和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

コンクリート造りの神社。

2022-01-07 | 前書・後書。
今泉宣子著「明治神宮」(新潮選書)が昨日届く。
はい。はじまりの1ページを引用しておきます。

「・・木造檜造の明治神宮社殿は、
昭和20年4月に渋谷方面を直撃した空襲により、灰燼に帰した。

それから7年後の27年4月、前年に調印されたサンフランシスコ
講和条約が発効し、進駐軍の占領解除に至る。

独立回復後はじめて迎えた秋の一日、
明治神宮復興を期した協議の場で焦点となっていたのは、
新社殿は木造かそれともコンクリート造であるべきかということだった。

社務所やその他の施設は不燃性材料でよいが、
せめて社殿は『創建当初』のように木造にしたいという主張への反論が
・・『では、神様は燃えてもよいのか』である。
このようなコンクリート派の訴えの背景には、
大震災と大空襲を経験した我々が、社殿を二度と
焼くことがあってはならないという悲痛な思いがある。

・・・再建をめぐる激しい議論の応酬は、
30年4月の会議で社殿は木造檜造という
合意に達するまで続くことになる。・・・・」(p3)

平川祐弘・牧野陽子著「神道とは何か」(錦正社)の
平川氏の文章の中に、焼き払われた明治神宮の
空襲のことが語られておりました。
うん。その箇所も引用しておくことに。

「・・日本の精神的バックボーンを粉砕するために
1945(昭和20)年4月13日から14日にかけての
第二次東京夜間大空襲の際に明治天皇が祀られている
明治神宮に対しておびただしい焼夷弾を意図的に投下し
それを焼き払いました。火炎天を沖(ちゅう)する様が
代々木西原の私の家からも見えました。

軍事施設でもない神社を爆撃目標にしたのは
文明的行為とはいえない。野蛮そのものです。

しかし西部劇でインディアンの祠(ほこら)に白人の
騎兵隊が火を放つ程度の感覚だったのではないでしょうか。
・・・・・・」(p26)

私たちの地域でも、
車で1時間ほどかけてもお参りする神社があります
( わたしは、あまり行かないのですが )。
いつからか、私が知るころにはコンクリート造りとなっておりました。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« つつましやかな。ささやかな。 | トップ | エイ、オー、エイ、オー・・ »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (しゃちくん)
2022-01-07 19:01:34
伊勢神宮を25年?毎に造りかえるのは技術の伝承が目的と言われてますよね。鳥居に使用される木材も紀伊半島の国有林で育てられるとか。
返信する
木造檜造り。 (和田浦海岸)
2022-01-08 08:41:04
こんにちは。しゃちくんさん。

うん。しゃちくんさんには
『木造檜造り』という言葉だけでも。
うん。それだけで充分に伝わるものが
あるのだろうなあ。

ときどきブログ拝見させていただいております。
本年も充実した一年をお迎えください。
返信する

コメントを投稿

前書・後書。」カテゴリの最新記事