TOKIDOKI 日記

日々のなかで、「へぇ~」「ふぅ~ん」と思った、
私につながるステキなコトやモノ、そしてヒトたちの記録です。

梅ヶ瀬渓谷

2011-12-10 | 写真日記

山の紅葉もそろそろフィナーレとなる11月下旬、房総の紅葉名所、梅ヶ瀬渓谷~大福山を歩いた。
ここは
5年前の12月初日にも行っていて、紅葉はちょうど見頃を迎え美しかったが、
日高邸跡の大カエデはすでに落葉していて、地面は赤茶色の葉で覆い尽くされていた。
とはいえ、渓谷の最奥で、カエデの大木だけが、わずかに当時の面影を残しているその
光景もまた美しく、とても印象深かった。そのカエデが、葉を落とす前はどんなだろうと気になっていて、
そこで紅葉時期の見当をつけて行ってみることにした。

 

小湊鉄道の養老渓谷駅前を 
通り過ぎて右折、踏切を渡って進んだ道は細く、渓谷橋のところまで来て、しまった゜(゜´Д`゜)゜、、
道を間違えたと気づいた。 大福山の駐車場は、もう一本向こうの道だった。
もどるのもメンドウなので、橋の手前にクルマを置いて歩くことにする。

 

  

 はたして、ここにとめていいのかな?と、5分くらい迷ったけど、平日だからダイジョウブと勝手に納得(^^ゞ
渓谷橋から赤い橋が見える、大福山に向かう車道はあっちの橋だった。

  

渓谷橋を渡った先にはお地蔵様が奉られていて、延命地蔵とある。
花が手向けられ、ベンチも置かれていて、いまも大事にされているお地蔵様からは、
前を通り過ぎるだけでも、なんだか気分がほっこり~、、(*´∀`*)

 

  

田畑と民家の間を通りぬけていくと大福山への車道に出た。トンネルを通過。

 

  

二俣を右へ行くと大福山、左の砂利道を行くと渓谷入り口へ。

この砂利道の奥にも駐車場(500円)があって、 
渓谷にいちばん近いのだけど、知らずに手前の駐車場を利用している人が多いようだ。

 

梅ヶ瀬渓谷の入り口付近を車道から撮影。

 

 

 

駐車場を過ぎると水の流れがはじまり、

 

山深さが感じられる道では小鳥のさえずりが賑やか。 

  

数羽で忙しく枝から枝へと飛びかっていたエナガ。ぷっくりまるい体に長い尾羽。
シャッターチャンスはごく短く、ジッとしてないから撮れてないと思ったら意外にも写ってた。

 

 

ハイキングコースは梅ヶ瀬川に沿って、山側を歩いたり川の淵を歩いたりしながら、
渓谷と大福山をつないでいる。 川沿いの崖の湿った岩肌に付着する植物、

なかでもコレは、滴り落ちる水の色までが 
黄緑色をしている。そう見えるだけかなと思って、指先にとってみるとやはり
色がついていて、無色透明の水じゃなかった。まさか色落ち?じゃないよね。

 

 

 梅ヶ瀬川の侵食によってできた崖。

梅ヶ瀬渓谷を形成している侵食崖の地層は「梅ヶ瀬層」と呼ばれ、80~90万年前に
かけて堆積したもので、砂の多い「砂泥互層」という地層。

房総南部が三浦半島と連なる陸地だった頃、房総北部は関東中央部に広がる海の
一部で、
「古東京湾」と呼ばれていた。この「古東京湾」の海底に降り積もったのが
上総層群の地層で、地震などによって海底で土砂
動き、重い砂が早く沈み、軽い泥が
ゆっくり沈む繰り返しが、砂層と泥層のサンドイッチ状の「砂泥互層」をつくりあげたとい
うことだ。

崖の表面は、北側と南側とで違いがはっきりしている。

 

 

渓谷をとりまく樹木は、落葉広葉樹林 
と、スギ・ヒノキの植林にカシ類が混じった混合林。

ハイキングコースは、川の中を(といっても水量は少なくせせらぎ程度)飛び石伝いに
何度も横切って行くので、滑って足を濡らさないよう神経を使う。
防水のトレッキングシューズを履いてくれば、濡れるのを気にせず歩けたものを、、。

  

     

両側に崖が迫る薄暗い川床から上を見上げると、紅葉した木々が崖上を彩っている。
下を歩いている人が、やけに小さく見えるくらい高い崖。

 

崖の真下から見上げる紅葉。これからさらに色づきが増す。

 

