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Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

越境

2008-08-27 22:00:05 | 
先週末金曜日、またもや帰郷となった。雨の降る夕刻、諸事情でいつも利用する東北道のインターより100km手前の那須インターを下りて、国道4号線を走る。思えば学生の頃は金はなかったが時間だけはあった。そのためこの国道4号をバイクで延々と走って帰京したものだ。


【国道4号 栃木・福島県境】

しかし、帰郷でこの国道4号伝いに県境を越えた記憶は何故かない。原因を色々考えてみて納得した。実家へ帰る際、急ぎの場合は高速道路。そうでない場合は新潟を経由したり日光から奥会津、あるいは茨城から海沿いを通ったりと多岐にわたっていた。

初めて福島へ帰ったときのことを思い出してみた。バイクを手に入れて初めての夏、サークルの連中が福島の奥只見にある大学のセミナーハウスに集まっていた。当然皆は不便な只見線(これが1日3本しかない単線)経由で向かったが足のある私は初の宿泊を伴うロングツーリングに向かった。

10:00、国分寺のアパートを出発する。当時あまり東京の地理が良くわかっていなかったため何故か都心を経由し高円寺から環七、そして国道4号を乗り継ぎ延々と北上した。猛暑で大変だった記憶がある。

宇都宮から国道121号に入り五十里湖で16:00遅めの昼食を取った。その後今思えば全くの無謀な話だが夕暮れ迫る17:00過ぎに栃木県栗山村と福島県(奥会津)舘岩村(現南会津町)を結ぶ安ヶ森林道に入った。全くの初めての林道走行に興奮しながらも無事峠を越え日没間際に国道352号に出たときはホッとしたものだ。その後国道401・289号、そして何を思ったのか真っ暗闇の廃れた松坂峠を抜け目的地に20:00過ぎに着いたのであった。後で聞いたがこの松坂峠は地元の人も夜に通ることはないらしい。

しかし、このツーリングでバイクというものの扱い方にいささか自信がつき後々手放せないアイテムになったのである。初のロングツーリングの思い出である。

新幹線総合車両センター2

2008-08-04 22:29:46 | 
係員の案内に従い場内に車を止め、見学。普通に入る機会はない新幹線の整備場。当たり前のことだがだった広い工場である。混雑はしていたがストレスになる程ではなかった。整備場をまわった後は停めてある新幹線に触れるコーナーへと進んだ。



ちび共は新幹線の連結となる頭のレーダー部分に触りご満悦である。流石にこんな機会は普通にはあり得ないだろう。



更に進むとJR東日本の保有する『電気・軌道総合試験車』通称East i(イーストアイ)も展示されていた。同形車両では東海道・山陽新幹線の通称ドクターイエローが有名である。

この程度で終わりではわざわざ仙台まで出向いて今ひとつと思い始めたときである。本物の新幹線に予約無しでしかも無料で乗れるという事が分かった。しばし待たされはしたが整備場のプラットフォームから『はやて』に乗った。



何と15分遅れで出発。しかし時速30km以下。ゆっくりと進み始めた車両から車窓を眺めていると何と泡が吹きかけられた。その先には車体を洗うローラーが待っていた。あろう事か我々の乗った新幹線はクリーニング機にかけられていたのだ。



その後暫く進み停止。次は後退し始めた。これも少し進んで停止。また前進して元のプラットフォームに戻ると、降車のアナウンスがあった。総行程約6km。単に操車場を行って戻ってくるだけの子供騙しであったがちび共は『はやて』に乗ったという事実に大喜びであった。ちなみに周りの客も家族連れが多かったが中にはやはり鉄っちゃんも多く彼らにとっては新幹線に乗ったまま新幹線が洗われるというイベントが大きな事らしい。ちなみにこのイベントにはツアーで参加の方々も多いらしくエージェントのツアーバッジをしている人々がいたのには驚いた。

普段は見れない新幹線の整備場を見れた上、新幹線にまで乗れて全て無料。なかなか楽しめたのであった。

新幹線総合車両センター1

2008-08-03 20:55:46 | 
原因は不明だが我が家のちび共は電車が大好きである。子供の興味を示したときの物覚えというものは驚く程凄い。2歳の頃から図書館から借りてきた本を見ては電車の名前を聞き、すぐに覚えていった。最近では平仮名を覚えたため自分で次々と新しい電車を覚え始めている。

