今日は祝日の「こどもの日」であるとともに「亀田の日」でもあり、プロボクシングの亀田興毅・大興兄弟の試合があったが、次男・大興の試合後の歌やふたりのKO勝ちの時間を含めた試合内容よりも、昨日4日の計量後に、長男・興毅が対戦相手の顔写真を貼ったフライパンを曲げていたことが気になった。
亀田家の場合は試合前後の派手なパフォーマンスがすっかりお馴染みになっているが、フライパンを曲げて自慢の腕力を誇示するというのは面白いことは面白い。が、興毅が曲げたフライパンはパッと見では新品のようで、新しいのにもったいないなあ、(当たり前だが本来は料理に使うものなので)用途が違うんだけどなあ、曲げたあれはその後どう処分するんだろう? ということが気になった。
力自慢が集まる運動系の番組でもよく見られる光景だが、フライパンよりもよくあるものでは電話帳やマンガ雑誌(週刊少年ジャンプなど)を綴じた状態からまっぷたつに引きちぎるというのがあるが、これは使い古したものを使っているだろうからあとで古紙回収に出せるが、鉄製のあのフライパンの場合はどう処分するのだろう? ふつうに考えると曲がったフライパンは再び元に戻して使うのは難しいから、不燃ゴミ扱いで処分するのだろう。
亀田兄弟の父親の史郎氏はあのフライパンをあの場面のあとにどうしたのか、フライパンを製造・販売する企業や団体・地域(東京都の合羽橋や新潟県の三条など)から苦情は来たのだろうか? ということがえらく気になった。そこまで追いかけている媒体はあるのだろうか?
まあ最近はフライパンも含めた調理器具はピンからキリまであり、ホームセンターやディスカウントショップで中国や韓国製の安いもので500~600円程度で買えるものもあり、僕も店でそれらを(後々のひとり暮らしを見据えて)物色するのが好きで、フライパンの質が色々あることもよく確認している。
興毅が曲げていたフライパンの曲がり具合を見ると、おそらくその安い部類の材質が薄めのものだと思うのだが(手入れが簡単でやや厚みのあるテフロン加工ではないやつ)、やはり本来の使い方ではないのでもったいなく思う。
亀田家としてはパフォーマンスとしてはうまくいったが、「モノを大切にする」とか、厳密に考えると子どもの教育にもかかわってくるかもしれないこの行為についてはどう解釈しているのだろうか。
バラエティ番組では少し昔に、ザ・ドリフターズやたけし軍団やとんねるずの番組などで、食べ物・飲み物やトイレットペーパーをよく無駄使いしていて、そのたびに苦情の電話が殺到したという話はよく聞いたが、最近は番組制作者側も視聴者の批判的な声を反映してそういう演出は控えるようになり、今回のフライパン曲げではそのような声はほとんどなかったのかね。僕はそこが気になった。
まあ大量生産・大量消費の時代となり、100円ショップのような店も繁盛して物質的に豊かになった現代日本では、もうそういうことにいちいち目くじらを立てる人も絶滅に向かっている感はあるが、僕のようにあのフライパンの行方が気になった人も少ないながらもいるだろう、と思うのだが、どうだろう?
ああいう演出としては、フライパンを曲げるのはもったいないので、対戦相手の写真か何かを大きく引き伸ばしたりしてそれを破る、とかいうくらいの方法に収めるのが妥当ではないかと思う。
興毅は計量よりも前の共同記者会見では“チキン”(弱虫)と相手を挑発する意味合いで骨付き鶏を食べて登場してもいたが、まああのくらいのことだったらよいとは思う(ただし、非公式の場で。各媒体の個別取材とか)。でもやはりフライパンを使用不能にするのはもったいないよな。亀田兄弟の試合を観ながら、そんなことがいちいち気になった日であった。まあPRIDEよりは面白かったけどね。
亀田家の場合は試合前後の派手なパフォーマンスがすっかりお馴染みになっているが、フライパンを曲げて自慢の腕力を誇示するというのは面白いことは面白い。が、興毅が曲げたフライパンはパッと見では新品のようで、新しいのにもったいないなあ、(当たり前だが本来は料理に使うものなので)用途が違うんだけどなあ、曲げたあれはその後どう処分するんだろう? ということが気になった。
力自慢が集まる運動系の番組でもよく見られる光景だが、フライパンよりもよくあるものでは電話帳やマンガ雑誌(週刊少年ジャンプなど)を綴じた状態からまっぷたつに引きちぎるというのがあるが、これは使い古したものを使っているだろうからあとで古紙回収に出せるが、鉄製のあのフライパンの場合はどう処分するのだろう? ふつうに考えると曲がったフライパンは再び元に戻して使うのは難しいから、不燃ゴミ扱いで処分するのだろう。
亀田兄弟の父親の史郎氏はあのフライパンをあの場面のあとにどうしたのか、フライパンを製造・販売する企業や団体・地域(東京都の合羽橋や新潟県の三条など)から苦情は来たのだろうか? ということがえらく気になった。そこまで追いかけている媒体はあるのだろうか?
まあ最近はフライパンも含めた調理器具はピンからキリまであり、ホームセンターやディスカウントショップで中国や韓国製の安いもので500~600円程度で買えるものもあり、僕も店でそれらを(後々のひとり暮らしを見据えて)物色するのが好きで、フライパンの質が色々あることもよく確認している。
興毅が曲げていたフライパンの曲がり具合を見ると、おそらくその安い部類の材質が薄めのものだと思うのだが(手入れが簡単でやや厚みのあるテフロン加工ではないやつ)、やはり本来の使い方ではないのでもったいなく思う。
亀田家としてはパフォーマンスとしてはうまくいったが、「モノを大切にする」とか、厳密に考えると子どもの教育にもかかわってくるかもしれないこの行為についてはどう解釈しているのだろうか。
バラエティ番組では少し昔に、ザ・ドリフターズやたけし軍団やとんねるずの番組などで、食べ物・飲み物やトイレットペーパーをよく無駄使いしていて、そのたびに苦情の電話が殺到したという話はよく聞いたが、最近は番組制作者側も視聴者の批判的な声を反映してそういう演出は控えるようになり、今回のフライパン曲げではそのような声はほとんどなかったのかね。僕はそこが気になった。
まあ大量生産・大量消費の時代となり、100円ショップのような店も繁盛して物質的に豊かになった現代日本では、もうそういうことにいちいち目くじらを立てる人も絶滅に向かっている感はあるが、僕のようにあのフライパンの行方が気になった人も少ないながらもいるだろう、と思うのだが、どうだろう?
ああいう演出としては、フライパンを曲げるのはもったいないので、対戦相手の写真か何かを大きく引き伸ばしたりしてそれを破る、とかいうくらいの方法に収めるのが妥当ではないかと思う。
興毅は計量よりも前の共同記者会見では“チキン”(弱虫)と相手を挑発する意味合いで骨付き鶏を食べて登場してもいたが、まああのくらいのことだったらよいとは思う(ただし、非公式の場で。各媒体の個別取材とか)。でもやはりフライパンを使用不能にするのはもったいないよな。亀田兄弟の試合を観ながら、そんなことがいちいち気になった日であった。まあPRIDEよりは面白かったけどね。
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