和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

目利きの町。

2012-02-19 | 地域
講談社学術文庫「学問の世界 碩学に聞く」で、まずは、桑原武夫氏へのインタビューから掲載されておりました。そこに桑原さんから反対に質問される箇所がある。

桑原】 ・・これ話題からそれるけれども、小松(左京)さんあたりから教えてほしいんだけれども、なぜ京都からは文学者が出ないのか、これはぼくのテーゼの一つなんですがね。
小松】 文学者というのは小説書きという意味ですか。
桑原】 小説家と詩人。
小松】 そうですね。ありませんね。
・ ・・・・・
桑原】 ・・川端康成、大阪。宇野浩二、三好達治、織田作之助、そのほか、大阪にはいっぱいいやはります。・・高橋和巳、これも大阪です。
小松】 ぼくは小説家になってしまったんやけど、やってみてわかったんですけれども、小説、これはハングリー・アートですよ。ボクサーみたいなもんですね。京都からボクサー出ていますか。
桑原】 それは知らん。ただ、京都の人間は『あほ』を軽蔑するんです。ところが小説を書いたり、詩を書いたりするのは、あほやないとできまへん。(笑)
小松】 よくわかります。(笑)
加藤】 作者はいないけれども、批評家、目利きはたくさんいます。目利きの町ですよね、ここは。(p45~46)

まあ、話はこれから盛り上がるのですが、引用はここまで。(笑)
さてっと、ここに「批評家、目利きはたくさんいます。目利きの町ですよね」と加藤秀俊氏は語っておりました。

ここから、京都シンポジウムを一冊にした「未来技術と人間社会」(ダイヤモンド社)の最初の桑原武夫氏の挨拶を引用したくなります。そこにこんな箇所があったのでした。

「シンポジウムを始めるにあたって、・・
その第一として、ご来場の皆さんに、主体的参加を呼びかけたいと思います。まず、われわれは、現象を知らなければなりません。世界のあらゆる問題、また日本の、あるいは京都の問題、自分の従事している産業の問題、そういうことについて虚像をもってはいけない。その現象に賛成するにしても、あるいはそれを改めなければならないと思われるにしても、まず現象を認識することが必要であります。それを怠って、あるべき姿をかってに頭の中で描いていてはいけない。明確な現実認識の能力がなければ物事は何も進まないということです。認識した現象については、なぜ起こったか、どういう意味をもっているかを考える。それを考えるときにマスコミや学者の説を参考にするのはいいけれども、あまりそれにとらわれないほうがいい。主体的に自分の頭で考えなければならないということを申し上げたい。」

この次に、どういうわけか、東山魁夷の絵の話となるのでした。

「東山魁夷さんの絵を例に申しますと、自分の好ききらいは別にして、これがたいへん多くの人に愛好されているという現象は否定できない事実です。その結果、それにたいへん高い値がついて、複製もよく売れている。これは、たとえ東山魁夷さんの絵がきらいな方でも認識しなければならない現象です。ところが、それがなぜ流行しているか、尊重されているかという理由をきちんと説明した説は今までほとんどありません。私は日本の美術評論というのは怠慢だと思っております。それを解明することが、たとえば西陣の方なら西陣の織物のデザインと明確に結びつくはずです。商品生産をする場合には、まず売れたほうがいいわけでありますから。・・・」

まさに、「目利きの町」の面目躍如たる発言とお見受けいたしました。
なぜ、東山魁夷なんでしょうねえ。
思い浮かぶのは、
司馬遼太郎・福島靖夫往復手紙「もうひとつの『風塵抄』」(中央公論新社)
この本は、産経新聞に連載されていた「風塵抄」を、担当記者・福島靖夫氏が原稿授受、校正刷りの往復のときに交わされた手紙なのだそうです。
その44「日本的感性」1990年1月8日掲載の風塵抄についての手紙のやりとりの中で、こんな司馬さんからの手紙の内容がありました。

「ただ、すべてにおいてダイナミズムに欠けます。これは【欠ける】という短所を長所にしてしまったほうがいいと思うのです。東山魁夷さんの杉の山の絵を、装飾的、平面的、非人間的ながら、これこそ絵画だという美術的創見が必要なのです。そういう評論家がいないというのが問題ですが。」(p64)

うん。司馬さんは、どうして東山魁夷を、登場させていたのだろうなあ、などと思ったことがあり、私は印象に残っていた箇所なのでした。

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1 コメント

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学士山岳会 (加藤秀俊)
2012-02-21 09:47:16
たてつづけに西堀、桑原、今西といった先生がたをとりあげていただき、後進としてなつかしく、うれしいことです。ありがとうございます。この3碩学はすべて中学以来の同窓というだけでなく、京都大学での「学士山岳会」のメンバーであった、という決定的な共通点がありました。梅棹さんや川喜田二郎、中尾佐助などの諸先輩もおなじく「学士山岳会」の仲間。この山登り仲間のスローガンは「団結鉄より固く、人情紙より薄し」という有名なもの。いろんな逸話、伝説がのこっております。小松さんやわたしは、この「学士山岳会」仲間の周辺をウロウロしながらも、結局は山登りに無縁だったので、ときどき疎外感を感じておりました。京大には日本さいしょの「探検部」もできて本田勝一さんなどが活躍。まあ、なんとも華やかなことでありました。
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