実家へ帰ると兄嫁曰く仙台で『新幹線基地祭』なるものがこの週末開催されているという。我がちび共は兄貴の誘いに当日朝からからパニック状態であった。



26日(土)曇天模様ではあったが雨が降るパーセントは低かった。東北道を北上し仙台南部・東部・北部道路を乗り継ぎ利府しらかし台I.Cに向かう。途中から眼下に見えた約53万㎡(約16万坪)の東北新幹線利府操車場にちび共は既に大喜びである。



この広大な整備場でJR東日本管轄の新幹線の開発・設計・製造・清掃・保守・改良・廃車(リサイクル)が行われているとのことである。

国道352号

2008-07-27 23:14:44 | 
清四郎小屋を後にして国道をぶっ飛ばす。まだ日の入には時間があるため非常に快調にスピードが出せる。曲がりくねった道を走りながら時折見える東洋一の人造湖である奥只見湖を見ながらやはり唖然とする。万一国道から落ちたら助かりはしないであろう。

来るときに苦しんだ道路に溢れ出た沢の水は笑ってしまうことに道路の一部を流れるように設計されていた。


【国道を沢筋が横切る】

普通こういった沢水は道路の下に土管を通したり橋を架けたりして車や人が通れるようにしているものだが何故かこの道は国道にもかかわらずそういった類ではなく道路の上を川が流れるように造られていたのだ。これでは落石や浮き砂があってもおかしくはない。一昨年からバイクの通行も認められるようになったが通行禁止にしていた理由も分かる気がする。

...と思いきやこんなニュースが。

観光バス転落 カーブ曲がれず、27人けが 福島・檜枝岐
7月24日20時53分配信 毎日新聞

 24日午後3時ごろ、福島県檜枝岐(ひのえまた)村の国道352号で、「西部観光バス」(同県郡山市、丹治一郎社長)の中型観光バス=滝一吉運転手(54)、乗客28人=が道路右側の斜面から約10メートル下の雑木林に転落した。この事故で骨折した人を含む27人が軽傷を負い、病院で手当てを受けた。

 県警南会津署の調べでは、現場は急カーブが連続する下り坂で、バスは左カーブを曲がりきれずに転落し、斜面の雑木にぶつかって止まった。現場にはガードレールはなかった。

奥只見シルバーライン

2008-07-21 22:53:19 | 
98年秋のこと、福島からの帰り道全長約22kmのうち約18kmを計19本のトンネルで結んでいるという奥只見シルバーラインを車で走った(このルートバイクは走行禁止)。トンネルは途中2又に別れていて一方は尾瀬に通じる国道352号と銀山平で合流し、もう一方は日本最大級の重力式ダムである奥只見ダムへと通じる。

このトンネルやダムは、後に映画化された新保裕一の小説『ホワイトアウト』の舞台となった所である。余談だが映画の出来は疑問だが冒険小説としては最高に面白い作品であると思う。



18日(金)、仕事を適当に切り上げ関越道小出インターを降りる。翌日の食料を買い出し、早めの夕食を取り19時前にこのシルバーラインに入った。今回は途中から銀山平方面へ抜け平ヶ岳の登山口まで向かうのである。対向車も2台すれ違ったのみで前にも後ろにも車はなかった。トンネルは所々大きく曲がっていて霧も立ちこめ山深さを感じさせなかなかの迫力である。


【トンネルの中の右折表示の矢印】

銀山平に出て尾瀬方面へ向かうと徐々に雨が強くなり出した。あろう事か降雪の時期から場合によっては5月末まで雪に閉ざされているというこの国道352号は道がかなり高低差がある上、曲がりくねっている。おまけに反射鏡が殆ど設置されていないため暗闇の中を走っていると雨のせいもあってか進行方向が車のヘッドライトだけでは分からなくなり、ときどきスピードを落とし行く先を確認しなくてはならない。更に気をつけねばならないのは道路のあちこちに沢の水が溢れ場所によっては川を形成しているのだ。平ヶ岳登山口の鷹ノ巣までの30km、この状態のためろくにスピードが出せない。対向車も後続も一切ないため緊張の連続である。そのため運転していて久々に車酔いしてしまい、休憩しながらの鷹ノ巣着となった。22時、どうにか登山口に到着すると辺りには5台程車が止まっていた。雨脚はかなり強かったためテントを張る気にもなれずそのまま狭いジムニーの中で足を折り曲げての仮眠となった。

