安房南高校
① 安房南高等学校「創立百年史」(平成20年2月)
高木淳氏による「関東大震災と安房高等女学校」(p21~22)がある。
ちなみに、高木淳氏は地学科教諭。
第2章「回想の百年」に島崎靖(旧姓西尾)の「ああ震災」(p79~80)
が載っており、一読印象深い。そこから抜粋引用。
「・・家屋の下敷となった一家五人の者は、九死に一生を得て
我先にと小さな穴を破り、危ふい足取りで漸く安全地帯へと
逃れ出たのは、それから間もない時であった。・・・
それからそれへと絶え間なく響く物すごい地鳴、
それにつづく大震動・・・
午後の熱し切った太陽は一層の熱を加へて、
哀れな避難民をいやが上にも照り付ける。
三時と思はれる頃、余震もやや弱くその数も
少し減じて来たのを見定めて、もろくも破壊された
家の中にもぐり込んで重要な書類、家具など拾ひ集め
漸く少しづつ運び出した・・・
とやかくする中、太陽は無情にも没し去って四辺は
たそがれの気に装はれた。急に人々は避難所をもとめて
帰って行く。往来は急に人通りが多くなった。
そこにはかめの中に入れた死人を運ぶ車も通った。
哀れにも苦悶しつつある怪我人も通った。
母親に死に別れた悲しさに人前もはばからず
狂はんばかりに泣き叫ぶ青年も通った。・・・
方々見舞や手伝ひに奔走された父も帰られて、
やがて一つのお結びに空腹を凌ぎ取敢へず小屋を立てる事になった。
庭の一隅に筵を敷き四壁と天井とは有合せの筵を張ったのみの
簡単な小屋であった。
・・・はるか那古の空は盛んに燃え上る焔の為に
淡紅色の層をなして暗黒の夜の空を色どって居た時は、
言い知れぬ物すごさを感ぜずに居られなかった。
今日の午前中まで存在して居た歓楽の住家が、
今は自分の眼の前に敗残の大きな黒い影となって
横たへられて居るのを見た時、又も言ひ知れぬ
涙ぐましさにしばらく茫然・・・・
『 つなみつなみ 』人々はかう叫びながら高台へ急ぐ。
気付いて見ると波の音は異様なひびきをつたへて居る。
しばらくたつと下の通りまで切迫したかの様にひびいて来た。
隣の人は食料を持って逃げ支度をして居る。
自分達はぢつとして居られず危機一髪の用意を整へて待ち構へた。
幸ひそれは流言に過ぎなかった。人々は漸く安心したらしく、
それから後は騒々しい人声も絶え細いともしびも消されて
全く静寂となった。
群をなして迫って来る蚊に攻められ、
常ならばあけやすき夏の夜・・
その夜は一刻千秋の思ひにただ夜の明けるのを待って居た・・・・
( 大正14年4月「校友会雑誌」第6号より ) 」
② 同じく高木淳氏によるプリント冊子
「 安房南高校校誌に見る関東大震災 」
(2002年12月23日千葉県地学教育研究会総会・地学談話会 於 研究発表会)
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