と注文したところ、
「信濃の新蕎麦は黒姫だね。ここらは戸隠蕎麦だ。」
とオヤジが説明してくれた。



とはいえ名物戸隠蕎麦もなかなかうまかった。

腹を満たせば温泉に入りたくなる。調べてみると戸隠の中社の街に『戸隠神告温泉』なるものを発見。高原の道を快走し10分程で到着。何のことはない公衆浴場であった。

外で出てもまだ明るい。ギリギリ戸隠神社をお参り出来るかと奥社へ戻る。車を止めて遥か向こうに見える山門(御神門)がゴールと思いどうにか暗くなる前には帰ってこれるだろうと思いぶらぶら長い参道を歩き出す。門までの1,100mを歩ききるとなんとこの先奥社まで900mとあった。全行程往復4kmを歩ききると日が暮れてしまう。何より軽装で来たので寒い。そこで参拝を済ませようと手を合わせるとそこで休憩していた地元の老婆に言われた。
「こんな夕暮れに行っても御利益はないよ...。」
何となく世間話をしてみると、老婆はこういった。
「高妻山に登ってきたならここの奥山に当たるから十分だよ。」
ってな事を言われた。

その後引き返し更埴インターから帰路についた。21:30の自宅着であった。

不動湯温泉

2008-10-06 23:59:57 | 
嫁の留守中、午前中は毎日子守りである。27日(土)曇天ではっきりしないため温泉へ行くことにする。カーナビで不動湯温泉を設定する。この温泉、福島市の土湯温泉郷の奥にある秘湯である。

ナビの通り進むも何故か到着した場所に不動湯はなく奥へ延びる林道のみであった。少し進み道端でキノコ狩りをしている人に訊いてみると確かにナビの指した場所は不動湯への徒歩での入口であるが車は引き返して別の林道を行くようになるとのことで順路を教えてくれた。

整備された未舗装の林道を抜け、ようやく温泉へ到着。26年ぶり3度目となる。初めての時はおそらく私がちび共くらいの頃であったろう。露天の脱衣場で10円拾った記憶がある。

受付で大人500円、子供300円の合計1,100円を支払い中に入る。温泉は斜面の谷底で長い木造屋根付きの階段をひたすら下りる。



途中には休憩で座れる場所もある程である。ちび共は不思議な様相で下っていった。程なく男女別の脱衣場に着く。丁度先に入っていた人達が出てきたところで中は貸し切りらしい。更に下に露天風呂があるので行ってみる。そこも先客はなく貸し切りである。若干狭い湯船ではあるが白濁した湯ノ花が浮きまくる硫黄泉である。横を流れる谷川を見てちび共は、「気持ちいいネー。」と叫びながら貸し切りの湯船に潜って喜んでいた。



外気は若干低いため十分に温まった後、内湯へ移動。更に温まった後風呂を出た。

かなり気持ちよかったため帰り道車の中でちび共は眠りこけていたが、体に染みついた硫黄臭が抜けるまでは家の風呂で洗っても簡単には抜けきらず翌日まで微かな臭いが漂ったのだった。

阿武隈抄

2008-09-28 11:05:31 | 
あれが阿多多羅(安達太良)山、



あの光るのが阿武隈川。



あそこに見えるのが吾妻山



そしてここに見えるのが地元のヤンキー



福島には本当の空はあるのか...。

阿武隈の山並みには今日も穏やかです。

千貫森(462・3㍍)にて

微温湯温泉

2008-09-16 23:12:55 | 
週末は暫く実家になりそうである。
晴れ予報ではあるが、奥羽山脈側は雲がかかっている。ちび共を高湯温泉の吾妻高原牧場に連れて行く。しかし、大きな滑り台や一般的な遊具があり少数の牛と山羊が放牧されているだけで今ひとつ面白味がない。それでもちび共は跳ね回って喜んでいた。

適当に退散して温泉に行こうとするも時間が昼飯には少し中途半端であった。近場の温泉を頭の中で巡らすも近くには豪華なホテルと大浴場を構えた温泉が殆どでありあまり魅力を感じない。適当に車を動かしていると近くに秘湯と呼ばれる『微温湯(ぬるゆ)温泉』があったことを思い出す。

フルーツラインからの看板を見つけ右折。舗装された林道を進む。私の記憶では温泉までは舗装路のはずである。ところが間もなくこの道が未舗装路となりこれが結構長い。方角的にはあっているので念のためエクストレイルを四駆モードで走行。しかし途中から林の中で左からの舗装路が現れそこから先は完全舗装であった。私は以前来た道と違う悪路を来たらしい。後で知ったが実はこの道こそが微温湯街道と呼ばれる昔ながらの温泉へと続く道らしい。