郷土の森博物館

2008-06-29 23:10:20 | 
梅雨の季節、紫陽花が真っ盛りである。思い返せばこの花にまつわる思い出は何故か上京してからである。都心の大学のすぐ横にある神社が紫陽花神社の名で有名だったからだ。この時期、雨が降らなければ土曜のサークル活動を終えると神社横の公園で買い込んだ酒とつまみで宴会を行ったモノである。

そんなことを思い出していると紫陽花を眺めに行くのも良いかと思い、28日の土曜日は総出で府中にある『郷土の森博物館』へ出かける。ここは紫陽花の名所で駐車場も200台のスペースがあり無料であり、いつ行ってもガラガラらしい。

行ってみると確かに駐車場は無料であったが入場料は大人200円を取られた。入ってみると紫陽花は丁度見頃、それよりも楽しかったのは昭和初期の小学校、明治時代の商家や郵便局さらに農家などのレトロな建物が移築され、また循環ではあるが水路・滝また子供達が水遊びが出来るプールなどが設置されていた。



敷地はかなり広く博物館はもとよりプラネタリウム、野外音楽場等が設けられていて芝生のスペースもあり退屈しない。家からも気になる程の時間はかからない。子供連れで遊びに来れるスポットの発見となった。

よこはま動物園ズーラシア

2008-05-26 20:18:40 | 
22日(木)、会社は休み、嫁も代休。天気がいいので子連れで平日は混んでいそうな場所へ行ってみることにし前日から候補を探す。

10:00、車にて家を出る。府中街道・鎌倉街道を乗り継ぎ横浜に入り11:40『よこはま動物園ズーラシア』に着く。平日でも人気の動物園のためか入場口横の駐車場に観光バスがズラリと並び一般車は停められず、1km以上離れた場所へ移動させられた。しかし、5分おきの無料シャトルバスがあったためちび共はバスに乗れると大喜びであった。

大人600円×2人の入場料を支払い中へ入る。駐車場が遠かったにもかかわらず中は広いためかガラガラである。道なりに進むと独特の臭いとともに「ぱおーん!」という奇声が聞こえてきた。案の定、象が見えてきた。驚いたことにちび共は大喜びである。

過去2回、多摩動物公園・また霧積温泉へ行った際に群馬サファリパークへ行ったのであるがほとんど関心を示さなかったのに今回は明らかに喜んではしゃいでいる。ようやく分かるようになったらしい。

特にボルネオオランウータンはガラス越しであるが我々の真ん前まで出てきて何故か土の塊を受け取ってくれとでも言うかのように差し出した。



スマトラトラ・インドライオンと進んでいくとちび共は非常に楽しげに喜んでいる。気温が高いにもかかわらず日陰にはいると心地いいためヤツらも気持ちいいらしい。

途中にあるレストランで昼食を採った後、シロクマ(ホッキョクグマクマ)を見に行く。行ってみて驚いた。



夏日を記録した暑さのためかヤツはプールに仰向けに浸かりラッコのように浮かぶという技を披露していた。見ていて気持ちよさそうである。このプールは断面からも見れるようになっていてまるで水族館のようにガラス越しにシロクマが見れたのは嬉しかった。



続いてはミナミアフリカオットセイ。こいつらも暑いせいか水に入り水槽をのびのびと泳ぎ回っていた。ちび共はガラス越しに喜び、パニック状態であった。



次はフンボルトペンギン。こちらも暑いためか群れをなして水槽を泳ぎ回っていた。私や嫁としてはこちらの方が断然涼しげなイメージがあり見ていて気持ちいいものであった。

エリア的には動物園の約半分を4時間近くかけてゆっくりうろついた。残念がるちび共をなだめまた連れてくることを約して家路に着いた。

平日の動物園、子連れで行くには楽しい場所であった。

五色沼

2008-05-19 21:51:00 | 
子供の頃、近所のガキ大将は何故か蛇好きであった。当然マムシを捕まえることはなかったが毒のない『シマヘビ』また当時まだ毒があるとは思われていなかった『ヤマガガシ(ハブの10倍の毒を持つとも言われている)』を捕まえては手や首に巻いて遊んでいたものだ。かくいう私もいつの間にかそんな遊びをしていた。また近所の大人達の中にはそれらを焼いて食うという物凄い輩も普通に存在していた。ちなみに私の身内には蛇を食うモノはいなかった。

