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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読みたい本。

2022-12-16 | 短文紹介
苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)。

ときどき、本を読みおわってだいぶたって、
海底からプクプクと泡が浮んでくるように、
本の中から言葉が、浮んでくることがある。

そんな感じで思い浮かんだ箇所があります。

㉘「読みたい本」(p125~128)でした。

はじまりに、大村はまさんの言葉が引用されています。
それは、『国語教室おりおりの話』からの引用でした。

「・・『読んだ本はなかなかふえない。読みたい本はどんどんふえる。』
  これは、皆さんの先輩の、石川台中学校の卒業生の人たち、
  その人たちが残したことばです。  」

このあと、苅谷夏子さんは、大村はまの姿勢を指摘してゆきます。

「・・そんな中で、『読みたい本』を記入していくページは、
 『読んだ本』と同等か、それ以上のものとして大事にされていた。
  ・・・・・ 」

こうして、苅谷さんの言葉がプクプクと浮んでくるのでした。

「公立中学校という、ごくごく普通の生徒の集まる場で、
 読書生活の指導が、こういう種類の豊かさを目指すものであったことは、
 現実的であるし、あたたかなことだ。

 一冊を最後までちゃんと読まない限り、
 読書とは認めないということであったら、
 本はずいぶん遠いものになる。

 かりそめに読みたいと思った、興味をひかれた、
 題名だけでも面白く感じた、『いつかは』と思った、
 そんな本を、自分の読書生活の範囲内のこととして記録する。

 そういうことまで含めた読書生活ならば、
 大人になって、どんな暮らしをするようになっても
 持続できるのではないか。・・・・    」( p127 )


『これでいいのだ』と後ろから大村はまさんが肩を叩いてくれてるような。
ということで、読みたい本を書きつらねるブログがあっていいのだと思う。

さっそく、新刊で読みたい本が思い浮かぶ。
磯田道史著「日本史を暴く」( 中公新書・2022年11月 )。

私は、以前に読売新聞を購読していた期間がありました。
そうそう何紙も購読できないので、読売新聞はとるのをやめたのですが、
読売新聞に、磯田道史の「古今をちこち」という楽しい連載がありました。
月一回の連載だったと思います。ああ、これを読みたいなあと思っていた。
その連載が一冊の新書になっていた。

なんでも、2017年9月~2022年9月までの新聞掲載分が
まとめて、新書の一冊となったようです。
新聞連載では、毎回の挿絵もあり読めると楽しかったなあ。
新書では絵がカットされてはおりますが、こりゃ読みたい。







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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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教養のための文芸誌講義録 (あべかずえ)
2022-12-16 16:29:27
gooブログ関義著「教養のための文芸誌」講義録をお読みください。愛読書が増えるために参考になると思います。
返信する
はじめまして。 (和田浦海岸)
2022-12-16 16:41:43
こんにちは。あべかずえさん。はじめまして。
コメントありがとうございます。

とりあえず。
大村はま国語教室の全集を買ったので、
今は、他にはなるべく触手を伸ばさず、
このまま冬籠の体勢でおります。

ちなみに、私は文芸誌は避けるタイプ。
文芸誌は、敬して遠ざけるタイプです。
お見知りおきください。
返信する
「こりゃ読みたい」 (kei)
2022-12-16 17:16:04
「こんばんは」
「読んだ本はなかなかふえない。読みたい本はどんどんふえる」
「かりそめに読みたいと思った、興味をひかれた、題名だけでも面白く感じた、『いつかは』と思った、
そんな本を、自分の読書生活の範囲内のこととして記録する」

好みのジャンルも人それぞれあるでしょうし、本によっても読みかたが出てきますね。
書評から、あるいはなにか読んでいる途中に、あるいは読み終わってみると、
読んでみたいと思う本が次々とできていきますね。
「読んでみたい」と思う気持ち、なんともわくわく、たまりませんね。

おすそ分けも楽しみにしております。
返信する
ツンドク本。 (和田浦海岸)
2022-12-16 17:45:41
こんばんは。keiさん。
コメントありがとうございます。

そういえば、と本棚から河合隼雄・長田弘対談
「子どもの本の森へ」(岩波書店・1998年)を
取りだしてくる。その5ページでした。
一読印象深かった箇所です。

長田】 子どもの本というのは
  『読まなきゃいけない』本というんじゃ
  ないんですね。そうじゃなくて
  『読みたい』とずっと心にのこっている本。
  
  子どものときに読まなかった子どもの本が、
  記憶のなかにいっぱいのこっている。
  だけど、そうやって記憶のなかに
  ツンドク(積ん読)だけで読まなかった
  子どものほんというのを、

  大人が自分のなかにどれだけ持っているかが、
  じつはその大人の器量を決めるんじゃないかなあ。

はい。『大人の器量』とは程遠いところにいる
私なんですが、この言葉も気になっておりました。

これ以上、積読本をふやさないように
ふやさないようにしなくちゃいけないのに。
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