明治時代からの建物であるこの温泉、なかなか趣がある。受付でお金を払うと未就学児は無料とのことで私のみ500円であった。



湯殿に続く細長い廊下を抜け、脱衣場に入る。この温泉には露天はない。中に入ると手前に木の湯船がありその向こうにプラスチック製の湯船があり誰もいない。体を洗った後プラスチック製の湯船に浸かる。ちび共は熱いと良いながらも気持ちよさそうだった。体も温まったので木の湯船を進める。中にはいるとちび共は歓声を上げて大喜びだった。実はこの木の湯船こそが本来の微温湯温泉であり、名前の通り湯温が32度と低い温泉なのだ。ちび共にとってはプールのようなものである。他に人がいないのを良いことに潜ってみたり飛び跳ねてみたりと本気で水遊びモードであった。しかし、この温泉水風呂のようであるが長く使っているとそれなりに体が慣れてくるためか温かくなっているような感覚に襲われるから不思議である。適当に上がるようにちび共を促すかよほど楽しいのであろう上がろうとしない。そのため暫く浸かっているが湯中りを起こさないのは有り難いことである。



その後、人が入ってきたためちび共を靜にさせプラスチック製の湯船に浸かり十分に温まらせ風呂から出た。

ちび共は大満足で、「また来たいネー。」「楽しかったネー。」を連発していた。

帰りは途中の交差点を右折し舗装路のみで帰ったのであった。

温泉としては以前書いた群馬の霧積温泉に近い気がするが、この微温湯は熱い湯にも浸かれるので最後に温まれば風邪を引くこともないだろう。暑い時期にはお奨めの秘湯である。

安浪公園

2008-09-12 23:08:44 | 
私が幼稚園に通う前、母親に家から500mほど離れた小高い丘の上にある公園に連れて行って貰い遊んだ記憶がおぼろげにある。その後小学校1年の時犬の散歩で兄と1度だけ行った記憶があるがそのときはかなり道が荒れていて苦労した記憶がある。この公園に続く路は二本。そのうち一本は山の中の池の横を通るルートで小学校低学年のとき、近くに住む老婆がその池で溺死した。またその少し後、もう一本の路沿いの家で首吊り自殺があった。そのため、その公園は我ら子供も存在は知っていたものの遊びに行こうとするものさえなく放置されたままになっていた。

ところがこの公園が整備されたという。30年以上放置され何ともおかしな話である。原因は今年7月1日の市町合併に伴い今年度予算が余りそれを合併先の市へ渡すよりは町のために使おうということになりこの忘れられて久しい公園や他の細かい予算がまわりにくい箇所の整備に充てられたそうだ。

ちび共と3人、久々に行ってみることにした。ところが家からの最短となる首吊り屋敷のルートは入口から荒れていてとても子供連れでは行けそうにはない。引き返し手前の集落で路を聞いてみると何と全く違うルートが整備されているという。教えられた通りに進むと砂利道ではあるが途中まで車も入っていける程しっかりした道であった。



途中栗の実が拾えたり吾妻連峰を望めたりと散歩には丁度良い道でありちび共も大喜びであった。

さて、30数年振りに行ってみた公園は周りの雑木が駆られ風通しが良く桜の樹が生い茂り素晴らしい広場になっていた。あったはずのブランコ等の遊具は取り払われ、簡易トイレとシンボルの石碑があるのみであった。



遊具はないもののちび共はその場所を気に入ったらしく石碑の周りの石の囲いに登ったり芝生の空間を跳ね回ったりと上機嫌であった。

こんな所で奥羽山脈を眺めながらバーベキューでもしたら最高である。ジムニーなら平気で公園の入口まで入れるだろうしその後酒を飲んで酔っぱらっても歩いて帰っても実家まで10分程度である。翌日車を取りに行っても何ら問題はない。

何となく特をした気分になって帰ってきたのであった。

ふくしまスカイパーク

2008-09-11 23:42:52 | 
姥湯温泉の帰り道、国道13号線を引き返す。県境を越え福島市へ入ると天候も徐々に回復しだした。このまま市街地を抜けるのもつまらないので福島の果樹園地帯を抜ける通称フルーツライン方面へ進むことにした。

国道を右折して少し進むと飛行場の看板がある。私はこんな所に飛行場があるという話は聞いたことがない。いわゆる一般的な飛行場は県の中心部よりやや南にある。それなのにこんな山間の場所に飛行場などあるなどということはどう考えてもおかしい。ちょうどチビどもも後部座席で眠っていたため寄り道をすることにする。

着いてみるとどうもセスナ機の飛行場のようだ。それにしてもセスナなら北へ70km程行った仙台空港が一般的である。敷地内を車で流していると何故か滑走路へと通じるゲートが開け放たれていた。特に係員もいないようで事務所も閉ざされている。おかげで車に乗ったままゲートをくぐり滑走路の中を少し走るという貴重な体験ができた(笑)。