さて、話は戻って裏磐梯。久々にメジャースポットでも行ってみるかと思い五色沼へ行く。実に23年ぶりである。とはいえ嫁も初めてである。ここは大小約300の湖沼群が点在する標高約800メートルの高原である。それぞれの沼の色が違うため五色沼と呼ばれているらしい。


【毘沙門沼と磐梯山】

その中でもメジャーな毘沙門沼へ行ってみた。昔とそれほど変わらずに沼にはボートが浮かびその向こうには磐梯山が聳える落ち着いた風景だ。ちび共はボートに乗りたがったがもう少し大きくなったらと言い聞かせ周りのハイキングコースを歩き始める。思えば私が初めてボートを漕いだのはこの沼だった気がする。父親に漕ぎ方を教わったはいいが翌日は筋肉痛になった記憶がある。

湖の周りを歩き出すと前方から女性の悲鳴が聞こえた。目をやると歩道の下に1mは優に超えるシマヘビがいた。道行く人々があまりにも騒ぐのでわがチビどもも興味を示した。流石に怖がるかと思いきや指し示した先にいる初めて見た蛇に何故か二人とも喜々として喜んでいた。それだけならまだしも、
「おとーちゃん!あれ捕まえようよ!」
ととんでもないことを言い出したため適当になだめてその場を去る。ふとおもったが大人になった今では見ている分には何でもないが、もはや子供のときのように蛇を素手で掴んだりましてや首に巻いたりは出来ないかも知れない。やはりいつの間にか気持ちが悪いという感覚が先行してしまっているようだ...。

土湯トンネル

2008-05-10 20:18:16 | 
折角の連休、帰省したは良いが病院だけではつまらない。気を取り直して久々に裏磐梯にでも行ってみることにした。わが実家からは調子が良ければ40分程で気軽に遊びに行けるスポットである。

私の幼い頃は福島から猪苗代へ抜ける国道115号線は狭い上に曲がりくねっていて奥羽山脈の土湯峠という標高1,240mのポイントを通過する際、深い霧や雪による事故が多かったため地元民でも嫌う国道ならぬ酷道であったが、1980年より開始されたトンネル工事により1989年延長3360mの土湯トンネルが開通、その後2005年12月までに全面開通となった。


【土湯トンネル出口から見た安達太良連邦】

大学の頃、夏に実家に帰省した際は時間を見つけては当時入手したばかりのバイクでこのトンネルを抜け会津側へ遊びに行ったモノだ。バブル期でリゾート開発が進んでいたこの時期道路も整備されバイクで走ると景観も良くあちこちを走り回った。そのおかげで今でも高いと言われる裏磐梯近辺のキャンプ場を尻目にテントを張っても何ら迷惑にならない穴場中の穴場を見つけて回ったモノである。

その日は福島側は天気はぐずついていたモノのやはり土湯トンネルを抜け会津側に入ると雨もやんでいた。しかし、それでも峠の向こうの除雪の待避所には雪が未だに山と積まれていた。

いわき・ら・ら・ミュウ

2008-05-06 00:26:24 | 
連休である。1日、総出でまたもや福島の実家へ向かう。常磐自動車道経由で途中前回寄った太平洋側いわき市小名浜の『いわき・ら・ら・ミュウ』に寄る。ここは観光物産センターで海沿いの広大な土地にレストラン・魚市場等が立ち並び、また水族館や小名浜港クルーズまで出来る観光エリアである。

嫁は市場系に行くことが大好きであり、そのため実家への土産がてらここの魚市場へ寄っていくことにした。

市場の各所では地元で水揚げされた魚介類が低価格で販売されている。ブラブラしていると試食を勧められ色々食えるのが嬉しいことだ。正直な気持ち缶ビール片手にうろつきたいとさえ思ってしまう程である。



「200円でどうだい!」
声をかけられた方を見るとプリプリの生牡蛎が並んでいた。これはさぞかし美味かろうと思い食ってみた。殻を左手に持ち渡された爪楊枝で口に流し込む。デュルっという感じで口に入ったが流石に塩水感が強く美味い。気をよくした私は他の貝の串焼きやイカ焼きを買い込むのだった。

