それは突然やってきた。想定外の出来事と言っていい。
まさかあのイーグルが・・・。
最初は募集馬パンフレットだった。父コマンダーインチーフ 母ヒガシオリビア(父サクラユタカオー)の牡馬。この年の第一印象馬だった。何の特徴もない鹿毛の馬体からはお世辞にも見栄えのするものではなかったが、その馬体からかもし出す雰囲気と血統に惚れたのだった。「順調に行けば勝ちあがれる馬、500万下でコンスタントに出走し、入着できる馬」そう評価していた。既出ではあるが、私は以前JOY(現セゾン)に在籍したことがあり、私が入会したときにラスカシェロスという所属馬がいた。その時の母名を覚えていたのだ。また、母父にユタカオーという血統にどことなく憧れを抱いており、将来、当時まだ勝った事がなかった府中で勝ち星を挙げてくれることをイメージしたことが出資要因だった。
デビューは思いのほか早く、2歳6月。当初は芝を使われていたのだが、勝ちきるまでは行かなかった。ダートへ矛先を向けた最初のレースで5着すると、そこからは1つずつ着実に成績を上げ、ついには念願の優勝を果たす。その後上のクラスでも善戦すると、クラス慣れしたころに2勝目。勢いそのままに挑戦した府中の1000万下では、私の思い描いていた通りのことが現実となる。11番人気ながら横綱相撲で優勝。素晴らしいレースだった。今でも彼の勝利の中で一際輝く1戦である。
この時点で、イーグルの能力が相当高いと認識し、準OPを目指すことになるのだが、暫く1000万下で善戦が続いた。いつでも勝てそうで勝てないもどかしさが続く。特に鞍上にはヒヤヒヤさせられたものだ。馬は十分に勝ち負けできるレベルにあるのに、鞍上だけが問題だった。全て鞍上の責任ではないのは百も承知であるが、さすがにこの状況では敗因を騎手に求めるのも自然の流れだったように思う。今となっては懐かしい思い出だ。
そんな彼もついに1000万下の壁を突き破ることになる。鞍上が柴田善騎手に替って僅か2戦目で結果を出したのだ。もう少し早く交替してくれていれば・・・そう思ったものだ。この頃のイーグルは一番脂がのっていたかもしれない。能力の高いメンバー相手に準OPでも入着できるほどに成長。OPはすぐ目の前だった。
彼の戦跡でもっとも素晴らしいのは、生涯(32戦)を通じて2桁着順がないということ。勝ち鞍は全てダートで、一見してダート馬のように見られるが、芝1000でも7着、芝1800でも4着、と一定の結果は残している。どんな条件でも大崩れすることなく走れる馬はそういるものではない。
私は愛馬を目の前で失ってから長い間、愛馬を生応援することを拒んでいた。本当に怖かった。「行こう!」という気すら起こらなかった。しかし、2010年11月、ついに足を運ぶときがやってきた。イーグルは前走の安達太良Sを2番人気に支持されるも7着と結果を出せず放牧に出ていた。そして、この時が復帰戦。
「イーグルを見たい!応援したい!」心からそう思った。もちろん不安もあったが、応援したい気持ちが僅かに勝ったことが私の足を府中に向かわせた。レースは残念な結果になったものの、アクシデントが起こることもなく無事に終わった。久しぶりに充実した一口ライフだった。その後、鬼門だと思っていた中山でも生応援をすることができた。私を競馬場に向かわせてくれたのは、シルクイーグルだった。
私が彼を直接見たのは32戦中3戦しかない。その3戦は全て最後の方の戦いだ。生で見た彼は、どことなく野武士のような雰囲気をかもし出し、凄くかっこよかった。「いつでも勝てるぜ!」そんな風に彼が行っているようにも聞こえた。
最後に見たのは、今年の招福Sである。この時はこのブログにも書いているが、夢を見ている。
詳しくは・・・
http://blog.goo.ne.jp/wazzu0727/d/20110105
http://blog.goo.ne.jp/wazzu0727/d/20110107
を見ていただきたい。まさに結果以外は全てミラクル。最後の最後で私とイーグルらしい結果で終わってしまったのだが。
その後もイーグルの夢を見ている。愛馬の夢を見ることはたまにあるのだが、イーグルほど私の夢に出てきた愛馬はいない。
いつでも会える・・・それが私にとってのシルクイーグルだったような気がする。
