再読していて思い出したのですが、
鶴見俊輔の対談のなかに、
一読忘れられない箇所があったのでした。
そこを引用。
「昭和20年の大空襲のとき、私はその日に東京に帰ってきて、
大宮で汽車がとまっちゃったから、乗り換え、乗り換えして、
しまいに歩いて麻布のうちに戻ったんです。
雪がひざまで積もっていました。三月なんです。
ところが、向こうからものすごく陽気な、
笑いさざめくような声が聞こえるんです。それは
青山六丁目のあたりで、私は渋谷のほうから
歩いてきたんですが、麻布のほうからきて行き
会った人たちが明るい顔をしているんです。
それがうちを全部焼かれちゃった人たちなんですよ。
近所近辺、すべて焼かれちゃった人たちが歩いている。
それが一緒に焼けたときは、助け合いと連帯の気持が
底のほうから出てきて、何がなくてもお互いにいま
生きていることを喜び合う気持ですね。
快活な感情なんですよ。
それは亀井勝一郎も書いている。
『日月明し』というのですが、あのときの感動
というのは忘れられませんね。それはわずかな希望だな。
これから日本人が全体として暮らしが下がっていくときに、
みんなが一緒に貧乏になるならば、やはりあのときの
快活な助け合いの気分が帰ってくるんじゃないかという
希望です。あれは不思議なものですよ。・・・・」(p65~66)
これを読んだときは、1987年発行の本なので、私など、
簡単に本が届くようになることなど思いもしない、
ネット古書店での検索など知らない時代でした。
こんど読み返して、すぐにパソコンにむかって
検索したら
亀井勝一郎全集第15巻に収録された「日月明し」が
手に入る。うん。さっそく注文しました。
これで、鶴見俊輔の対談の背景が、ちょっとわかるかも(笑)。
ネット古書店で、古本を買えるありがたさを噛みしめる瞬間。
さて、この鶴見俊輔と野村雅一の対談には
こんな箇所もありました。
鶴見さんが、川喜田二郎氏を語った箇所です。
「彼はそれから文明論に向かうわけで、
その文明論は『季刊民族学』に『素朴から文明へ』
というのがありまして、ここではポンと飛んでこう言うのですよ。
『素朴よりも文明のほうがはたしてよいものとか、
価値が高いものかどうかなどということは、けっして
自明のこととして前提されてはならない』。
ここからあとは、評価がむずかしい問題だからわかりませんが、
彼は日本にはまだ見込みがあるのは、
日本はまだ文明じゃないからというんですよ(笑)。
素朴なものが残っているから、完全に文明化していくと、
小集団のなかでのやりとりがつぶされてしまうので、
血の通ったコミュニケーションがなくなってだめになる。
・・・」(p33~34)
「素朴から文明へ。価値的に文明のほうが高いと
考えないほうがいい。素朴から複雑へと変わっていって、
素朴が全部扼殺されたらそれで終わりではないか。
普通に相手を見て、相手がだれかを識別できるような、
その小さな集団で人間の創造は行なわれるので、
そこをこえてしまうと、一方的な伝達と模倣ばかりになって
しまって、生きがいとか愉快とか、レクリエーションという
意味での娯楽ですね、それから離れてしまう。
結局生きがいを喪失してしまうところに行くという、
そのおおまかな直観に共感します。・・」(p34~35)
うん。これで「亀井勝一郎全集」第15巻と、
季刊「民族学」27号・28号の「素朴から文明へ」を
同時に読める楽しみ。
さてっと、
「・・一方的な伝達と模倣ばかりになってしまって、
生きがいとか愉快とか、レクリエーションという
意味での娯楽ですね、それから離れてしまう。
結局生きがいを喪失してしまう」
というブログへとそれていかないように、気にしながら、
ネット古書店から、届く本を読みはじめられますように。
小平次と申します
大変参考になりました
ありがとうございました
読む方に、不親切な引用を
重ねているかなあと思っているので、
参考になりましたとコメントいただくと、
何やらホッとした気分になります(笑)。
ありがとうございました。
が、何について講義されたのかまるで憶えていません。
いま ご紹介された「対談」と貴ブログ記に接し深い感銘とともに
氏の講義内容を何一つ憶えていないことを心から口惜しく思っています。
末筆ながら ご健筆を心よりお祈り申し上げます。
ひょっとすると、鶴見俊輔氏も対談が面白い分、
壇上から語る講義は、苦手だったのかもしれない。
などと、かってな想像が浮んできたりします(笑)。