実は7月1日から、普段使い兼旅用のデジタルカメラを、2004年4月から使用していたコニカミノルタ・ディマージュX20(最大約200万画素)から、今年発売されたニコン・クールピクスL3(最大約500万画素)に交換した。本ブログの投稿でも、2006年7月1日以降の日付の注釈が入った写真は後者を使用したものである。
で、せっかくなので、2004年4月1日から2006年6月30日の2年3か月間に使用していたディマージュX20とともに各地を旅した様子を、これまでに公開した以外の地域の写真で振り返ってみる。

2年3か月間使い倒した、ディマージュX20。電源を入れていないのにレンズカバーが開いたままになっているし、しかも下部の電池のふたが閉まらなくなっているので、太めの輪ゴムでこの部分を留めないと作動しない。というくらいのオンボロ状態になっている。

2004年4月5日、長野県諏訪地方の大祭・御柱祭でも計1000枚以上撮影した。これは上社山出し最終日の川越し。この時期にしては珍しく降雪し、地元民(氏子)も珍しい珍しい、と驚いていた。まだカメラを使い始めて5日目なのに、いきなりこんな過酷な場所に連れ出していた。まあこの祭の舞台である茅野市を含めた諏訪地方の標高は800mほどなので、このような状況もよく考えると納得できる。

2004年5月25日、埼玉県・子の権現(足の神様)の入り口のそばにいた猫。器用に前足で立ちながら居眠りしていた。このあと、目の前で写真を撮りまくる僕のことにもかまわずに、うつ伏せになって寝たりもした。たしかに居眠りするには適温の、うららかな春の1日であった。

2005年3月5日、富山県・JR氷見駅前。駅前通りや商店街にはこのイカのようにいろいろな魚が干してあった。このような港町では猫が徘徊していることが多く、当然ながら氷見でも同様の光景が見られたが、干している魚を猫たちに奪われないのかどうかが気になった。

2005年8月6日、広島県・原爆ドームそばの元安川。午前に開催された終戦60周年の平和記念式典に参列し、夕方から夜にかけて行なわれた灯篭流しも、橋から300mほど下流で灯篭が舟で回収されるところまできっちり見届けた。

2005年9月20日、最近大人気の北海道・旭山動物園のなかのぺんぎん館。利尻島・礼文島に行く前に寄ったのだが、平日にもかかわらずかなり賑わっていた。肝心のペンギンは手を伸ばして触ろうと思えば触れるところまで勝手に近寄ってきたりするのだが、実際に触る人はおらず、見物するほうも良識のある人たちだったことに感心した。今夏も凄い人出なんだろうな。

2005年12月2日、千葉県・犬吠埼遊歩道。セルフタイマー撮影で遊びながら灯台に向かって歩く。実はここはこの日に行く予定はなかったのだが、前日にこの西の旭市に交通量調査のアルバイトで日帰り出張してきて、それが終わったらそのまま埼玉県に直帰するのはもったいないなあ、と思い、JR銚子駅で寝て、ここまで足を延ばした。こんな想定外? の小旅もあるから、最近は日常でもカメラをほぼ毎日携行するようになった。