シルクイーグル 32戦4勝 享年6歳
まさかあのイーグルが・・・。
最初は募集馬パンフレットだった。父コマンダーインチーフ 母ヒガシオリビア(父サクラユタカオー)の牡馬。この年の第一印象馬だった。何の特徴もない鹿毛の馬体からはお世辞にも見栄えのするものではなかったが、その馬体からかもし出す雰囲気と血統に惚れたのだった。「順調に行けば勝ちあがれる馬、500万下でコンスタントに出走し、入着できる馬」そう評価していた。既出ではあるが、私は以前JOY(現セゾン)に在籍したことがあり、私が入会したときにラスカシェロスという所属馬がいた。その時の母名を覚えていたのだ。また、母父にユタカオーという血統にどことなく憧れを抱いており、将来、当時まだ勝った事がなかった府中で勝ち星を挙げてくれることをイメージしたことが出資要因だった。
デビューは思いのほか早く、2歳6月。当初は芝を使われていたのだが、勝ちきるまでは行かなかった。ダートへ矛先を向けた最初のレースで5着すると、そこからは1つずつ着実に成績を上げ、ついには念願の優勝を果たす。その後上のクラスでも善戦すると、クラス慣れしたころに2勝目。勢いそのままに挑戦した府中の1000万下では、私の思い描いていた通りのことが現実となる。11番人気ながら横綱相撲で優勝。素晴らしいレースだった。今でも彼の勝利の中で一際輝く1戦である。
この時点で、イーグルの能力が相当高いと認識し、準OPを目指すことになるのだが、暫く1000万下で善戦が続いた。いつでも勝てそうで勝てないもどかしさが続く。特に鞍上にはヒヤヒヤさせられたものだ。馬は十分に勝ち負けできるレベルにあるのに、鞍上だけが問題だった。全て鞍上の責任ではないのは百も承知であるが、さすがにこの状況では敗因を騎手に求めるのも自然の流れだったように思う。今となっては懐かしい思い出だ。
そんな彼もついに1000万下の壁を突き破ることになる。鞍上が柴田善騎手に替って僅か2戦目で結果を出したのだ。もう少し早く交替してくれていれば・・・そう思ったものだ。この頃のイーグルは一番脂がのっていたかもしれない。能力の高いメンバー相手に準OPでも入着できるほどに成長。OPはすぐ目の前だった。
彼の戦跡でもっとも素晴らしいのは、生涯(32戦)を通じて2桁着順がないということ。勝ち鞍は全てダートで、一見してダート馬のように見られるが、芝1000でも7着、芝1800でも4着、と一定の結果は残している。どんな条件でも大崩れすることなく走れる馬はそういるものではない。
私は愛馬を目の前で失ってから長い間、愛馬を生応援することを拒んでいた。本当に怖かった。「行こう!」という気すら起こらなかった。しかし、2010年11月、ついに足を運ぶときがやってきた。イーグルは前走の安達太良Sを2番人気に支持されるも7着と結果を出せず放牧に出ていた。そして、この時が復帰戦。
「イーグルを見たい!応援したい!」心からそう思った。もちろん不安もあったが、応援したい気持ちが僅かに勝ったことが私の足を府中に向かわせた。レースは残念な結果になったものの、アクシデントが起こることもなく無事に終わった。久しぶりに充実した一口ライフだった。その後、鬼門だと思っていた中山でも生応援をすることができた。私を競馬場に向かわせてくれたのは、シルクイーグルだった。
私が彼を直接見たのは32戦中3戦しかない。その3戦は全て最後の方の戦いだ。生で見た彼は、どことなく野武士のような雰囲気をかもし出し、凄くかっこよかった。「いつでも勝てるぜ!」そんな風に彼が行っているようにも聞こえた。
最後に見たのは、今年の招福Sである。この時はこのブログにも書いているが、夢を見ている。
詳しくは・・・
http://blog.goo.ne.jp/wazzu0727/d/20110105
http://blog.goo.ne.jp/wazzu0727/d/20110107
を見ていただきたい。まさに結果以外は全てミラクル。最後の最後で私とイーグルらしい結果で終わってしまったのだが。
その後もイーグルの夢を見ている。愛馬の夢を見ることはたまにあるのだが、イーグルほど私の夢に出てきた愛馬はいない。
いつでも会える・・・それが私にとってのシルクイーグルだったような気がする。
シルクイーグル 32戦4勝 享年6歳