はい。曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」をひらく。
これは、月刊「聖母の騎士」に1983年1月号~1985年12月号連載。
まえがきは、1986年1月30日と日付があるので、連載終了後に
単行本化されるさいに書かれたものとわかります。
うん。≪まえがき≫は、エッセンスが詰まっているように読めます。
その最初の2行は、こうはじまっておりました。
「 信仰からパウロという人物に惹かれたのではない。
私がパウロの著作に打たれたのは、ひたすら
その文学的、哲学的な説得力にあったのだと思う。 」
こうして、「四十の手習い」として堀田雄康神父の許で
聖書の勉強をはじめたというのでした。それが
「・・約十年の歳月が流れてしまった。」と記しております。
そして、この本のことをこう自身が紹介するのでした。
「堀田神父の極めて正確な神学的講義も、
私の耳を通過する瞬間に歪んでしまうことが多かったのだが、
それも作家の一つの習性と思って看過(かんか)して頂きたい。
しかしこの『 誤読 』に満ちたエッセイが、ともかく集められたのも、
ひたすら堀田神父にお教えを頂いたからである。」
こうして、40代から50歳代にかけてのことを記すのでした。
「・・・私は生きていたら、いつか
パウロを書きたいとも思っていたのである。
私はちょうど、人生を深い暗さと静かな透明さで
見られる悪くない年代にさしかかっていた。・・・
心惹かれ続け、その生涯が、自分の生き方の遥かな彼方に、
一つの目標の峯のように聳えている存在というものは
よくあるものである。
パウロはまさにそのような峯であった。・・・ 」
はい。≪ まえがき ≫だけの紹介になりました。
次に、本文へとすすめますように。
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