和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

控え目な『ね』。

2022-08-12 | 詩歌
茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」。
その終りの方を引用してみることに。

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしはとてもふしあわせ
  わたしはとてもとんちんかん
  わたしはめっぽうさびしかった

  だから決めた できれば長生きすることに
  年とってから凄く美しい絵を描いた
  フランスのルオー爺さんのように
                ね


この詩を、西原大輔さんはこう指摘しているのでした。

「戦中の愛国主義にも、戦後の自由放逸にも
 満足できない詩人は、第三の道を模索する。

 それこそが、もう若くはない茨木のり子が
 ルオーから学んだことだった。深い精神性を
 湛えた作品を最晩年に生み出したこの画家のように、
 詩人は『長生き』し、美しい詩を残そうと決心した。

 最終行の控え目な『ね』は、
 決意表明の気恥ずかしさを打ち消す効果を生んでいる。
 1953年東京国立博物館開催のルオー展が、詩の背景となっている。」

 ( p99 西原大輔『日本名詩選3 昭和戦後篇」笠間書院・2015年 )

うん。私は茨木のり子の詩を、どのように読めばよいのか迷っておりました。
詩「わたしが一番きれいだったとき」は、つかまえどころがわからなかった。
何だか、西原さんの言葉で、やっと尻尾を見つけたようなそんな気がします。




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2 コメント

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茨木のりこ (きさら)
2022-08-12 20:38:24
早速 茨木さんの詩を読んで下さって
ありがとうございます。

私は
この詩を
女優の日色ともゑさんの朗読で知りました。
だから
す~っと 心に入ってきました。
母と同じ世代の作者が
青春時代を戦争に踏みにじられた無念な想いが
伝わってきたように思えました。
返信する
朗読ですか。 (和田浦海岸)
2022-08-13 11:28:31
こんにちは。きさらさん。
コメントありがとうございます。

日色ともゑさんの朗読ですか。
うん。活字を目で追うよりも
スーッと入って来るのでしょうね。
それにしても、朗読では最後の『ね』
をどのように、語ったのだろうなあ。
返信する

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