2006年3月2日、東京都・表参道ヒルズ。このような国内有数のお洒落な場所に一番上の写真のような状態のオンボロカメラを引っ張り出して撮影するのはかなり恥ずかしいので(しかも輪ゴムも巻いてあるし)、この頃からカメラの買い替えを真剣に考え始めた。
こんな感じでディマージュX20との2年3か月を振り返ってみると、緯度で言うと北は北海道の宗谷岬から南は沖縄県の喜屋武(きゃん)岬まで、高さで言うと東京都東部の海抜ゼロメートル地帯から山梨県・静岡県にまたがる標高3776mの富士山剣ヶ峰まで(厳密に言うと一度、沖縄県の海で水没させたことがある。つまりマイナス1m)、気温で言うと、マイナス20度以下の長野県・八ヶ岳の行者小屋のテント場から、38度の夏の関東平野(埼玉県)まで、全国各地、あらゆる場所にこのカメラを連れて行って酷使している。さらに付け加えると、2006年2月に香港に行ったときも携行していたから、一応は外国デビューもしている。
だから、メーカーから頼まれもしていないのにあらゆる場所でテストしたカタチになる。おそらく、僕は(現在では時代遅れの)この機種を日本一使い倒した顧客ではないかと自負している。そう考えると、コニカミノルタのデジタルカメラ事業に結構貢献しているよなあ、と思ったが今年から事業撤退というかソニーに譲渡してしまったから、もう自慢のしようも修理のしようもないんだけど。でもこのカメラの開発に携わった方にはできれば一度きちんと報告したいもんだなあ、とは思っている。この関係者の方やそのお知り合いの方で、どなたか本ブログを覗いている方はいないもんかなあ。
シームレスで10cmまでのマクロ撮影ができて(つまりマクロ撮影用のボタン選択がなく、シャッターを半押しさえすれば勝手にマクロ撮影の用意ができ、接写できる)、重量は150gを下回り、しかも単3電池2本で駆動して各種メモリのなかでも特に小型のSDカードを使用するこの機種は小さくてホントに使い勝手が良くて、気に入っていた。これと同型ではX31という300万画素対応のものもあったが、さらに高画質の400~500万画素対応の同型のカメラを開発してくれればもう完璧なのに、といつも思っていた(さらにはペンタックスやカシオのカメラのように防水機能も備わっていればなお良いが、大きさの問題もあるし、ちょっと欲張りすぎか)。この上位機種はその後いくつか発売されたが、単3電池からリチウム充電池に移行したから、それは敬遠した。だから今回の寿命? を迎えたことはホントに残念である。
そんな酷い使い方のため、最近は、電源を入れてもすぐに反応しないし、レンズカバーがヘンな動きをしてレンズが半分隠れてしまったり、撮影してもテレビで言うところの“ゴースト”のような症状が表れてしまったりして、今は撮りたいときに撮りたいものが思いどおりに撮れない、という状況に陥っている。こんな感じで100回シャッターを押すと、そのうちの80枚以上が使い物にならない写真になり、カメラとしては致命傷である。当然、中古市場になんか売りに出せないジャンク品に成り下がっているということだ。
それらの症状がよく出るので、ここ半年間はカメラを手でガンガン叩いたり、電源を入れたり切ったりを繰り返して復旧させるのに5分以上かかることもあるから、特に登山で足元が不安定な岩場や滝なんかを通過するときにカメラのその症状をいちいち気にしながら行くのでは、そちらに気が向きすぎて足さばきのほうが疎かになって転倒・滑落する可能性が高まり、最近は2万円以下でもそこそこ良いカメラがあるのにこのやや古いカメラにこだわることによって大ケガして、その価格以上の痛手(治療費)を負うのもアホらしいなあ、と思い、今春からカメラの買い替えを検討していた。で、今月初めからニコン・クールピクスL3のほうに交換したということだ。
その決め手はやはり、日本国内のみならず世界各地どこでも手に入る単3電池2本で駆動し、メモリは現在最も普及しているSDカードを使用する、というディマージュX20と同じ体裁のカメラだったこと。もちろん、有効画素数は一段と飛躍しているものを選択した。まあ最大約500万画素もあれば、僕が携わる出版媒体の制作などにも充分使えるだろうから、とりあえず納得の後釜が決まって最近はニコンのほうでガンガン撮りまくっている。
まあとりあえず、このカメラは僕のなかでの殿堂入りということでしばらくはそっとしておこうと思う。思い出の一品なので、とても簡単には処分できない。
最近の中古市場ではこの機種は7000~1万円程度で出回っているから、良い状態のものに巡り合えばまた買うかもしれない、というくらい大好きなデジタルカメラだった。
で、せっかくなので、2004年4月1日から2006年6月30日の2年3か月間に使用していたディマージュX20とともに各地を旅した様子を、これまでに公開した以外の地域の写真で振り返ってみる。