よく見れば施設横の喫茶店が開いていた。話を聞こうと店にはいるとママさんが色々説明してくれた。

空港建設の構想自体はバブル期に持ち上がったらしくフルーツ王国福島で採れた果実をセスナ機に乗せて全国へ運ぶというモノだったらしい。ところが県の決裁が降りた直後にバブルは弾け建設はそのまま継続された言うことである。建設途中でセスナ機では一度に積載出来る量の上限が低く、また輸送コストの面からもトラックを使った高速輸送の方が有利と言うことが度々取りざたされ、実際に完成後も当初目的のように果実を載せたセスナが飛ぶことは殆どなかったそうだ。

ここで疑問に思うのは維持費である。聞いてみると飛行場の整備は殆どがボランティアに頼り運営は特定非営利活動法人が行っているとのことであった。実際に使っているのは滑走路を利用した自動車イベントやサークルのラジコン非行。また県警の車両イベント等が多いそうだ。勿論飛行イベントも年に何回かはあるらしく来月半ばにはアクロバット飛行も行われるから見に来るように勧められた。



ちなみに一般利用は営利を目的にしない場合は1日30,000円からだそうだ。この広い整備された滑走路で友人達と何かイベントをやるのも楽しいかも知れないと考えたのであった。

姥湯温泉

2008-09-10 22:54:30 | 
峠駅にて30分の間に2本の下り新幹線を目にすれば私としては十分である。しかし、ちび共は、
「まだ来たばっかりだよ~...。」
「まだ二つしか見ていないからまだ行かない~...。」
としてその場を離れようとしない。4歳児を説得するのも面倒なので興味の向きを変えることにした。
「温泉行こうぜ!」
この言葉に2人はあっさり了承し、先頭切って車へ戻った。

ここから先、秘湯中の秘湯『姥湯温泉』へ行くことにいた。車で狭い林道を進む。対向車いちいちどちらかがバックしなければならず厄介である。それでも20分程進み手前の滑川温泉を越える。

ここから先は最大斜度22%の坂道となり、つい最近までは車でもスイッチバック方式で登らなければ先へは進めなかった。



改善されたとはいえ唖然としてしまった。一つめの急坂を登るとそこには『車の進み方』という看板が出ていた。スイッチバックは必要ないがカーブを一気に回り込むことは出来ないのでカーブの途中で切り返しが必要だとのことである。呆れながらも2度程エクストレイルのハンドルを切り坂を登り切る。10分程進むと峠を越え、前方右手に姥湯温泉『桝形屋旅館』が絶壁にへばり付くように見えた。辺りは流石に標高が高いだけあり先ほどとは違い曇天模様で霧がわき始めていた。



車を降り10分程歩く。すぐ先の谷には吊り橋が架かりその横には宿泊者用の荷揚げのケーブルがありちび共はご機嫌である。谷沿いの歩道を歩き旅館の受付でお金を払う。大人500円子供250円併せて1,000円であった。建物沿いに谷横を進み奥の混浴露天風呂に着く。


【豪快な露天:お湯は白濁湯】

※ 女風呂は途中右手に設けられている。また混浴露天は夜には女性専用の時間帯があるとのこと。

当然男のみしかいないが、この硫黄泉は青みがかった白濁湯で湯に浸かっている部分は何も見えない。ちび共はそれでも足下にざらつく砂を潜って遊んでいた。

JR峠駅

2008-09-09 23:43:38 | 
週末はまたもや実家である。
7日(日)曇り空であるが実家にいても仕方がないので嫁とちび共を連れて出かけた。

ちび共が前回で味を占めたのかはやて(新幹線)に乗りたいと騒いでいるため思い立つことがあり新幹線を見に行くことにした。これはちび共には内緒である。

福島市内から起点となる国道13号沿いに40分程進む。山深い奥羽山脈を貫く東栗子トンネルを抜け板谷大橋という県境の橋を越えると山形県米沢市となる。越えた橋のたもとを左折するとかなり山深いにもかかわらずJR奥羽本線の板谷駅前に出る。こんな山奥に駅があるのも不思議だが鉱山開発のために設けられた駅らしい。豪雪地帯のためスノーシェルターに被われている。

ここから先は舗装はされてはいるが道も狭くなり完璧な林道モードとなる。進むこと15分、いよいよ目的地の峠駅に着いた。駅前には茶屋が2軒あるのみで民家さえない。この駅もスノーシェルターに被われた屋内の駅である。建物はあたかも巨大な倉庫のようで入口から平気で車が入れる。幸い日が差してはいたが中に入ると湿度が少ないため暑くはない。