やがて先方に陽当りのいいこんもりした場所 
が見えてきた。ここにはベンチやテーブルがあって、ひと休みするのにいいところ。

歩きだしてから1時間半が経過してるので、ベンチに腰かけティータイムにする。

ここは日高邸跡と大福山の分岐地点で、大福山から下ってきた人たちも合わせ、
土曜日のせいもあって、だいぶ賑やかになってきた。
大福山へは右に山道を登り、日高邸跡へは川を直進。

 

川沿いの木々は、まだ紅葉していない  
ものが
多く、何本かある大きな銀杏の葉も、大半はまだ青い。前に来たときは、
淵の岩から川の底まで、イチョウの葉で黄色く染まっていた。
となると、カエデは???、そわそわしながら道を急ぎ、

 日高邸跡の手前にやってくると、前方に
橙色の葉をつけた木が見えてきた。なんとか間に合ったみたい

 

日高邸跡、3本の大カエデ(イロハモミジ)は美しく紅葉していた。

 

それにしても見事なカエデだ!  
ここにどんな屋敷があったのか、今では知る由もないが、3本のカエデの大木が残る
屋敷跡は、主の想いがどことなく伝わってくるようでもある。

明治期の漢学者、日高誠実翁は、天保7年(1836)日向(宮崎県)高鍋藩に生まれ、
江戸で勉学する。明治3 年(1870)藩の命で再び上京し陸軍に仕えるが、
明治19 年(1886)50歳の時、陸軍省を辞し、ここに居を構え「梅ヶ瀬」と名付け、
人生の後半を、理想郷の建設にかけた。
植林・養魚・畜産等に力を尽くすかたわら、梅ヶ瀬書堂を開校し、近郊在住の子弟に、
国漢・英数・書道・剣道等を教え、人材の育成に努め、従学する人々は、数百人に
達したといわれます。しかし、深山幽谷の地形はあまりにも地の利が悪く、台風や豪雨の
たびに山は崩れ、川は埋まり、根付いたばかりの梅樹も根こそぎ倒され、養魚場もあらされた。
誠実翁は、私財を投じて復興に精を出しましたが、志は次々についえ、大正4 年(1915)
近隣の人々に惜しまれながら、80 歳の生涯を閉じる

(千葉県森林インストラクターによる資料より転載)

人生も半ばを過ぎてから、道もない渓谷の最深部に居を構え、幾多の困難に遭いながらも
高い志のもと、地域住民とともに理想郷をつくりあげようとした日高誠実。ここへ来てみると、
当時の労苦が偲ばれるとともに、住居跡に残るカエデの大木は、その熱き思いをいまも
秘めているかのように、鮮やかな葉をつけた枝を敷地いっぱいに広げていた。
はからずも夢はかなわなかったけど、植栽された楓や梅の木は、主亡き後も渓谷を彩り、
ここを訪れる人々に夢と希望を持って生きることの大切さを語りかけている気がする。

 

日高邸跡の奥から渓谷側を写すとこんなアングルで、カエデの前方には崖が迫っていて、

 

カエデに葉があるときは見えないが、
斜面の紅葉もこのように美しい。
つまり、日高邸跡のカエデが紅葉する時期には、渓谷の紅葉はまだこれからという
ところで、紅葉時期に差がある。

大カエデが葉を落としたばかりの頃もそれはそれで風情があって美しいので、
一週間ばかり日を変えて、再度訪れるのがいい。

 

日高邸跡から大福山に向かう。先ほどのベンチのところまでもどって、山道を登る。
 

急傾斜の山道がつづく 
もみじ谷。まだ紅葉していない木が多いけど、あと一週間もすれば、
モミジが真っ赤に色づいて、とても綺麗なところ。
 

 

  

一汗かいて、坂を登りつめると平らな尾根道になり、照葉樹の森となって雰囲気が変わる。
やがて最後のひと登りを終えると車道に飛び出す。東屋があり見晴らしもよく、大勢の人が
東屋周辺で休んでいてベンチは満席。
大福山の山頂(285m)は、白鳥神社内にあるらしいが、そこはパスして大福山展望台へ。

 

大福山展望台。螺旋階段を上る。 
展望台からの景色は、とりたててどうってこともないような…


大福山からの帰りは車道歩きになるが、下り坂なのと、道路の両側に並ぶモミジが
きれいで苦にならない。けど、大福山の駐車場を利用して逆コースで歩いた場合、
大福山まで坂を上ることになるので、ちょっとキツイかも。。

 

  

道路脇にはリンドウもちらほら咲いていて、やっと開花したリンドウを見ることができた。

 

車道のモミジが光をうけて鮮やかさを増す。
大福山から養老渓谷駅まで約5kmあるものの、紅葉狩りしながら歩ける。
寒さが忍び寄ってくる季節に歩くいいコースだと思う。
いつか、梅の花がほころぶ頃にも歩いてみたい。

 


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