2年3か月間使い倒した、ディマージュX20。電源を入れていないのにレンズカバーが開いたままになっているし、しかも下部の電池のふたが閉まらなくなっているので、太めの輪ゴムでこの部分を留めないと作動しない。というくらいのオンボロ状態になっている。

2004年4月5日、長野県諏訪地方の大祭・御柱祭でも計1000枚以上撮影した。これは上社山出し最終日の川越し。この時期にしては珍しく降雪し、地元民(氏子)も珍しい珍しい、と驚いていた。まだカメラを使い始めて5日目なのに、いきなりこんな過酷な場所に連れ出していた。まあこの祭の舞台である茅野市を含めた諏訪地方の標高は800mほどなので、このような状況もよく考えると納得できる。

2004年5月25日、埼玉県・子の権現(足の神様)の入り口のそばにいた猫。器用に前足で立ちながら居眠りしていた。このあと、目の前で写真を撮りまくる僕のことにもかまわずに、うつ伏せになって寝たりもした。たしかに居眠りするには適温の、うららかな春の1日であった。

2005年3月5日、富山県・JR氷見駅前。駅前通りや商店街にはこのイカのようにいろいろな魚が干してあった。このような港町では猫が徘徊していることが多く、当然ながら氷見でも同様の光景が見られたが、干している魚を猫たちに奪われないのかどうかが気になった。

2005年8月6日、広島県・原爆ドームそばの元安川。午前に開催された終戦60周年の平和記念式典に参列し、夕方から夜にかけて行なわれた灯篭流しも、橋から300mほど下流で灯篭が舟で回収されるところまできっちり見届けた。

2005年9月20日、最近大人気の北海道・旭山動物園のなかのぺんぎん館。利尻島・礼文島に行く前に寄ったのだが、平日にもかかわらずかなり賑わっていた。肝心のペンギンは手を伸ばして触ろうと思えば触れるところまで勝手に近寄ってきたりするのだが、実際に触る人はおらず、見物するほうも良識のある人たちだったことに感心した。今夏も凄い人出なんだろうな。

2005年12月2日、千葉県・犬吠埼遊歩道。セルフタイマー撮影で遊びながら灯台に向かって歩く。実はここはこの日に行く予定はなかったのだが、前日にこの西の旭市に交通量調査のアルバイトで日帰り出張してきて、それが終わったらそのまま埼玉県に直帰するのはもったいないなあ、と思い、JR銚子駅で寝て、ここまで足を延ばした。こんな想定外? の小旅もあるから、最近は日常でもカメラをほぼ毎日携行するようになった。

