和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

赤ふんどし。

2009-02-20 | Weblog
漱石の「坊つちやん」の第二章は、
こうはじまっておりました。

「ぶうといって汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いて見るとおれはここへ降りるのだそうだ。見た所では大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続いて五、六人は乗ったろう。ほかに大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。」


これは、坊っちゃんの第二章のはじまり。
丸谷才一著「闊歩する漱石」(講談社)に、こんな箇所がありました。

「『坊つちやん』の特色のなかで見落してならないのは、構成がじつにしつかりしてゐることです。起承転結といふか序破急といふか、とにかくそれがうまく行つてゐて、たるんだ所が一箇所もない。一気呵成にぐんぐん進んで行つて、小気味よく終る。すばらしい出来です。たぶん上海のホテルでだつたと思ひますが、夏目漱石について語り合つてゐると、井上ひさしさんが、『プラットフォームの清の姿が何だかひどく小さく見えた、で第一章が終るでせう。次がいきなり四国になつて、ぷうと言つて汽船が止ると赤ふんどしの船頭になる。うまいなあ。これがぼくだったら、坊つちやんに駅弁を何回も食べさせて、毎回その中身が何なのか克明に書くところです』と絶賛した。そしてわたしも、負けてはならじと、『ぼくだつたら坊つちやんを途中下車させて、京都見物をさせる』二人で謙遜くらべをして、漱石をたたへたのです。とにかく、本当に、息をつく間もないくらゐ快調に話が運んで、二百三十枚か四十枚が見事に完結する。ここはちよつとをかしいな、と思ふところが一つもない。恐ろしいほどの名作です。」(p15~16)


もうひとつ引用しましょ。
京極純一氏に短文「読書をしなさい」があります。
そこに、こんな箇所。

「中学生になり、高校生になっても、体をジッとさせ、ある時間続けて本を読む癖がついていないと、面白くもない本を読まされることは、実につらい苦行である。そのとき、途中でやめられないほど面白い本を一冊終わりまで読む。その経験をすると、大きくなってしまった体に癖がつく始まりになる。どの本がそれほど面白いか。ひとつおすすめは夏目漱石の『坊っちゃん』である。私のまわりには、中学生のとき『坊っちゃん』を読んだのが『読書』の始まりになった人が多い。」
(「世のため、ひとのため」毎日新聞社・p44~45)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どどんどどんと。 | トップ | 五厘銭の漱石。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事