ちび共はここが一体何なのか分からずに車から降り私について奥へと歩き出した。50m程進み、静まりきった暗い空間の中にホームと踏切を見つけたときは、
「こんな所に駅があるよ!」
と感激していた。



駅の奥は福島側にトンネルが三つあるのみである。この駅に停車する列車は1日6往復のみ。次の便には3時間以上時間がある。
「でも、何の(どんな)電車が走るんだろうねぇ。」
と疑問を発したときのことだ。突然屋内の踏切が鳴動し始めた。幸運にも私の意図していたものが通り過ぎるらしい。
驚いているちび共にホームの内側に下がるように言い聞かせる。どうやらそれはトンネルの中から現れるようだ。

徐々にゆっくりとした列車がレールを滑る音が大きくなり、その銀色の物体は目の前を10秒以上かけて堂々と通り過ぎていった。



ちび共は興奮し跳び上がりながらこう言った。
「こんな所をつばさが走っていったねぇ...。」
「びっくりしたねぇ。つばさが来たねぇ...。」

この奥羽本線はそれまでの在来線のレールの上を福島で切り離された新幹線車両が走るという珍しい路線。

茶屋が2軒あるだけなのに駅があるのはここが奥羽本線内の最高地点(標高626m)であり、山形新幹線開業前はその急勾配からスイッチバック方式で運行されてた。そのため運行開始当時からの要所のためという背景らしい。現在はここからの秘湯への足がかりとして利用されているということらしく鉄道マニアの聖地にもなっているらしい。

確かに我々がいる極々短い間にも一眼レフカメラを構えた人が2~3人訪れていた。

東北本線

2008-08-30 23:36:09 | 
今回の帰郷は諸般の事情で車を実家においてくるものであった。重なる用を済ませ、月曜日帰京となった。昼食後父親に最寄りのローカル線の駅まで送ってもらう。本来なら車で20分の福島駅なのであるが、ローカル線経由で郡山まで出て新幹線に乗ればビールとつまみ程度の差額が生じる。

久々にローカル駅に入り切符を求める。乗車券を東京・国分寺まで購入後改札を抜け電車を待っていると程なく来た(13:45)。この終点は郡山ではなく更に南の栃木県北部の黒磯である。乗車後車内でビールを飲み始める。40分程で郡山へ着くが酔いのせいもあり微妙に眠い。ふと思いつくがまだ昼間、特に急いで自宅へ戻る理由もない。そのためそのまま通過となった。



あいにく天気は曇り時々雨、白河を越しても那須連邦も見えなかったがのんびりして良いものである。残念なのは東北本線は昨年春の伯備線の旅とは違い新幹線が付かず離れず併走するため特急電車の待ち合わせが全くない。そのため3日の乗車有効期間があるにもかかわらず知らない駅で自由に降りることが出来る余裕が全くない。

それでも宇都宮まで出ると通勤快速上野行きとの接続があったため武蔵野線経由で18:39国分寺着。更に西武線の家の最寄り駅には19:05着となった。

行きの国道4号に続き久々の東北本線各駅停車5時間20分4,820円の旅となったのであった。

わらじ音頭

2008-08-29 21:29:09 | 
我が故郷福島にも盆踊りというイベントはある。夏の風物詩東北六大祭りに数えられている中で最もマイナーな『福島わらじ祭り』というものが存在しそのとき奉納されるのがこの盆踊り『わらじ音頭』である。歌っているのはかの舟木一雄大先生と今は亡き加賀城みゆきである。しかし舟木自身こんな曲を歌ったこと自体忘れてしまっているのではないだろうか...。

私の子供の頃は夏が近づくと家から団扇を持ってくるように指導され小学校1年の体育の授業でこの『わらじ音頭』を教わったものである。

『デトロイト・メタル・シティ』終了後、中学の姪は作品にかなり満足したらしく映画館内のグッズ売り場へ急行した。姪自身もギターを弾くせいかそこでピックのセットとラバーリストバンドを買っていた。かくいう私も洒落で団扇を購入した。



さて、家に帰り茶の間でごろごろしていると台所から70歳を過ぎた私の母親が入ってきて姪に言った。
「どんな映画を見てきたんだ?」

当然ばー様はメタル系ロックなど知ろうはずもない。適当に話をしていると姪のグッズの中からばー様は私の団扇を見つけ出し、突如手に取り歌い、踊り出した。

♪ここは福島見せたいものは~
よいっしょ!よいしょ!よいしょ!よいしょ!
なんだこら!なんだないっと!

彼女がふざけて歌い踊り出したのは当然のように冒頭で紹介した『わらじ音頭』である...。

ばー様のパワーに団扇に描かれたデスメタルのカリスマ、ヨハネ・クラウザーⅡ世のイラストが何とも情けなく見えてしまうのであった。