2006年3月2日、東京都・表参道ヒルズ。このような国内有数のお洒落な場所に一番上の写真のような状態のオンボロカメラを引っ張り出して撮影するのはかなり恥ずかしいので(しかも輪ゴムも巻いてあるし)、この頃からカメラの買い替えを真剣に考え始めた。
こんな感じでディマージュX20との2年3か月を振り返ってみると、緯度で言うと北は北海道の宗谷岬から南は沖縄県の喜屋武(きゃん)岬まで、高さで言うと東京都東部の海抜ゼロメートル地帯から山梨県・静岡県にまたがる標高3776mの富士山剣ヶ峰まで(厳密に言うと一度、沖縄県の海で水没させたことがある。つまりマイナス1m)、気温で言うと、マイナス20度以下の長野県・八ヶ岳の行者小屋のテント場から、38度の夏の関東平野(埼玉県)まで、全国各地、あらゆる場所にこのカメラを連れて行って酷使している。さらに付け加えると、2006年2月に香港に行ったときも携行していたから、一応は外国デビューもしている。
だから、メーカーから頼まれもしていないのにあらゆる場所でテストしたカタチになる。おそらく、僕は(現在では時代遅れの)この機種を日本一使い倒した顧客ではないかと自負している。そう考えると、コニカミノルタのデジタルカメラ事業に結構貢献しているよなあ、と思ったが今年から事業撤退というかソニーに譲渡してしまったから、もう自慢のしようも修理のしようもないんだけど。でもこのカメラの開発に携わった方にはできれば一度きちんと報告したいもんだなあ、とは思っている。この関係者の方やそのお知り合いの方で、どなたか本ブログを覗いている方はいないもんかなあ。
シームレスで10cmまでのマクロ撮影ができて(つまりマクロ撮影用のボタン選択がなく、シャッターを半押しさえすれば勝手にマクロ撮影の用意ができ、接写できる)、重量は150gを下回り、しかも単3電池2本で駆動して各種メモリのなかでも特に小型のSDカードを使用するこの機種は小さくてホントに使い勝手が良くて、気に入っていた。これと同型ではX31という300万画素対応のものもあったが、さらに高画質の400~500万画素対応の同型のカメラを開発してくれればもう完璧なのに、といつも思っていた(さらにはペンタックスやカシオのカメラのように防水機能も備わっていればなお良いが、大きさの問題もあるし、ちょっと欲張りすぎか)。この上位機種はその後いくつか発売されたが、単3電池からリチウム充電池に移行したから、それは敬遠した。だから今回の寿命? を迎えたことはホントに残念である。
そんな酷い使い方のため、最近は、電源を入れてもすぐに反応しないし、レンズカバーがヘンな動きをしてレンズが半分隠れてしまったり、撮影してもテレビで言うところの“ゴースト”のような症状が表れてしまったりして、今は撮りたいときに撮りたいものが思いどおりに撮れない、という状況に陥っている。こんな感じで100回シャッターを押すと、そのうちの80枚以上が使い物にならない写真になり、カメラとしては致命傷である。当然、中古市場になんか売りに出せないジャンク品に成り下がっているということだ。
それらの症状がよく出るので、ここ半年間はカメラを手でガンガン叩いたり、電源を入れたり切ったりを繰り返して復旧させるのに5分以上かかることもあるから、特に登山で足元が不安定な岩場や滝なんかを通過するときにカメラのその症状をいちいち気にしながら行くのでは、そちらに気が向きすぎて足さばきのほうが疎かになって転倒・滑落する可能性が高まり、最近は2万円以下でもそこそこ良いカメラがあるのにこのやや古いカメラにこだわることによって大ケガして、その価格以上の痛手(治療費)を負うのもアホらしいなあ、と思い、今春からカメラの買い替えを検討していた。で、今月初めからニコン・クールピクスL3のほうに交換したということだ。
その決め手はやはり、日本国内のみならず世界各地どこでも手に入る単3電池2本で駆動し、メモリは現在最も普及しているSDカードを使用する、というディマージュX20と同じ体裁のカメラだったこと。もちろん、有効画素数は一段と飛躍しているものを選択した。まあ最大約500万画素もあれば、僕が携わる出版媒体の制作などにも充分使えるだろうから、とりあえず納得の後釜が決まって最近はニコンのほうでガンガン撮りまくっている。
まあとりあえず、このカメラは僕のなかでの殿堂入りということでしばらくはそっとしておこうと思う。思い出の一品なので、とても簡単には処分できない。
最近の中古市場ではこの機種は7000~1万円程度で出回っているから、良い状態のものに巡り合えばまた買うかもしれない、というくらい大好きなデジタルカメラだった。
今はコニミノのデジカメ修理はSONYからさらに別の会社に移ってるらしいですから同じような無償修理は難しいと思いますが、一応。
モノはまだ保管はしているのですが、さすがに近頃のデジカメに慣れてしまうともう修理に出す手間も惜しく、単なる思い出の品として扱うしかないですね。もう動かずとも、たまに引っ張り出しては物思いにふけるには良いモノです。
次回以降のコメントのさいは名前とタイトルもお願いします。
情報ありがとうございました。
今はカメラの開発からは遠く離れてしまいましたが、思わぬ形でこのページに出会い感激です。
遅ればせながら、ありがとうございました。