塩屋埼灯台

2008-04-21 23:24:21 | 
今や廃航となってしまったが以前、北海道を旅する際のアクセスは東京湾のフェリー埠頭からの便がお気に入りであった。

これは深夜発ではあるが2日目が丸々船の上、そして北海道釧路着は3日目の早朝であった。2日目はひたすら甲板で酒をあおり、3日目の早朝に道東への玄関口着というのは私にとって理想的な便であった。

2日目、昼頃酔っぱらって甲板で寝ていると、
「ただいま、福島県塩屋崎沖航海中です...。」
とアナウンスが入り、その後説明が流れていたものだ。対岸に目をやると白い塩屋の灯台が海の向こうに見えていた記憶がある。

とはいえ、今まで一度も訪れたことはなかった。どうも私にとってイメージが良くなかったからである。その理由はこの灯台のある岬はかの美空ひばりのヒット曲『みだれ髪』の舞台なのである。この曲は失恋ドロドロでお先真っ暗的な歌である。

”春は二重に巻いた帯
三重に巻いても余る秋
暗や涯なや塩屋の岬”

二重に巻いていた帯が三重に巻いても余る程恋い焦がれて痩せたのなら塩屋埼等に旅に来るのではなく病院へ向かった方が良いと思うのは私だけであろうか...。

幾らヒット曲とはいえ暗いイメージで観光スポットが栄えているのは如何なものか...。

とはいえ日本百景に選ばれる程の名所、そんなことを思いながら東京へ戻る途中で寄ってみた。



春の荒々しい海の向こうに颯爽と立つ白い灯台はこのドロドロ感とは無縁に感じられた。

麓まで行くと数台の観光バスが止まっていた。丁度団体が降りてきたので空いていると思い登ってみる。入口で200円取られたが、螺旋階段を登り出すと音が反響するためちび共は声を発し喜々として登りだした。



登り切って外へ出ると流石海抜73m、暗い歌とは裏腹に絶景である。風が強かったがちび共も面白がって展望台をぐるぐると回っていた。駐車場付近には美空ひばりの『みだれ髪』の歌碑がありスイッチを押すと曲が流れるがこれを聴かずに自分のイメージで楽しむのも一興であろう。

萬蔵稲荷

2008-04-19 20:47:06 | 
下山後してもまだ11:30である。相変わらずの曇天模様であるが特にすることもないため久々に実家の者共が良くお参りに行く稲荷様へ参拝に行く。車で50分程度であるが奥羽山脈の小さな峠を越えると宮城県白石市となる。そこには500m程の参道にびっしりと鳥居が並ぶ『万蔵稲荷』がある。



聞いた話では200年以上の歴史があるらしく開山した萬蔵は山形の羽黒山で修行を積み空を飛ぶ術も身につけたらしい。最後には生きたまま仏になるという荒行に入り即身仏(ミイラ)となったそうである。私が幼い頃祖父から聞いた話では昔は確かにこの萬蔵稲荷にその即身仏は奉られていたらしいが大正の頃、学術調査という名目で持ち出され興行師の手に渡り行方不明とのことであった。

この神社、商売繁盛・営業繁盛・農産豊穣・良縁子授けに御利益があると言われるため商売をやっていた実家はよく繁盛を願って参拝したものだ。駐車場に着くと後部座席で眠りこけていたちび共は一様に目を覚ました。2年程前のGWに一度連れてきたことはあったが、やはり記憶は消えていたようだ。



標高が高いため若干の肌寒さはあったものの赤い鳥居が立ち並ぶ参道を元気に歩き出した。木製の鳥居は朽ち、金属製のものは錆が付いた鳥居が多く見られ歴史を感じさせる。



7分程で到着。参拝。ちび共は神社の鐘に戯れていた。その後、裏手3頭程飼われているポニーを眺める。私の幼い頃はクジャクや馬が飼われていたような記憶があるが、動物は変わったとはいえ今でも子供が喜べる場所があるのは嬉しいことだ。

鉄道博物館2

2008-02-23 18:56:33 | 
腹も減ったので飯でも食うことにする。先ほど乗ってきたミニシャトルの横を歩き、入口に戻る。そしてエスカレーターに乗って反対側のエリアの2階に出て驚いた。2階から見下ろす形で1階にはJR東日本、旧国鉄の物を含め今や使われなくなったレトロな雰囲気を残す車両が所狭しと展示されていた。これには驚かされた。



