松岡正剛著「本から本へ」(角川ソフィア文庫)の
副題は「千夜千冊エディション」。
この本の最後は、
「追伸 本は交際である」と題されていました。
あとがきのことですね。
その追伸のはじまりは
「本には何でも入る。
オリエント文化もバッハの楽譜も信長の生涯も入るし、
ピーターパンの冒険もハイデガーの哲学もシダ植物の生態も入る。
物語も日記も政策も犯罪も、必ずや本によって形をなし、
本として世の中にデリバリーされてきた。
・・・・56歳のとき、その体験の一部を互いに連鎖する
感想録のように綴って『千夜千冊』としてウェブに公開することにした。
書評ではない。その本との『めぐりあい』の事情と
『印象』と『言わずもがな』を綴った。
不倫はがまんした。一人の著者とは一度だけの付き合いとしたのである。」
ふ~ん。「本は何でも入る」というのであれば、
「ブログには何でも入る書ける」となるのかなあ。
それなら、お気軽にブログ更新が可能ですね(笑)。
追伸のさいごの方には、こうもあります。
「本とは、人類の歴史文化のなかで最高無二の
知的情報体となってきた柔らかいパッケージである。
この連中とはひたすら交際するのが一番だ。
ぼくはそのための取説(とりせつ・取扱い説明書)
を綴ってみたかった。・・・・」
はい。追伸から読み始める文庫本もある。
ちなみに、この文庫のはじまりに
「前口上」という1ページ5行の文がありました。
その最後の3行を引用。
「本は出し惜しみをしない。本は手持ちを曝してくれる。
ぼくは、本から貰った衣裳と道具と言葉づかいとスタイルで
その本に暗示された遊びに熱中すればいいだけだ。」
副題は「千夜千冊エディション」。
この本の最後は、
「追伸 本は交際である」と題されていました。
あとがきのことですね。
その追伸のはじまりは
「本には何でも入る。
オリエント文化もバッハの楽譜も信長の生涯も入るし、
ピーターパンの冒険もハイデガーの哲学もシダ植物の生態も入る。
物語も日記も政策も犯罪も、必ずや本によって形をなし、
本として世の中にデリバリーされてきた。
・・・・56歳のとき、その体験の一部を互いに連鎖する
感想録のように綴って『千夜千冊』としてウェブに公開することにした。
書評ではない。その本との『めぐりあい』の事情と
『印象』と『言わずもがな』を綴った。
不倫はがまんした。一人の著者とは一度だけの付き合いとしたのである。」
ふ~ん。「本は何でも入る」というのであれば、
「ブログには何でも入る書ける」となるのかなあ。
それなら、お気軽にブログ更新が可能ですね(笑)。
追伸のさいごの方には、こうもあります。
「本とは、人類の歴史文化のなかで最高無二の
知的情報体となってきた柔らかいパッケージである。
この連中とはひたすら交際するのが一番だ。
ぼくはそのための取説(とりせつ・取扱い説明書)
を綴ってみたかった。・・・・」
はい。追伸から読み始める文庫本もある。
ちなみに、この文庫のはじまりに
「前口上」という1ページ5行の文がありました。
その最後の3行を引用。
「本は出し惜しみをしない。本は手持ちを曝してくれる。
ぼくは、本から貰った衣裳と道具と言葉づかいとスタイルで
その本に暗示された遊びに熱中すればいいだけだ。」
様々なことを知ることができたと思います。
全てが正しい情報とは限りませんが
色々な職業 生き方 考え 暮らしぶりなど
自分にぴったり合う心地よい本とは
なかなかめぐり合えないこともありますが
それでも その本の世界にのめりこめた時は
本当に幸せな気分になれます。
ブログでは
普通の暮らしの方としか接点がないですが
それでも 見知らぬ土地での暮らしぶり
若い世代とのやり取りなど 楽しいです。
和田浦海岸さんは
小説は読まないけれど
詩は読まれるのですね~
童話も ですね。
さてっと、私はといえば本は買うだけ(笑)。
それでも、詩は買ってすぐに読める。
分っても、分からなくても読める(笑)。
長い文は、読めない。で、積読。
最近は、岸田衿子の文を読みたくって、
河出書房の「少年少女世界の文学」の
メアリ・ポピンズが岸田衿子訳なので、
買うことにしました。
注文したはいいのですが、
読めないかもしれません。