和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

画と文の旅のセッション。

2023-06-05 | 絵・言葉
図録「『司馬遼太郎が愛した世界』展」に
 中塚宏行氏の短い文(p148)がありました。

「  司馬遼太郎は須田剋太を次のように語っている。

 『 まことに稀有な人と出会ってしまったような感じがした。
   以後、このひとと旅をし、やがてそれが
   作品になってあらわれてくるという二重の愉しみに
   ひきずられるようにして、旅をかさねるようになった。 』(241頁)

 とあるように、『街道をゆく』のなかには、
 常識をわきまえた大人である司馬遼太郎が、
 須田剋太の子供のような行動や言動、姿、形を観察して、

 それを生き生きと描写している箇所が随所に出てきている。
 その語りは文章にほのぼのとしたユーモアの味を添えている。

 そして続く。

『 ≪街道をゆく≫は私にとって義務ではなくなり、そのつど
  須田剋太という人格と作品に出会えるということのために、
  山襞に入りこんだり、谷間を押しわけたり、
  寒村の軒のひさしの下に佇んだり旅をつづけてきた。』(241頁)

  ※ 司馬遼太郎「微光のなかの宇宙 私の美術観』中公文庫1997年 」


うん。中塚宏行氏が教えてくれている『街道をゆく』の楽しみ方とは、
どうやら、司馬遼太郎と須田剋太の場所をかえての旅のセッションを
居ながらにして愉しめるところにあるようだと、ひとり頷いてみます。

とすると、『街道をゆく』を読む醍醐味を堪能するのならば、
司馬さんを読みながら、須田剋太の挿絵集を脇に置く愉しみ。



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