食後、1階に下りそれら旧車両を見学、詳しくはないが30年以上前、子供の頃見たような貨物車両、また上京するために乗ったような東北線の特急列車を見たときは感激物であった。中でも喜んでしまったのはアニメ『銀河鉄道999』の客車を思わせる車両を見つけたときである。残念ながら中へは入ることが出来なかったが、プラットフォームに流れるドラマ設定の会話は羨ましい物であった。東京駅から下関、更に船で釜山に渡り南満州鉄道で奉天へそしてシベリア鉄道経由でパリまで行くという物であった。朝鮮半島の国交さえ正常化したならこれから先も充分出来うる旅である...。



一通り見て回って喜んでいたのはチビどもよりむしろ私と嫁であった。嫁は嫁なりに幼い頃乗った首都圏の鉄道の様相を思い出していたらしい。

他にも、実際に鉄道の動く構造を運転室で体験してみたり、鉄道の歴史や価値あるコレクションが展示されているエリアもあったが、この辺りはあまり興味がないので適当に端折って帰ることにした。

平日であったことも幸いし見学者の数はストレスのない程度であった。おそらく休日はごった返すのであろうが、一度は行ってみることをお薦めしたい場所である。

鉄道博物館

2008-02-22 22:54:04 | 
14日は久々に嫁と一緒の代休だった。天気も良いのでちび共も休ます。平日なので休日は混み合っている場所へ行こうと言うことになり、秋葉原から移築し昨年10月14日に開館したという大宮の鉄道博物館に出向いた。

この施設、JR東日本の持ち物で、鉄道創世期から現在までの各時代の鉄道車両の実物を中心に展示されている。埼玉新都市交通の『鉄道博物館駅』直結の施設ではあるがわが家からは鉄道でのアクセスはいささか面倒であるため車で出発。約1時間で着いたがいささか現地を探し当てるのには苦労した。さいたま新都心構想でここ数年で大幅に変わっている地域のため、車の8年前のナビの地図では対応出来ないようだ。また、駐車場はあるモノの基本的には電車で来て欲しいためか道路には案内板が出ていなかったのだ。



ともあれ、11時到着。早速見て回ることにした。入場券はパスモあるいはスイカで対応出来、自動改札を通って中に入るというモノであった。これらがない場合は仮のカードを発行してくれて、帰るときに返納するようだ。

改札を通り入場すると大喜びのちび共は一目散に左手の『ミニ列車』へ走っていった。そこまでは駅弁を売っている店や良くわからない展示があるのみであった。時折明らかにマニアと思われる集団に出くわす程度であまり面白味はない。

肝心の『ミニ列車』であるがこれもまたふざけたことに予約制で本日分は全て完売となっていた。しかし、係員曰く背後のミニシャトルが無料と教えてくれたのでそれでごまかす。


【ミニシャトルとその横を走る本物の京浜東北線】

しかしそれでたどり着いたエリアは幼児が遊ぶオモチャやブロックが並ぶ所であまり面白くはない。適当にちび共を遊ばせるも嫁と私は入場料を払ってまで来るところではないと完全に失望していた。嫁も私も入場時に何故か館内案内を貰っていなかったのである。

つるつる温泉

2008-01-21 20:07:56 | 
20日(日)曇り予報。チビどもに行きたいところを訊くと、
「おんせん!」
の言葉が出た。近場で行ったことがないところ...。嫁は買い物もしたいという。先週行った日の出町の『つるつる温泉』へ行ってみる。



次男と共に入浴してみた。先週の『小菅の湯』に比べて内湯は湯船が狭かった。あげく洗い場は寒いのである。露天風呂はというと縁は檜の香りがするのであるが、湯船は木製ではなくおそらくプラスチックであった。昼を周りそこそこ混み合っては来たので適当に風呂を出た。小菅に比べて近い分やはり人も多いと言うことであろう...。

入浴後食事を取った。ノンアルコールビールが無いのが残念であったが、畳の大広間は寝ころぶことが出来のんびり出来た。ちなみにこの温泉、圧倒的に登山者が多かった。この時期、奥多摩の御嶽駅方面や武蔵五日市駅方面から尾根伝いにハイキングし、入浴してくつろいでいく人が多いようだ。温泉始発のバスに乗り武蔵五日市の駅から帰れるので都合が良いようだ。近々私も山伝いに計画してみようかと思ったのであった。